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2022年10月

2022年10月19日 (水)

洋楽聴き始めて50年、そのオーディオ遍歴など

前回のエントリー「ピアソラ没後30周年、『アストル・ピアソラ 闘うタンゴ』改訂版のお知らせ」にてお知らせしたとおり、当初はピアソラ没後30周年の7月4日には間に合うように、その後なんとか年内にと目論んでいた拙著の改訂作業だが、遅々として進まず。もう10月も半ばを過ぎたというのに、本文の見直しはようやく全9章中第3章(パリ留学と弦楽オーケストラによる録音まで)までが終わったところ。とにかく直すところ、書き足すべきことが多すぎるのだ。他の仕事等との兼ね合い、そして年齢との闘いもあり、集中力も以前のようにはなかなか保てないというのが正直なところでもある。しかし改訂するのもこれが最後の機会だろうから、中途半端な形にはできない、出版社からも特に「いつまで」とは期限を定められていない、ということでお待ちいただけるよう、切に願う次第である。

それはともかく、これを書いている10月19日は、翌20日に64歳の誕生日を迎えようとしているところで、1972年の誕生日後ぐらいから意識的に洋楽を聴くようになってちょうど50年という節目の年にあたる。音楽を聴くのに欠かせないオーディオとの付き合いについてもこの機にまとめておこうと、少しずつ記憶を辿りながら、合間合間に書き溜めてきた。まぁ、備忘録のようなものだが、せっかくなので披露しておくことにする。

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今住んでいる鎌倉市の家に私と姉、両親の一家が引っ越してきたのは、私が4歳だった1963年2月のことだ。それまでは横浜市中区の社宅住まいだったが、父が閑静な今の場所を気に入って、2階建ての家を建てたのだった。

その新居にステレオがやってきたのは、私が5歳になって間もない1963年11月のこと。なぜ11月とはっきりしているかというと、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺のニュースが流れたのとほぼ同時で、後に家族がそれを話題にしていたからだ(22日の暗殺当日だったかどうかまではわからないが)。

そのステレオは脚の付いた家具調のコロムビアのアンサンブル・ステレオで、応接間にセットされた。今では型番もわからないが、扉が前面ではなく上部に付いていて、スプリングでフロートされたリムドライブのプレーヤーは16、33、45、78の4スピードだった。当時の流行りだったスプリング・リバーブが付き、FMはモノラル(まだステレオでの本放送自体が始まっていなかった)。確か別売のユニットを繋げば、AMステレオの試験放送も聴けるようになっていた。アンテナを屋根に設置したわけではなく、受信状況はそれなりだったような気がする。

私は大船駅前の大船ミュージック・ショップで『サンダーバード』のソノシートなどを買ってもらった記憶がある。よく家で流れていたのは『お茶の間名曲集』。東芝の赤盤で、ジャケットがモディリアーニの肖像画か何かで、「クシコス・ポスト」が入っていたこと、演奏者の中に平岡精二の名前があったことはぼんやりと覚えている(ネットで検索しても同じものは見当たらなかった)。8歳年上の姉は、イ・ムジチ合奏団のアルバム(『四季』だったか『ブランデンブルク協奏曲』だったか)、ザ・サベージやスパイダースの入ったコンパクト盤(7インチ4曲入り)のオムニバス、『ウエスト・サイド物語』サントラの4曲入り7インチ(「トゥナイト」「クール」「マリア」と「アメリカ」、これはよく聴いた)などを揃えていた。針を下ろそうとして盤の上でガーッと横に滑らせては、よく怒られた。

私が自分で最初に買ったのは、ザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」だったはずだが、ヒットしていたのは9歳の頃で、状況はよく覚えていない。買ったのはもっとずっと後だったかもしれないが、その後しばらくは何も買わなかった。

小学校4年生の時、父がどこかから貰ってきたソニーの小型・充電式の赤いAMラジオをくれた。ネットで確認したところ、1968年5月に発売されたIC搭載ラジオの2号機ICR-200という当時の最新鋭機だった。

Icr200
※画像はネットから

貰ったのはいいが、最初は何を聴いたらいいかわからなかった。デザインは良かったが性能はイマイチで、そのうちソニーの6石スーパーのトランジスタ・ラジオか何かと入れ替わったんだったと思う。

6年生になって学校からの帰り道、公団住宅に住むH君がラジオを見せてくれた。それは自分の持っていた小型のものとは全然違っていて、メーターが付き、FMも短波も入る、かっこいいデザインのものだった。どこのメーカーだったかは覚えていないが、世の中にはこんなものもあるのかと興奮した。土曜日に鵠沼まで自転車でピアノを習いに行った帰り道、藤沢駅近くのオーディオとレコードの店に立ち寄り、並ぶ商品を眺めたりカタログを貰ったりするのが楽しみになった。その頃よく聴いていた番組は、土曜夜10時からのTBSラジオ『ヤングタウンTOKYO』など。歌謡曲やフォークが好きでラジオで聴いたりしていたが、洋楽のことはまだほとんど何も知らなかった。

当時家にはソニーのオープンリールの“テープコーダー”もあって(ネットで検索したら、1964年5月発売のTC-221だったことが判明)、一時期はエアチェックもしていたが、どのラジオからどうやって録音していたかは覚えていない。

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※画像はネットから

3台目として買ってもらったラジオは、ソニーのスカイセンサー5400(ICF-5400)。1972年に登場したスカイセンサーは、先に出た5500が縦長の斬新なデザインと豊富な機能で人気だったが、私はあえてそれ以前のソリッドステートIC 11やTHE 11の流れを汲むオーソドックスな5400にしたのだった。

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※画像はネットから

中学2年だった1972年の夏、久しぶりにシングル盤を買った。山口崇、林隆三、津坂匡章の「月は東に日は西に」。楽しみに観ていたNHKドラマ『天下御免』の挿入歌だが、何故これ1枚だけを買ったのかは覚えていない。

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※画像はネットから

そして10月に誕生日のお祝いとして貰ったお金で、LPレコードを買おうと思い立ち、大船ミュージック・ショップに行った。ちょうどCBS・ソニーの年末商戦恒例のギフト・パック・シリーズが出たところで、壁の上の方にジャケットがずらりとディスプレイされていた。天地真理や南沙織があるなあ、と思いながら左の方向に視線を移していくと、洋楽が並んでいた。邦楽は1枚ものなのに、洋楽は銀色のボックス入りの2枚組で、それだけで特別感があった。そして通し番号の若い方に辿っていくと、①はサイモンとガーファンクルだった。これだ、これにしよう、と決めた。ほとんど聴いたこともないくせに。

だが、その場でそれを買ったわけではない。S&Gのコーナーを見てみると、いろんなアルバムが並んでいる。2枚組のベスト盤もギフト・パックは3,000円なのに『サイモンとガーファンクルのすべて』が3,600円である。この金額の差は何処から来ているのだろうかと、真剣に悩んだ。1枚もののベストも、『明日に架ける橋』登場前の音源を集めた『サイモンとガーファンクルのグレーテスト・ヒット』、後述の米国編集のベストが決まった時点で、その曲目のまま日本先行で発売された『サイモンとガーファンクル・グレーテスト・ヒットⅡ』、その内容を同タイトルのままゴールド・ディスク・シリーズに組み込んだもの、そして正真正銘の米国編集盤として発売されたばかりの、ライヴ・ヴァージョンやリミックスなどの未発表音源を含む『サイモンとガーファンクル・グレーテスト・ヒット』。迷った挙句、最終的に選んだのはその米国編集の『グレーテスト・ヒット』で、購入日は11月1日とメモした。同じ頃洋楽を聴き始めた同級生のTとIは、どちらもギフト・パックを買っていたけれども。

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ちょうどラジオ関東で始まったばかりの『全米トップ40』を聴いてチャートをチェックするようになり、リオン・ラッセルが表紙の11月号から雑誌『ミュージック・ライフ』を買い始め、LPはそうそう買えないから、シングルでギルバート・オサリヴァンの「アローン・アゲイン」やエルトン・ジョンの「クロコダイル・ロック」、ミッシェル・ポルナレフの「愛の休日」などを買った。

アンサンブル・ステレオは応接間にあって好き勝手には聴いていられなかったから、自室で聴けるラジオ(スカイセンサー5400)が大事なアイテムだった。そして恐らく高校に入学したタイミングで(1974年)、カセット・テープレコーダーを買ってもらった。ソニーのTC-2600で、ステレオ録音とLL録音(語学練習用に片チャンネルずつ録音や再生ができる)を備えた機種だった。

Tc2600
※画像はネットから

スカイセンサーのMPX-OUT端子に繋げるステレオ・ヘッドホン・アダプターのSTA-50を買い、そのステレオ出力をTC-2600に接続すればFM放送のステレオ録音ができたので、この組み合わせは大変重宝した。

Sta50
※画像はネットから

また、TC-2600をアンサンブル・ステレオのDIN端子に接続すれば、一応カセット・デッキとしても使うことができたから、音質はともかくレコードからカセットに録音すれば、部屋でもヘッドホンで聴けたのである(モノラルでよければスピーカーからも流せた)。

高校では放送部に入ったが、放送室にあったコンポーネント・ステレオが、新たな憧れとなった。スピーカーは覚えていないが、アンプは確かパイオニア、そしてプレーヤーは間違いなくパイオニアのPL-1200。これはカッコよかったから、強烈な印象を残している。後は番組作りなどに活用したオープンリール・デッキだ。メインはティアックの10号リール用A-3300Sと7号リール用A-2300Sで、操作パネルが傾斜しているソニーのスラントタイプのもの(多分TC-6360A)もあった。オープンリール・テープに録音したピンク・フロイドの『狂気』やディープ・パープルの『紫の炎』を放課後に聴いた記憶がある。

私は1974年の夏にラジオでスティーリー・ダンの「リキの電話番号」を聴いてから彼らに夢中になり、東芝EMI公認スティーリー・ダン・ファン・クラブの最年少会員となったほどだったから、1975年の『嘘つきケイティ』、1976年の『幻想の摩天楼』、1977年の『彩(エイジャ)』は輸入したての米国オリジナル盤でまず買ったが、解説と対訳欲しさに国内盤にすぐ買い替えてしまった(その後CDが出た時に買い替え、最終的にアナログを買い戻した)。今思えばなんとももったいない話だが、家のアンサンブル・ステレオでは音の良し悪しがわからないどころか、その頃には片チャンネルからバリバリとノイズが出るなどして、瀕死の状態だったように思う。大学に入ったら自分用のコンポーネント・ステレオを揃え、姉が結婚して家を出てから使えるようになった2階北側の和室で聴くのが目標となった。そして1978年。一浪してなんとか大学に入り、自室用のアンプとプレーヤーをようやく用意できることとなった。選んだプリメイン・アンプはサンスイのAU-607(初代)、レコード・プレーヤーはビクターのクオーツロック式のQL-5(カートリッジはZ-1EBが付属)。

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※画像はネットから

カセット・デッキはとりあえずTC-2600をそのまま使用。チューナーは買わなかった。そして問題がスピーカーで、とりあえず使い物にならなくなったアンサンブル・ステレオを2階に持って上がり、スピーカー部をそのまま繋げた。無謀にも平面バッフルを試そうとしてアンサンブル・ステレオの筐体をばらし、部屋の長押(なげし)の上に45度の状態で置いてみたら、低音がまったく出なくて苦笑する場面もあった。ということで、ほどなくしてJBLのL40を購入、ようやくまともなシステムとなった。

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※画像はネットから

TC-2600には世話になったが、デッキも本格的なものにしようと、1980年頃にサンスイのSC-55を買った。これはカセットホルダーがなくテープを直接メカニズム部に装着する「ダイレクトマチック方式」のデッキだったが、テープによっては回転精度に支障をきたし、使いづらかった記憶の方が大きい。

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※画像はネットから

その後、はっきり覚えてはいないがカートリッジをオーディオテクニカのAT-ML150/OCCあたりに換えていたようだ。

1981年。横浜の鶴屋町にあった松本印刷の2階に松本社長が開いた「レコピア」という貸レコード店でバイトを始めた。三鷹に初の貸レコード店として黎紅堂がオープンしたのが1980年というから、まだ貸レコード店の黎明期の話だ。そこで使われていたのは、確かアンプがビクター、プレーヤーがテクニクス(SL-1200シリーズではない)だった。壁に掛けてあったスピーカーについては覚えていない。私は雇われ店長のような形で、仕入れから会報作りまで手掛けた。そのうちに社長がもう飽きたからやめるというので、中古レコード店にしたらどうですかと言ったところ、じゃあお前がやれというので、レンタルに使っていたレコードを買い取って商品として流用する形で、中古レコード店「レコピア」を開業した。1982年のことである。結局色々な事情で店は2年も続かなかったが、ラテン音楽好きのお客さんから買い取ったレコードの中にアストル・ピアソラの『レクエルド』(タンゴの歴史 第2集)やピアソラを含むオムニバス『われらのタンゴ』があり、それを聴いたことが、その後の私の人生を変えたのだった。

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使用済みとなった店のオーディオは、父親が引き取って事務所に置いた。父は会社を定年となるタイミングで資格を取り、かつてアンサンブル・ステレオが置かれていた10畳の応接間を事務所として使っていたのである。

1985年頃には、アンプをオンキョーのIntegra A-817RXに換えている。理由は覚えていないが、AU-607のフォノ・イコライザーがMM専用だったので、MCカートリッジも聴けるようにしたかったのかも知れない。そして1986年2月2日、ついにCDプレーヤーの登場となる。恐らく当時話題になっていたマランツのCD-34も候補だったはずだが、選んだのはパイオニアのPD-7010である。その日買った最初のCDは、ミルバ&アストル・ピアソラ"Live at the Bouffes du Nord"、スティーリー・ダンの"A Decade of Steely Dan"、ティアーズ・フォー・フィアーズの"The Hurting"の3枚だった。

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その後最初のMCカートリッジとしてオーディオテクニカのAT33ML/OCCを導入した。

1987年5月から1988年5月まではブエノスアイレスに滞在した。向こうで使うために確かアイワの海外仕様のラジカセを買い、日本語の歌を聴きたくなった時のために、斉藤由貴の『チャイム』などをカセットに入れて持って行ったのを覚えている。当時向こうの中古レコード店は宝の山で、大量のレコードを買うことになり、隣人から使っていないポータブルのプレーヤーを借りて聴いたりもした。ブエノスアイレスではSPレコードもかなり買い、蚤の市で買った小型の蓄音機共々持ち帰ったが(割とすぐに壊れた)、気軽に聴けるように、コロムビアのポータブル・レコード・プレーヤー、2190RMを購入した。

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※画像はネットから

1989年3月10日に家を出て東京都世田谷区へ引っ越し。そのタイミングでだったかどうかは覚えていないが、スピーカーをソニーのラ・ヴォーチェSS-A5に換えた。SP盤は2190RMでも聴くには聴けたが、ちゃんとオーディオで再生したいと思い、1989年12月18日、3スピードのベルトドライブ・プレーヤー、C.E.C.のST930Sを購入。実に30余年後の今も元気で稼働中の、私にとってなくてはならない大切なプレーヤーだ。

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カートリッジはAT33ML/OCCともサイズの合うオーディオテクニカのAT-MONO3/SP(SP盤用)、その後AT-MONO3/LP(モノラル盤用)を用意した。

1990年6月16日には世田谷区から川崎市多摩区へ引っ越した。その頃、カセット・デッキがA&DのGX-Z7100EVに換わっている。1991年頃にはデノンのカートリッジ、DL-103GLを買っていたが、何故買ったのかまったく覚えておらず、ほとんど使わないまま10年後に処分するはめになった。1993年頃、DATウォークマンのソニーTCD-D7を購入したが、これは1995年8月と1997年9月に取材のためにブエノスアイレスに行った際にも活用した。1994年頃、CDプレーヤーがマランツのCD-16に置き換わり、1997年頃にはメインのカートリッジが同じオーディオテクニカのAT33PTGとなった。1998年4月、青土社から『アストル・ピアソラ 闘うタンゴ』を上梓。執筆や編集で酷使したそれまでのパソコン(NECの98MULTi CanBe、型番は不明)からコンパックのWindows98パソコン、Presario 2240に買い替え、波形編集ソフトのWabeLabとISAバス用サウンドボード、CreamwareのMMportのセットを購入。アナログ音源のパソコンへの取り込み・編集や、パソコン内音源のオーディオへの送り出しが可能となった。録音はパソコンで行うようになり、DATやカセット・デッキは基本的に再生専用となった。1998年頃にはアンプが同じオンキョーのIntegra A-929に換わっているが、状況は覚えていない。

1999年に入る頃、癌を患っていた父親が倒れた。母親の面倒もみる必要もあり、川崎と鎌倉の実家を行き来するようになる。入院した父は4月に亡くなり、私は最終的に7月10日に実家に戻った(母はその後施設に入る)。古くなっていた家を改修し、窓を木枠からサッシに替えた。かつてアンサンブル・ステレオが置かれ、その後父が事務所として使っていた10畳の応接間を、オーディオ・ルーム兼仕事部屋として使わせてもらうことにして、壁一面にはTOSKAのLB1000シリーズという組立家具でレコード棚を、その対角にはCD棚を組み上げた。

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この画像は、オーディオシステムを撮った一番古い写真だ。スピーカーはソニーのSS-A5、ラックの左側下段がオンキョーA-929、その上はアイワの全世界対応のVHSテープ・デッキHV-MX100(今回はAV機器の変遷には触れなかった)、右側は下からマランツCD-16、真ん中の黒いのがA&DのGX-Z7100EV、その上の薄いのはどこからか貰ったチューナーで、ほとんど使わなかったしメーカーも覚えていない。スピーカーの間にある黒いのはケンウッドのレーザーディスク・プレーヤー。

1999年9月、スピーカーを新しくした。雑誌『オーディオ・アクセサリー』で紹介されていた、当時日本ではまだ無名だったイギリスのメーカー、モニター・オーディオのブックシェルフである702PMCが気になって、数少ない取扱店のひとつだった関内の横浜サウンドに試聴しに行ってみたら、その音離れのよさが気に入ってしまったのだ。

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これは702PMCの導入直後の写真。そして702PMCの導入以降、そのポテンシャルを引き出そうと、怒涛の買い替えモードに入ることになる。まず、CDプレーヤーをティアックのVRDS-25XSにした。DATウォークマンの調子が悪かったため、デッキとしてDTC-ZE700を購入。

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バキューム式レコード・クリーナーにVPIのHW16.5を導入(これは今もしっかり現役)。ラックをクアドラスパイアにした。次にMC専用フォノ・イコライザーとしてリンのLINTOを用意、プリメイン・アンプを逸品館の小型・別電源式のAirbow LITTLE PLANETにしてハイスピード化を狙った。モノラル盤やSP用のフォノ・イコライザーとして、カーブ可変型のサウンドボックス Mozart Phonoを導入。それに合わせてSP再生を極めようと、ソノヴォックスのバリレラ型、MC-4を入手(針を換えればモノラルLPも再生可能)。ついでにデノンのDL-102SDの中古まで買っているが、これはほとんど使わなかった。

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LITTLE PLANET(右側の下から3段目左が本体、左側の下から2段目右が電源部)が写っている唯一の写真。この後ステレオ・カートリッジがベンツマイクロのREFERENCEとなった。2000年2月までに一気にここまで進んだ後、ステレオ盤とモノラル盤、SPを掛け換える度にフォノケーブルを繋ぎ直すのが面倒になったため、5月に2台目のプレーヤーとしてノッティンガムのTHE SPACEDECKまで購入、ステレオ用とモノラル用のアナログ2台体制とした。6月にはモノラル盤用にオルトフォンのSPU Mono-Gの中古を手に入れた(これはMozart Phonoとの相性が良かった)。SP再生時のスクラッチノイズ軽減のためにマランツのグラフィック・イコライザーEQ-580も買ったが、これは結局なくても支障はなかった(最終的に2020年12月に売却)。LITTLE PLANETは音が平板に感じるようになり、入力端子が少なくケーブルの繋ぎ換えもまた面倒になったところで、ゴールドムンドのMIMESIS SR(プリメイン)の中古を9月にオーディオ・ユニオンで見つけて購入。11月には702PMCのために超弩級のスピーカースタンド、京都のガレージメーカーIronAAの弁慶を設置。12月にはGX-Z7100EXが故障してしまったため、パイオニアのT-D7を購入。ケーブルや電源への投資を含め、今思えばこの時期が、システムが一番贅沢だった。

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2001年2月に結婚し、翌年には子供も誕生、オーディオへの投資はひとまず打ち止めとなった。さすがにREFERENCEが分不相応に思えてきて、2002年3月にはメインのカートリッジをリーズナブルなオーディオテクニカのAT-ART200に変更。SPU Mono-Gもそのうちに針先を飛ばしてしまい、しまってあったAT-MONO3/LPが復活した。2006年9月、パソコンをNECのValueOne MT600/4D3W(Windows XP)に買い替え。もはや時代遅れのISAスロットはなくPCIスロットのみで、Presario 2240に挿していたMMportは使えなくなってしまった。そのパソコンとボードを処分したのは、さていつのことだったか。

時は流れ2011年5月、レコード・プレーヤーの2台使いも贅沢と感じられるようになり、資金繰りの必要もあってTHE SPACEDECKは売却。一方でパソコンと繋ぐオーディオ・インターフェイスとしてRMEのBabyfaceを導入、MIMESIS SRのテープ入出力端子に繋いで、録音や再生を受け持つパソコンとの連携が復活した。9月にはパソコンをPCワンズというショップのBTOパソコン(Micro gear A3850/H)に買い替え。このパソコンは、その後SSD、ハードディスク、ブルーレイドライブをそれぞれ換装し、Windows 7から10にアップデートしたものの、現在もしっかり使えている。

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2012年2月、メインのカートリッジがテクニカのAT33PTG/IIとなる。後は2014年8月にモノラル・カートリッジを同じテクニカのAT33MONOにした程度で、同じ機器を大切に使い続ける日々が続いた。VRDS-25XSは2016年9月に不調となり、6万円かけて修理したが、結局2019年末までには再びエラー頻発となり処分。CDはパソコンで再生することにしたが、特に不満はなかった。DATデッキはしばらくぶりに使おうとしたら作動せず、2020年5月に処分。

2019年4月に関内のディスク・ユニオンのセールで『内山田洋とクール・ファイブ・ゴールデン・ヒット・デラックス16』を140円で買って衝撃を受けたことが、次の動きへの大きなきっかけとなった。彼らのレコードを集めるうち、8トラック・カートリッジ・オンリーの音源があることが発覚、入手したその『クールファイブ デラックス』を再生すべく、ソニー初のホーム・オーディオ用8トラック・カートリッジ再生専用機として1968年9月に発売された「カートリッジ プレーヤー8」TC-6をヤフオクで500円で落札した。2020年5月12日に到着、インジケーターがひとつ切れていてジャンク品扱いだったが、ヘッドのクリーニングが必要だったことを除けば、何の問題もなく使用できている。詳しくは「8トラック・カートリッジ・プレーヤー導入とカートリッジ・テープ修復の巻」を参照されたい。

そしてクール・ファイブのCD-4(ディスクリート4チャンネル)盤が増えたことで、知人の勧めもあり4チャンネル・ステレオの再生環境を構築していくことになった。ただし往時の4chアンプや現代の5.1chのAVアンプは使わず、従来のステレオ・システムにリア部を組み込む形での導入である。そこからの経緯は「CD-4を中心とした4チャンネル・レコードの再生」「新たな機材の導入でノイズのないディスクリート4チャンネル・レコードの再生が実現」「アストル・ピアソラ・コレクション紹介/ディスクリート4チャンネル再生のその後」「オーディオテクニカVM750SH ―CD-4再生用カートリッジとしての理想―」で紹介してきたが、かいつまんでまとめると次のようになる。まず2020年10月20日、リア再生用にメルカリで購入したタスカムのパワード・モニター・スピーカー、VL-S3が到着。

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Babyfaceのヘッドホン端子からリア・チャンネル分の音声が取り出せるので、パソコンでのマルチチャンネル音源(DVDやブルーレイなどの5.1ch音声をミキサーで4.0chにダウンミックスしたものや、SQ盤などのマトリクス音源のWAVファイルやMP3ファイルをデコード・ソフトで4ch化したもの)の再生が可能となった。

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当時のスピーカーの置き方はこんな感じだ。ビクターのMM型カートリッジMD-1016の中古とシバタ針のJICO 30-1Xの新品を用意し、10月29日にメンテナンス済みのビクターのディスク・ディモジュレーターCD4-30を、調整を施したAさんの事務所に引き取りに行った。

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LINTOの上がCD4-30。かくしてCD-4盤の再生環境は整ったが、MD-1016と30-1Xの組み合わせではCD-4盤特有の嫌なノイズが出やすかった。

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2021年2月14日、生産終了による在庫処分で安くなっていたオルトフォンの高出力MCカートリッジMC-3 Turboを入手し、ノイズ問題は解消に向かった。

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CD4-30はMM型フォノイコライザーとしての性能も優れていたからLINTOは手放し、MCカートリッジのAT33PTG/IIやAT33MONOをCD4-30でも聴けるようMC昇圧トランスとしてフェイズテックのT-3の中古を入手してみた(3月9日到着)。

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AT33PTG/IIはマイクロリニア針だからCD-4盤の再生もできるはずだったが、T-3を経由したCD4-30での4ch再生ではノイズが乗りやすかった。そんな折、CD4-30の上位機種であるCD4-10の改造機(中身を、耐ノイズ性能に優れた第3世代ディモジュレーター用ICチップを搭載した基板に換装したもの)をAさんから譲って貰えることになった。それは3月22日に到着し、ノイズの除去性能の高さを確認したが、T-3経由でのMCカートリッジの使用はやはり厳しかった。昇圧トランスがだめならMCヘッド・アンプはどうだろうと思い、ヤフオクで売られていたマーク・レビンソンJC-1DC(1974年発売)の回路をベースにしたという電池駆動式の自作ヘッド・アンプを入手。

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最初はいいように思えたが、結局CD-4盤の再生に関していえば、セパレーション調整がうまくできなかったり、正しく定位しないなどの問題が見つかり、トランス経由であれヘッドアンプ経由であれ、MCカートリッジによる4ch再生は実用的ではないという結論に達した。ということでMCカートリッジもトランスもヘッド・アンプも処分することにして、9月24日にテクニカのVM型(MM型と実質的に同じ)であるシバタ針のVM750SH(ステレオおよびCD-4用)と接合丸針のVM610MONO(モノラル用)を導入、これが大正解だった。

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ここまできて、簡易的に導入したリア・チャンネル用のVL-S3が非力となってきたので、リア用のアンプとして小型デジタル・プリメインのフライング・モールCA-S3を、スピーカーとしてモニター・オーディオのBronze BR1(2006年発売)をそれぞれ中古で調達。11月8日に揃い、格段にバランスが良くなった。

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12月18日、ユニバーサル・プレーヤーとして2004年製でアナログマルチ出力のあるオンキョーのDV-SP155を中古で入手。マルチチャンネルを含むSACDやdts-CDの再生が可能になった。

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これは現在のセッティングで、上が8トラック・カートリッジ・プレーヤーTC-6、その左はST930Sの電源部、下は左がCA-S3、右がDV-SP155。

2022年1月27日、調べ物をしていて意外な事実が判明した。オーディオテクニカのAT-MONO3/SPは、SP用であるにも関わらず、SP用のイコライザーカーブよりもRIAAでバランスよく聴けるように設計されているとテクニカの社員から聞いたという、複数の方からの証言に辿り着いたのである。なぜメーカーがそんな大事なことを公表しないのか謎だが、実際にCD4-10改で聴いてみたら、確かにバランスが良かった。道理でAT-MONO3/SPのMozart  PhonoでのSPカーブによる再生がイマイチだったはずだ。高出力とはいえMCだからか、とも思っていたがそういうことではなかった。Mozart PhonoはSP用として使えるだけでなく、RIAAに統一される前(1955年以前)の初期盤LPにも対応していたが(もともと機種的にはそちらがメイン)、そもそも手持ちの初期盤はごくわずか。カーブ切り替えの効果もそれほど感じていなかったので、こちらも処分することに。フォノ・ケーブルの繋ぎ換えも必要なくなってすっきりした。詳しくは「割れたSPレコードの修復、オーディオテクニカAT-MONO3/SPによるRIAAカーヴでの快適なSP再生」を参照されたい。バリレラ型のMC-4にも思い入れはあったが、これも結局処分した。

さて、ここまで書かなかったことだが、実はメイン(フロント)のシステムには以前から不満があった。いつの頃からかもうはっきりとわからないが、低域が弱いと感じるようになっていたのである。といって買い換える予算もなく、気にしないようにしていた。原因は年数の経ったMIMESIS SRかなと思ったりもしていた。それに対しCA-S3とBR1の組み合わせは、元気がいいばかりでなく、スピーカーも小さいのに低域が出過ぎるぐらいバンバン出てきて過剰なほど。4chで聴いても、通常の2chの音源を前後で鳴らしても、低域はグッとリアに寄り、フロントから低域がきちんと出ていないことが明白になってきた。それでもだましだまし聴いていたが、それも限界となり、もうMIMESIS SRは処分して(それでもある程度の金額では売れるだろうから)、その金額で別のアンプでも買おうか、と考えたのが8月26日のこと。とりあえずMIMESIS SRを外して繋ぎ換えようとしてBR1を702PMCの上に乗せ、ふとアンプからのケーブルを繋ぎ換えてみたところ、予想もしなかったことが起きた。

MIMESIS SR → Silver Oval(ケーブル)→ Bronze BR1…低域がちゃんと出る!

CA-S3 → Crosslink 1S(ケーブル)→ 702PMC…低域が出過ぎない!

というわけで、本などの詰まったラックの上にチョコンと乗せた小さなBR1がフロント(メイン)のスピーカーに、ごっついスタンドに乗った大き目の702PMCがリア(サラウンド)のスピーカーに、という普通ならありえないだろう形になった(CA-S3は入力1系統なので、CD4-10から、DV-SP155から、Babyfaceからのそれぞれのリア分のケーブルをその都度差し替えていて、いろいろ繋ぐ必要のあるメインには使えない)。それに伴い、スピーカーに囲まれたセンターに置かれた事務机を180度回転させたところ、ケーブルの引き回しや座る位置からの操作性など、いろいろ都合のいいことも多かった(詳しくは次のイラスト参照)。

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こちらがリアからフロントになったBronze BR1。

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リア・スピーカーとなった702PMC。これで前後のスピーカーの低域を含む全体の質は、厳密に言えばまったく同じということはないがかなり揃ったし、4chのイメージも定位もきちんと取れるようになった。なんでこんな風になったのかさっぱりわからないというのが正直なところだが、原因はMIMESIS SRではなく702PMCの方にあったと考えるのが自然だろうか。それにしても、当初はリア用に気軽に買ったBronze BR1が予想以上に頑張ってくれているのはうれしい誤算だった。通常のステレオ再生でも、超低域までは出ていないにしても必要な低域はしっかり出してくれるし、部屋のレイアウトや使い勝手からも、この大きさがちょうどいい。高域にピークが感じられ、ソースによってはちょっとキツイものもあるので、その解消が今後の課題ではある。

ということで、シンプルになってきた今のシステムを改めて書いておこう。

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レコード・プレーヤー:C.E.C. ST930S
ステレオ/4ch用カートリッジ:audio-technica VM750SH
モノラル用カートリッジ:audio-technica VM610MONO
SP盤用カートリッジ:audio-technica AT-MONO3/SP
ディスク・ディモジュレーター/フォノ・イコライザー:Victor CD4-10改
ユニバーサル・プレーヤー:Onkyo DV-SP155
プリメイン・アンプ(フロント用):Goldmund MIMESIS SR
プリメイン・アンプ(リア用):Flying Mole CA-S3
スピーカー(フロント用):Monitor Audio Bronze BR1
スピーカー(リア用):Monitor Audio 702PMC
カセット・デッキ:Pioneer T-D7
8トラック・カートリッジ・プレーヤー:Sony TC-6
オーディオ・インターフェイス:RME Babyface

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