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2021年6月27日 (日)

内山田洋とクール・ファイブのレコード(13)~シングル「すべてを愛して」「女の意地」「女のくやしさ」とアルバム『影を慕いて』

前回、ライヴ・アルバム『豪華盤「クール・ファイブ・オン・ステージ」』を紹介した際、書き洩らしたことがあった。第9景のトーク・コーナーでの出来事だが、チャーリー石黒が司会の玉置宏から「清くんの魅力っていうのは、チャーリーさんはどう分析なさいますか?」と質問され、「よく彩木(雅夫)くんとも話したんですけど、要するに、日本人にない独特のヴィブラートとブレスですね、あの♪あ~あ~ っていうのはですね、あれはだいたいどっちかというと黒人的なムードですけど…」と話したところで、客席に笑いが起きるのである。すかさず「要するに、日本人にないカラーだと思います」と締め括ったチャーリーは、前川のことを黒人歌手にたとえて褒めているわけだが、客席の捉え方は残念ながら違ってしまったようだ。恐らくソウルやR&Bなどの熱心なファンは会場にはいたとしても極めて少なかっただろうし、当時は世間一般の中にまだ、黒人というものを笑ったり蔑んだりする対象として捉えてしまう傾向が強かったのではないか。その辺りが気になってしまい、些細なことかも知れないが書き留めておきたかった。

さて、1970年末以降のクール・ファイブの動きを追っておくと、11月から12月にかけて「噂の女」が第1回歌謡大賞・放送音楽賞、全国有線放送大賞、第12回日本レコード大賞・歌唱賞と、各賞を受賞している。年が明けて1971年1月1日から7日まで国際劇場で『森進一ショー』に出演。そして7枚目のシングルが発売となった。

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●シングル07

A) すべてを愛して
川内康範 作詞/鈴木 淳 作曲/森岡賢一郎 編曲

B) 愛のぬくもり
川内康範 作詞/内山田洋 作曲/森岡賢一郎 編曲

RCA JRT-1135 1971年1月5日発売

作詞は「逢わずに愛して/捨ててやりたい」以来の川内康範。作曲の鈴木淳は音楽之友社の雑誌『ポップス』の元編集長でもある。伊東ゆかり「小指の思い出」(1967年)、ちあきなおみ「四つのお願い」(1970年)などのヒット曲があり、クール・ファイブはアルバム『夜のバラード』で黒木憲の「霧にむせぶ夜」を取り上げていたが、書き下ろしのシングル曲はこれが唯一となった(アルバム収録曲では1973年7月発売の『内山田洋とクール・ファイブ 第6集』に千家和也作詞の2曲を提供)。オリコンでの最高位は24位、売上9万2千枚(メーカー発表では25万1千枚)と伸び悩んだ。カントリー・タッチのピアノに導かれた3連のロッカ・バラードで、いい曲だがインパクトにはやや欠けるか。

同様に川内の作詞によるB面の「愛のぬくもり」は、内山田が作曲したマイナーな8ビートの曲。イントロや間奏でのテナー・サックスのフレーズの終止に多用されるCマイナー・メジャー7thの響きが印象に残る。

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●シングル08

A) 女の意地
鈴木道明 作詞・作曲/森岡賢一郎 編曲

B) 京都の夜
秋田 圭 作詞/中島安敏 作曲/森岡賢一郎 編曲

RCA JRT-1155 1971年2月25日発売

両面ともカヴァー・アルバム『夜のバラード』からのシングル・カットで、ジャケットに使われた写真も流用されている。第8回で詳しく紹介したように、西田佐知子「女の意地」(1965年10月発売)の原曲は和田弘とマヒナ・スターズ「女の恋ははかなくて」(同年9月)である。1970年4月5日のアルバム発売から10か月も経って「女の意地」が急遽カットされたのは、10月に平浩二のカヴァーが出てオリコン42位、12月に出た西田の再録ヴァージョンが7位となったことにあやかろうとしたのが理由だろう。ひとつ前の「すべてを愛して」が1971年1月5日発売、次の「女のくやしさ」が4月5日発売と、両者の間隔はローテーション通りにきっちり3か月であり、その間に「女の意地」が臨発のような形で突っ込まれた感じだが、残念ながらオリコン43位、売上2万枚(メーカー発表13万6千枚)と、成果は上がらなかった。

カップリングの「京都の夜」は愛田健二のヒット曲(1967年6月発売)のカヴァー。

3月23日から29日までは国際劇場で『内山田洋とクール・ファイブ~すべてを愛して』公演。共演は中尾ミエ、大船渡、君夕子、吹雪ひろみ、ギャグメッセンジャーズ、宮尾たかし、ハッピー&ブルー、ブルー・ソックスとのこと。

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●シングル09

A) 女のくやしさ
鳥井みのる 作詞/猪俣公章 作曲/森岡賢一郎 編曲

B) 夢を捨てた女
有馬三恵子 作詞/内山田洋 作曲/森岡賢一郎 編曲

RCA JRT-1157 1971年4月5日発売

コンビで『内山田洋とクール・ファイブ 第2集』にも2曲を提供していた、鳥井みのる(「わかれ雨」)と猪俣公章(「噂の女」)の作詞・作曲による9枚目のシングル。オリコンの最高位は26位、売上は14万5千枚(メーカー発表27万3千枚)と、こちらも伸び悩み。スタイルは出来上がっているが、その分冒険している感じが弱いように感じられる。

内山田が作曲したカップリングの「夢を捨てた女」で、作詞に有馬三恵子が初登場。作詞家としては前述の伊東ゆかり「小指の思い出」や小川知子「初恋のひと」(1969年1月発売)など、当時夫だった鈴木淳とのコンビで作品を残した後離婚し、筒美京平と組んで南沙織の一連の作品を手掛けていく直前だった(「17才」のレコーディングは1971年4月末か5月初め、リリースは6月1日)。以降のクール・ファイブへの提供作品は、内山田を初めとするメンバーたちとの共作が大半を占めることになる。ここでの手応えは、内山田作品が初めてA面を飾ることになる次の「港の別れ唄」で早速実を結ぶことになるのだが、その話は次回。

そして5月、1971年最初のアルバムとして、『夜のバラード』以来のカヴァー集が登場した。

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アルバム05(カヴァー・アルバム02)

影を慕いて
RCA JRS-7127 1971年5月5日発売

Side 1
1) 影を慕いて
古賀政男 作詞・作曲/竹村次郎 編曲

2) 男の純情
佐藤惣之助 作詞/古賀政男 作曲/竹村次郎 編曲

3) 無情の夢
佐伯孝夫 作詞/佐々木俊一 作曲/竹村次郎 編曲

4) 君恋し
時雨音羽 作詞/佐々紅華 作曲/竹村次郎 編曲

5) 人生の並木道
佐藤惣之助 作詞/古賀政男 作曲/竹村次郎 編曲

6) 長崎物語
梅木三郎 作詞/佐々木俊一 作曲/竹村次郎 編曲

Side 2
1) 夜霧のブルース
島田磐也 作詞/大久保徳二郎 作曲/竹村次郎 編曲

2) 裏町人生
島田磐也 作詞/阿部武雄 作曲/竹村次郎 編曲

3) カスバの女
大高ひさを 作詞/久我山明 作曲/竹村次郎 編曲

4) 鈴懸の径
佐伯孝夫 作詞/灰田有紀彦 作曲/竹村次郎 編曲

5) 船頭小唄
野口雨情 作詞/中山晋平 作曲/竹村次郎 編曲

6) 城ヶ島の雨
北原白秋 作詞/梁田 貞 作曲/竹村次郎 編曲

『夜のバラード』がおおむね1960年代のヒット曲のカヴァーで占められていたのに対し、カヴァー・アルバム第2弾である本作は、大正時代から昭和30年(1955年)頃までの、いわゆる“懐メロ”と呼ばれた作品で構成されている。この手の企画の先駆けとなったのは、森進一の古賀政男作品集『影を慕いて』(1968年5月発売)あたりではないかと思われるが、そこでは作詞・作曲家のレコード会社専属制の縛りを解き、ビクターの森がコロムビアの古賀作品を取り上げたことでも話題となった。

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クール・ファイブのアルバムの方は、古賀作品はいずれも森の『影を慕いて』にも収録されていた3曲だけだが、森を意識してか同じタイトルが付けられた。全曲の編曲を竹村次郎が手掛けているが、バラエティーに富んだ秀逸なアレンジが施され、価値を高めている。アルバム収録12曲のうち「人生の並木道」「夜霧のブルース」を除く10曲は、1973年7月に4チャンネル盤としてもリリースされ(ジャケットと曲順は変更)、1975年9月にはBOX入りLP4枚組の好企画盤『昭和の歌謡五十年史』にも全曲が再収録された。

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以下の曲目解説は、その『昭和の歌謡五十年史』付属ブックレットに掲載された上山敬三による解説を一部参照させて頂いた。

「影を慕いて」は古賀政男の処女作。1929年、明治大学マンドリン倶楽部の定期演奏会でギター合奏曲として初演。翌年の佐藤千夜子(ビクター)による初録音は不発に終わったが、藤山一郎(本名:増永丈夫。当時は東京音楽学校生で、校外活動は禁止されていたためこの変名を使用した)のコロムビア盤でヒットした。藤山との出会いが、古賀のその後を決定づけた。

「男の純情」は1936年の日活映画『魂』の主題歌として、ビクターを経てテイチクに移籍していた時期の藤山一郎が歌った。

「無情の夢」は1935年にイタリア帰りの児玉好雄(ビクター)が歌った。憂鬱な味が時局にそぐわないと当局から厳重注意を受けたという。ホーンを活かしてリズミカルに仕上げた竹村の編曲が秀逸。

「君恋し」はレコード時代の幕開けを告げた1929年の大ヒット曲。その前年にあたる1928年は、それぞれ外国資本の日本コロムビア(明治創業の日本蓄音器商会を母体として1927年設立)と日本ビクター(詳しくは過去記事『“RCA”と“ビクター”と“ニッパー”の関係とその歴史』を参照されたい)が揃って国内制作の新譜をリリースし始めた年で、流行歌の企画・制作・販売というそれまでにない新しい手法を確立することにより、この2社が日本のレコード業界をリードしていくことになる。ビクターは浅草オペラで人気を博していた二村定一をスカウト、1928年秋には「アラビアの唄」もヒットさせていたが、それに続く1929年の大ヒットとなったのが「君恋し」である(発売は1928年12月20日)。作曲家の佐々紅華がこの曲を作詞作曲したのは1922年のことで、作者自身は「出来上がった曲は二村定一に練習して貰って東京レコードに吹き込んだ」と語っているが、この東京レコードの現物の存在は確認されていないようだ。その後浅草オペラの女性歌手、高井ルビーがニッポノホンに吹き込んだが関東大震災の影響もあってヒットせず。昭和に入り、人気者になっていた二村が改めてビクターで録音するに際し、佐々が元大蔵省の役人でビクターに入社して間もない時雨音羽に作詞を依頼したという経緯があった。時は流れて1961年、フランク永井が寺岡信三のアレンジを得てモダンなムード歌謡としてリニューアル。こちらも大ヒットとなり、同年の第3回日本レコード大賞を獲得。クール・ファイブ盤は、それをベースにまたひとひねりしたもので、シャッフル・アレンジが素晴らしい。

「人生の並木道」は1937年の日活映画『検事とその妹』主題歌。ディック・ミネのテイチク盤で大ヒット。

「長崎物語」は既に『豪華盤「クール・ファイブ・オン・ステージ」』でのメドレーの中の1曲として前回紹介した。そこでは1939年に由利あけみが歌い全国的にヒットしたと書いたが、改めて確認したところ、戦前から戦中・戦後にかけてタンゴを中心にした軽音楽の楽団として活躍したサクライ・イ・ス・オルケスタ(桜井潔とその楽団)による1940年のビクターへの録音の方が広く知られていたとのことだった。

「夜霧のブルース」は、これも前回「長崎エレジー」の項で紹介した、1947年の映画『地獄の顔』の主題歌の一つ。ディック・ミネとしては戦後最初のヒット曲となった。

「裏町人生」については、『昭和の歌謡五十年史』の上山敬三による解説をそのまま引用しておく。

作詞した岩田磐也は「新宿・神田あたりの裏町の酒場に働く女性の生態を描いた」といっている。かつて神田の酒場で働いた経験があるのでそれを生かしたもの、作曲の阿部武雄は古い職人気質と奇行で鳴った人だが、このときも横浜のチャブ屋街をくずれた皮のジャンパーにヴァイオリンで流しながら曲想を練ったという。上原敏がうらぶれた女の心情をよく歌い結城道子がそれに和して大流行。今も演歌調流行歌の代表の一つである。

「カスバの女」は1955年の芸映プロ『深夜の女』主題歌。エト邦枝の歌でリリース。作曲の久我山明は孫牧人のペンネーム。沢たまきら多数のカヴァーあり。

「鈴懸の径」は第二次世界大戦真っただ中の1943年に発売された灰田勝彦のビクター盤がオリジナル。学生生活への郷愁が歌われた、戦時色のない歌だったが、皮肉にも発売後まもなく、学徒動員令が下ったのだった。

「船頭小唄」は、近代日本の流行歌の基礎を築いた中山晋平、1921年の作品。歌詞に出てくる“枯れすすき”が1923年の関東大震災を招いたのではないかといわれなき非難を浴びたことから、以後1952年の中山の死まで、レコード化は封印されたという。クール・ファイブの演奏はギター伴奏からスタート、徐々に楽器が増え、ストリングスも加わった2番では3連のロッカ・バラード・スタイルになるという見事なアレンジで、それに乗せた前川の歌も実にエモーショナル。内山田はレコーディング後、「僕は、清とつきあって4年半になるけど、あいつの歌で泣かされたのは、今日がはじめてだ」と解説のタカタカシにしみじみ語ったそうである。

「城ヶ島の雨」についても上山の解説から引用。

「大正2年(1913年)の夏、早稲田音楽会から頼まれてこの舟唄一篇を作った」と北原白秋は書いている。白秋の母校早大の関係者で結成されている新劇の劇団芸術座が第一回公演として同年9月有楽座で『モンナ・バンナ』を上演したが、その前宣伝の音楽会のために、知友の詩人・相馬御風を通じて頼まれたもの。白秋は愛情問題のもつれから神奈川県三崎(今の三浦市)の見桃寺で失意の生活を送っていたときである。劇団の主宰者・島村抱月の書生・中山晋平が東京音楽学校(今の芸大音楽学部)の同級生・梁田貞を推せんして作曲が完成された。大正期を代表する名歌曲の一つで流行歌のように普及し、昭和に入っても歌われた。レコードは昭和10年代に斎田愛子、内本実、奥田良三その他の独唱で各社から出ているが、梁田の高弟、奥田の音域に合わせたものが標準とされている。他に山田耕筰、橋本国彦、小林三三らの作曲もあるが梁田版が最もよく知られている。

(文中敬称略、次回に続く)

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