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2021年6月

2021年6月27日 (日)

内山田洋とクール・ファイブのレコード(13)~シングル「すべてを愛して」「女の意地」「女のくやしさ」とアルバム『影を慕いて』

前回、ライヴ・アルバム『豪華盤「クール・ファイブ・オン・ステージ」』を紹介した際、書き洩らしたことがあった。第9景のトーク・コーナーでの出来事だが、チャーリー石黒が司会の玉置宏から「清くんの魅力っていうのは、チャーリーさんはどう分析なさいますか?」と質問され、「よく彩木(雅夫)くんとも話したんですけど、要するに、日本人にない独特のヴィブラートとブレスですね、あの♪あ~あ~ っていうのはですね、あれはだいたいどっちかというと黒人的なムードですけど…」と話したところで、客席に笑いが起きるのである。すかさず「要するに、日本人にないカラーだと思います」と締め括ったチャーリーは、前川のことを黒人歌手にたとえて褒めているわけだが、客席の捉え方は残念ながら違ってしまったようだ。恐らくソウルやR&Bなどの熱心なファンは会場にはいたとしても極めて少なかっただろうし、当時は世間一般の中にまだ、黒人というものを笑ったり蔑んだりする対象として捉えてしまう傾向が強かったのではないか。その辺りが気になってしまい、些細なことかも知れないが書き留めておきたかった。

さて、1970年末以降のクール・ファイブの動きを追っておくと、11月から12月にかけて「噂の女」が第1回歌謡大賞・放送音楽賞、全国有線放送大賞、第12回日本レコード大賞・歌唱賞と、各賞を受賞している。年が明けて1971年1月1日から7日まで国際劇場で『森進一ショー』に出演。そして7枚目のシングルが発売となった。

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●シングル07

A) すべてを愛して
川内康範 作詞/鈴木 淳 作曲/森岡賢一郎 編曲

B) 愛のぬくもり
川内康範 作詞/内山田洋 作曲/森岡賢一郎 編曲

RCA JRT-1135 1971年1月5日発売

作詞は「逢わずに愛して/捨ててやりたい」以来の川内康範。作曲の鈴木淳は音楽之友社の雑誌『ポップス』の元編集長でもある。伊東ゆかり「小指の思い出」(1967年)、ちあきなおみ「四つのお願い」(1970年)などのヒット曲があり、クール・ファイブはアルバム『夜のバラード』で黒木憲の「霧にむせぶ夜」を取り上げていたが、書き下ろしのシングル曲はこれが唯一となった(アルバム収録曲では1973年7月発売の『内山田洋とクール・ファイブ 第6集』に千家和也作詞の2曲を提供)。オリコンでの最高位は24位、売上9万2千枚(メーカー発表では25万1千枚)と伸び悩んだ。カントリー・タッチのピアノに導かれた3連のロッカ・バラードで、いい曲だがインパクトにはやや欠けるか。

同様に川内の作詞によるB面の「愛のぬくもり」は、内山田が作曲したマイナーな8ビートの曲。イントロや間奏でのテナー・サックスのフレーズの終止に多用されるCマイナー・メジャー7thの響きが印象に残る。

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●シングル08

A) 女の意地
鈴木道明 作詞・作曲/森岡賢一郎 編曲

B) 京都の夜
秋田 圭 作詞/中島安敏 作曲/森岡賢一郎 編曲

RCA JRT-1155 1971年2月25日発売

両面ともカヴァー・アルバム『夜のバラード』からのシングル・カットで、ジャケットに使われた写真も流用されている。第8回で詳しく紹介したように、西田佐知子「女の意地」(1965年10月発売)の原曲は和田弘とマヒナ・スターズ「女の恋ははかなくて」(同年9月)である。1970年4月5日のアルバム発売から10か月も経って「女の意地」が急遽カットされたのは、10月に平浩二のカヴァーが出てオリコン42位、12月に出た西田の再録ヴァージョンが7位となったことにあやかろうとしたのが理由だろう。ひとつ前の「すべてを愛して」が1971年1月5日発売、次の「女のくやしさ」が4月5日発売と、両者の間隔はローテーション通りにきっちり3か月であり、その間に「女の意地」が臨発のような形で突っ込まれた感じだが、残念ながらオリコン43位、売上2万枚(メーカー発表13万6千枚)と、成果は上がらなかった。

カップリングの「京都の夜」は愛田健二のヒット曲(1967年6月発売)のカヴァー。

3月23日から29日までは国際劇場で『内山田洋とクール・ファイブ~すべてを愛して』公演。共演は中尾ミエ、大船渡、君夕子、吹雪ひろみ、ギャグメッセンジャーズ、宮尾たかし、ハッピー&ブルー、ブルー・ソックスとのこと。

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●シングル09

A) 女のくやしさ
鳥井みのる 作詞/猪俣公章 作曲/森岡賢一郎 編曲

B) 夢を捨てた女
有馬三恵子 作詞/内山田洋 作曲/森岡賢一郎 編曲

RCA JRT-1157 1971年4月5日発売

コンビで『内山田洋とクール・ファイブ 第2集』にも2曲を提供していた、鳥井みのる(「わかれ雨」)と猪俣公章(「噂の女」)の作詞・作曲による9枚目のシングル。オリコンの最高位は26位、売上は14万5千枚(メーカー発表27万3千枚)と、こちらも伸び悩み。スタイルは出来上がっているが、その分冒険している感じが弱いように感じられる。

内山田が作曲したカップリングの「夢を捨てた女」で、作詞に有馬三恵子が初登場。作詞家としては前述の伊東ゆかり「小指の思い出」や小川知子「初恋のひと」(1969年1月発売)など、当時夫だった鈴木淳とのコンビで作品を残した後離婚し、筒美京平と組んで南沙織の一連の作品を手掛けていく直前だった(「17才」のレコーディングは1971年4月末か5月初め、リリースは6月1日)。以降のクール・ファイブへの提供作品は、内山田を初めとするメンバーたちとの共作が大半を占めることになる。ここでの手応えは、内山田作品が初めてA面を飾ることになる次の「港の別れ唄」で早速実を結ぶことになるのだが、その話は次回。

そして5月、1971年最初のアルバムとして、『夜のバラード』以来のカヴァー集が登場した。

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アルバム05(カヴァー・アルバム02)

影を慕いて
RCA JRS-7127 1971年5月5日発売

Side 1
1) 影を慕いて
古賀政男 作詞・作曲/竹村次郎 編曲

2) 男の純情
佐藤惣之助 作詞/古賀政男 作曲/竹村次郎 編曲

3) 無情の夢
佐伯孝夫 作詞/佐々木俊一 作曲/竹村次郎 編曲

4) 君恋し
時雨音羽 作詞/佐々紅華 作曲/竹村次郎 編曲

5) 人生の並木道
佐藤惣之助 作詞/古賀政男 作曲/竹村次郎 編曲

6) 長崎物語
梅木三郎 作詞/佐々木俊一 作曲/竹村次郎 編曲

Side 2
1) 夜霧のブルース
島田磐也 作詞/大久保徳二郎 作曲/竹村次郎 編曲

2) 裏町人生
島田磐也 作詞/阿部武雄 作曲/竹村次郎 編曲

3) カスバの女
大高ひさを 作詞/久我山明 作曲/竹村次郎 編曲

4) 鈴懸の径
佐伯孝夫 作詞/灰田有紀彦 作曲/竹村次郎 編曲

5) 船頭小唄
野口雨情 作詞/中山晋平 作曲/竹村次郎 編曲

6) 城ヶ島の雨
北原白秋 作詞/梁田 貞 作曲/竹村次郎 編曲

『夜のバラード』がおおむね1960年代のヒット曲のカヴァーで占められていたのに対し、カヴァー・アルバム第2弾である本作は、大正時代から昭和30年(1955年)頃までの、いわゆる“懐メロ”と呼ばれた作品で構成されている。この手の企画の先駆けとなったのは、森進一の古賀政男作品集『影を慕いて』(1968年5月発売)あたりではないかと思われるが、そこでは作詞・作曲家のレコード会社専属制の縛りを解き、ビクターの森がコロムビアの古賀作品を取り上げたことでも話題となった。

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クール・ファイブのアルバムの方は、古賀作品はいずれも森の『影を慕いて』にも収録されていた3曲だけだが、森を意識してか同じタイトルが付けられた。全曲の編曲を竹村次郎が手掛けているが、バラエティーに富んだ秀逸なアレンジが施され、価値を高めている。アルバム収録12曲のうち「人生の並木道」「夜霧のブルース」を除く10曲は、1973年7月に4チャンネル盤としてもリリースされ(ジャケットと曲順は変更)、1975年9月にはBOX入りLP4枚組の好企画盤『昭和の歌謡五十年史』にも全曲が再収録された。

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以下の曲目解説は、その『昭和の歌謡五十年史』付属ブックレットに掲載された上山敬三による解説を一部参照させて頂いた。

「影を慕いて」は古賀政男の処女作。1929年、明治大学マンドリン倶楽部の定期演奏会でギター合奏曲として初演。翌年の佐藤千夜子(ビクター)による初録音は不発に終わったが、藤山一郎(本名:増永丈夫。当時は東京音楽学校生で、校外活動は禁止されていたためこの変名を使用した)のコロムビア盤でヒットした。藤山との出会いが、古賀のその後を決定づけた。

「男の純情」は1936年の日活映画『魂』の主題歌として、ビクターを経てテイチクに移籍していた時期の藤山一郎が歌った。

「無情の夢」は1935年にイタリア帰りの児玉好雄(ビクター)が歌った。憂鬱な味が時局にそぐわないと当局から厳重注意を受けたという。ホーンを活かしてリズミカルに仕上げた竹村の編曲が秀逸。

「君恋し」はレコード時代の幕開けを告げた1929年の大ヒット曲。その前年にあたる1928年は、それぞれ外国資本の日本コロムビア(明治創業の日本蓄音器商会を母体として1927年設立)と日本ビクター(詳しくは過去記事『“RCA”と“ビクター”と“ニッパー”の関係とその歴史』を参照されたい)が揃って国内制作の新譜をリリースし始めた年で、流行歌の企画・制作・販売というそれまでにない新しい手法を確立することにより、この2社が日本のレコード業界をリードしていくことになる。ビクターは浅草オペラで人気を博していた二村定一をスカウト、1928年秋には「アラビアの唄」もヒットさせていたが、それに続く1929年の大ヒットとなったのが「君恋し」である(発売は1928年12月20日)。作曲家の佐々紅華がこの曲を作詞作曲したのは1922年のことで、作者自身は「出来上がった曲は二村定一に練習して貰って東京レコードに吹き込んだ」と語っているが、この東京レコードの現物の存在は確認されていないようだ。その後浅草オペラの女性歌手、高井ルビーがニッポノホンに吹き込んだが関東大震災の影響もあってヒットせず。昭和に入り、人気者になっていた二村が改めてビクターで録音するに際し、佐々が元大蔵省の役人でビクターに入社して間もない時雨音羽に作詞を依頼したという経緯があった。時は流れて1961年、フランク永井が寺岡信三のアレンジを得てモダンなムード歌謡としてリニューアル。こちらも大ヒットとなり、同年の第3回日本レコード大賞を獲得。クール・ファイブ盤は、それをベースにまたひとひねりしたもので、シャッフル・アレンジが素晴らしい。

「人生の並木道」は1937年の日活映画『検事とその妹』主題歌。ディック・ミネのテイチク盤で大ヒット。

「長崎物語」は既に『豪華盤「クール・ファイブ・オン・ステージ」』でのメドレーの中の1曲として前回紹介した。そこでは1939年に由利あけみが歌い全国的にヒットしたと書いたが、改めて確認したところ、戦前から戦中・戦後にかけてタンゴを中心にした軽音楽の楽団として活躍したサクライ・イ・ス・オルケスタ(桜井潔とその楽団)による1940年のビクターへの録音の方が広く知られていたとのことだった。

「夜霧のブルース」は、これも前回「長崎エレジー」の項で紹介した、1947年の映画『地獄の顔』の主題歌の一つ。ディック・ミネとしては戦後最初のヒット曲となった。

「裏町人生」については、『昭和の歌謡五十年史』の上山敬三による解説をそのまま引用しておく。

作詞した岩田磐也は「新宿・神田あたりの裏町の酒場に働く女性の生態を描いた」といっている。かつて神田の酒場で働いた経験があるのでそれを生かしたもの、作曲の阿部武雄は古い職人気質と奇行で鳴った人だが、このときも横浜のチャブ屋街をくずれた皮のジャンパーにヴァイオリンで流しながら曲想を練ったという。上原敏がうらぶれた女の心情をよく歌い結城道子がそれに和して大流行。今も演歌調流行歌の代表の一つである。

「カスバの女」は1955年の芸映プロ『深夜の女』主題歌。エト邦枝の歌でリリース。作曲の久我山明は孫牧人のペンネーム。沢たまきら多数のカヴァーあり。

「鈴懸の径」は第二次世界大戦真っただ中の1943年に発売された灰田勝彦のビクター盤がオリジナル。学生生活への郷愁が歌われた、戦時色のない歌だったが、皮肉にも発売後まもなく、学徒動員令が下ったのだった。

「船頭小唄」は、近代日本の流行歌の基礎を築いた中山晋平、1921年の作品。歌詞に出てくる“枯れすすき”が1923年の関東大震災を招いたのではないかといわれなき非難を浴びたことから、以後1952年の中山の死まで、レコード化は封印されたという。クール・ファイブの演奏はギター伴奏からスタート、徐々に楽器が増え、ストリングスも加わった2番では3連のロッカ・バラード・スタイルになるという見事なアレンジで、それに乗せた前川の歌も実にエモーショナル。内山田はレコーディング後、「僕は、清とつきあって4年半になるけど、あいつの歌で泣かされたのは、今日がはじめてだ」と解説のタカタカシにしみじみ語ったそうである。

「城ヶ島の雨」についても上山の解説から引用。

「大正2年(1913年)の夏、早稲田音楽会から頼まれてこの舟唄一篇を作った」と北原白秋は書いている。白秋の母校早大の関係者で結成されている新劇の劇団芸術座が第一回公演として同年9月有楽座で『モンナ・バンナ』を上演したが、その前宣伝の音楽会のために、知友の詩人・相馬御風を通じて頼まれたもの。白秋は愛情問題のもつれから神奈川県三崎(今の三浦市)の見桃寺で失意の生活を送っていたときである。劇団の主宰者・島村抱月の書生・中山晋平が東京音楽学校(今の芸大音楽学部)の同級生・梁田貞を推せんして作曲が完成された。大正期を代表する名歌曲の一つで流行歌のように普及し、昭和に入っても歌われた。レコードは昭和10年代に斎田愛子、内本実、奥田良三その他の独唱で各社から出ているが、梁田の高弟、奥田の音域に合わせたものが標準とされている。他に山田耕筰、橋本国彦、小林三三らの作曲もあるが梁田版が最もよく知られている。

(文中敬称略、次回に続く)

2021年6月 6日 (日)

内山田洋とクール・ファイブのレコード(12)~ライヴ・アルバム『豪華盤「クール・ファイブ・オン・ステージ」』

内山田洋とクール・ファイブの全レコード紹介、前回の更新から半年以上も間が開いてしまった。このペースだと永遠に終わらないので、あまり深入りせずにサクサク紹介していく形に切り替えていきたいと思うが、果たして上手くいくかどうか。今回は初のライヴ・アルバムを紹介する。

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●アルバム04(ライヴ・アルバム01)

豪華盤「クール・ファイブ・オン・ステージ」~1970年9月27日 日劇に於ける実況録音
RCA JRS-9043~44 1970年12月25日リリース

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1) オープニング

2) 長崎は今日も雨だった
永田貴子 作詞/彩木雅夫 作曲

3) わかれ雨
鳥井 実 作詞/彩木雅夫 作曲

4) 涙こがした恋
中山淳太郎・村上千秋 共作詞/城 美好 作曲

5) 捨ててやりたい
川内康範 作詞/城 美好 作曲

Side 2
1) 長崎のザボン売り
石本美由起 作詞/江口夜詩 作曲

2) 長崎シャンソン(誤)→長崎エレジー(正)
内田つとむ 作詞/上原げんと 作曲(誤)→島田磐也 作詞/大久保徳二郎 作曲(正)

3) 長崎の女
たなかゆきを 作詞/林伊佐緒 作曲

4) 長崎ブルース
藤浦 洸 作詞/古賀政男 作曲(誤)→吉川静夫 作詞/渡久地政信 作曲(正)

5) 長崎物語
梅木三郎 作詞/佐々木俊一 作曲

6) 長崎詩情
中山貴美 作詞・村上千秋 補作詞/城 美好 作曲

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1) ヴィーナス Venus
R.V. Leeuwen

2) 男と女 Un Homme et une Femme
F. Lai - P. Barouh

3) アンド・アイ・ラブ・ハー And I Love Her
J. Lennon - P. McCartney

4) 白い恋人たち 13 Jours en France
F. Lai - P. Barouh

5) イエスタデイ Yesterday
J. Lennon - P. McCartney

6) ちっちゃな恋人
なかやままり 作詞/井上かつを 作曲(正しくは かつお)

Side 2
1) 君といつまでも
岩谷時子 作詞/弾 厚作 作曲

2) 愛のいたずら
安井かずみ 作詞/彩木雅夫 作曲

3) 愛の旅路を
山口あかり 作詞/藤本卓也 作曲

4) 逢わずに愛して
川内康範 作詞/彩木雅夫 作曲

5) 噂の女
山口洋子 作詞/猪俣公章 作曲

6) フィナーレ

内山田洋とクール・ファイブ
唄/前川 清
9043 Side 2 (2) 唄/内山田洋
9043 Side 2 (3) 唄/小林正樹
9044 Side 1 (6) 唄/前川 清、辺見マリ
演奏/チャーリー石黒と東京パンチョス
構成・演出 広田康男
音楽 森岡賢一郎、内山田洋
司会 玉置 宏

2枚組で、副題にもあるように東京・有楽町の日劇で 1970年9月24日から7日間行われた「クール・ファイブ・ショー――やめて!噂の女」から、27日の公演を収録したものだ。浅井英雄の解説によれば、出演は内山田洋とクール・ファイブ、辺見マリ、獅子てんや・瀬戸わんや、大船渡。演奏はチャーリー石黒と東京パンチョス(封入された見開きカラーのシートには、公演中劇場に掲げられた看板の写真も載っていて、そこには司会の玉置宏のほか、ザ・シャンパーズの文字もみえるが、裏ジャケのステージ写真に写っているダンサーたちだろうか)。そしてショーの内容は次のようだったという。

第1景:クール・ファイブ登場
第2景:辺見マリ登場
第3景:新人、大船渡の初舞台
第4景:クール・ファイブ、ふるさとを歌う
第9景:クール・ファイブ、ポピュラーを歌う
第10景:秋空に向かって
第11景:ヒット・パレード

第3景の大船渡については連載第9回の8トラック・カートリッジ『演歌』の項を参照頂きたいが、第5景から第8景までがごっそり抜けていて、ステージの紹介文としては何とも不十分である。抜けているうちの一つはてんや・わんやの漫才だろうが、それ以外は不明。アルバムでは1枚目のA面に第1景、B面に第4景、2枚目のA面に第9景、B面に第10景~第11景が収められている。

まずは第1景。東京パンチョスによるオープニング・テーマの演奏、SEとナレーションに続いての「長崎は今日も雨だった」以下4曲では、クール・ファイブのメンバー自身、すなわち前川清(ヴォーカル)、内山田洋(ギター、コーラス)、岩城茂美(テナー・サックス、フルート、コーラス)、宮本悦朗(オルガン、ピアノ、コーラス)、小林正樹(ベース、コーラス)、森本繁(ドラムス)の6人による演奏を聴くことができる。2曲目は、第4回でも触れたようにセールスは伸びなかったが、内山田がMCで「大変私たちは素敵な曲だと信じております」と紹介しているセカンド・シングル「わかれ雨」。続いて、デビューのきっかけとなった曲で「長崎は今日も雨だった」のカップリングにもなったジャジーな「涙こがした恋」、サード・シングル「逢わずに愛して」のカップリングだった「捨ててやりたい」。この2曲のライヴ録音はここでしか聴けない貴重なもの。とりわけ「捨ててやりたい」のスウィンギーな演奏は白眉で、洋楽をベースに持つ彼らの知られざる実力が垣間見れる。

第4景は長崎をテーマにした曲が並んでいて、この内容は後にアルバム『長崎詩情』(1972年3月25日発売)に発展することになる。ここでは東京パンチョスの伴奏により、まず5曲がメドレーで演奏されるが、重大な表記ミスがあり、2曲目は正しくは「長崎エレジー」だが、誤って「長崎シャンソン」(1946年の樋口静雄のヒット曲)となっていて、歌詞も同曲のものが載り、解説にも堂々と書かれてしまっている。このアルバムにはジャケットの意匠を若干変更したセカンド・プレスもあるが、一切修正はされなかった。

メドレーを構成する5曲を紹介しておくと、まず「長崎のザボン売り」は作詞家・石本美由起の処女作となった1948年の作品で、歌謡同人誌『歌謡文芸』への投稿が作曲家・江口夜詩に認められ、小畑実の唄でヒットした。

続く「長崎シャンソン」ならぬ「長崎エレジー」は、ディック・ミネと藤原千多歌が歌った1947年の松竹映画『地獄の顔』主題歌。菊田一夫の戯曲『長崎』を原作に大曾根辰夫が監督したこの映画には、主題歌・劇中歌が全部で4曲ある。他の3曲はディック・ミネ「夜霧のブルース」(「長崎エレジー」同様作詞は島田磐也、作曲は映画全体の音楽も手掛けた大久保徳二郎で、クール・ファイブも後にカヴァー)、渡辺はま子「雨のオランダ坂」、伊藤久男「夜更けの街」(この2曲は菊田一夫作詞、古関裕而作曲)で、いずれもヒットした。この「長崎エレジー」の本来のタイトルは「長崎エレヂー―順三とみち子の唄―」で、西脇順三(水島道太郎)はならず者の主人公、香月みち子(月丘千秋)は順三に思いを寄せる孤児院の保母。ここでのヴォーカルは内山田で、後の『長崎詩情』でのスタジオ録音も同様である。

続いて小林が歌う「長崎の女(ひと)」は1963年の春日八郎の大ヒット曲。前川の歌に戻って、「長崎ブルース」は青江三奈1968年の大ヒット曲だが、レーベル面の作者クレジットは正しいものの、歌詞カードの作者表記と歌詞がまたしても誤りで、1954年に藤山一郎が歌った同名異曲(作詞は藤浦洸、作曲は古賀政男)のものになってしまっている。

メドレーの最後は「長崎物語」。原曲は1937年に橘良江が歌った「ばてれん娘」(作詞は佐藤松雄、作曲は佐々木俊一)で、これは天草での混血児の受難がテーマだったがヒットしなかった。その2年後の1939年、新聞記者だった梅木三郎がやはり混血児の“じゃがたらお春”をテーマに書いた歌詞を見たビクターのディレクターが、「ばてれん娘」のメロディに歌詞を当てはめてもらって仕上げたのが「長崎物語」で、由利あけみが歌い、全国的にヒットした長崎の歌としては第一号となった。戦後の1947年に改めてビクターが「長崎物語」をプッシュするに際し、由利は結婚して引退していたこともあり、「ばてれん娘」のオリジナル歌手である橘改め斎田愛子が歌うことになった。

最後に単独でファースト・アルバム『内山田洋とクール・ファイブ』に収録されていた「長崎詩情(ロマン)」を前川が歌い、このコーナーは締め括られる。

洋楽カヴァーを並べた第9景も、当時の彼らを知る上では重要。まずはオランダから世界に飛び出したショッキング・ブルーの「ヴィーナス」。ギターのロビー・ファン・レーベンの作品で、オランダ本国では1969年7月にリリース、1970年2月にアメリカのビルボード誌で第1位を獲得、日本でも春に大ヒットとなった。それを半年後に取り上げていたわけだが、このクール・ファイブの「ヴィーナス」、なんだか変だと最初から感じていた。最初のドラムスのタム回し、ギターのカッティング、エンディングに乱れがあるのである。それと同時に気になっていたのは、カラー・シートに載ったドラムスを叩く前川の写真。謎がある程度解決したつもりになったのは、1972年2月発売の2枚組ベスト『豪華盤「内山田洋とクール・ファイブ デラックス」第1集』内ジャケに掲載されていたこの写真を見た時だ。

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ステージ前方に内山田、森本、小林がハンド・マイクを持って立ち、前川がドラムスを叩き、岩城がギターを弾いている。本来の楽器の前にいるのは、オルガンの宮本だけだ。スーツではなく、ポロシャツやカラーシャツを着ていることからも、洋楽コーナーでの写真であることを物語っている。楽器の持ち替えであれば、余興的な位置づけと理解できる。だがこれで謎が解けたわけではない。「ヴィーナス」のヴォーカルは前川だが、トラム・セットの場所にはヴォーカル・マイクがないのである。そしてベースは誰が弾いているのか。サックス・ソロもちゃんとある。そして謎はまだある。裏ジャケットの写真も同じ衣装でのもので、前述の通り女性のダンサーたちも映っているが、前川はステージ中央でスポットライトを浴びて歌っている。だが、この洋楽コーナーで前川がソロで歌っているのは、「ヴィーナス」だけなのである。やはり「ヴィーナス」は持ち替えではなかったのか。それではあの写真は?

続く4曲はメドレーで、前川はお休み。メンバーのスキャットやヴォーカル・ハーモニーで進行していく。1曲目と3曲目はクロード・ルルーシュ監督の映画のためにフランシス・レイが作曲、ピエール・バルーが作詞した映画音楽で、彼らにとって出世作となった1966年の『男と女』のテーマ、そして1968年にフランスのグルノーブルで開催された第10回冬季オリンピックの記録映画『白い恋人たち―グルノーブルの13日―』のテーマ。

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2曲目と4曲目はザ・ビートルズの「アンド・アイ・ラブ・ハー」と「イエスタデイ」。どちらもポール・マッカートニーの作品だが、よく考えてみれば「アンド・アイ・ラブ・ハー」も映画『ア・ハード・デイズ・ナイト(旧邦題:ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!)』に使われていたから、映画音楽絡みと言えなくもない。「男と女」は例の♪シャバダバダ~のスキャット、「アンド・アイ・ラブ・ハー」はサックスが奏でるメロディにスキャットを絡ませ、「白い恋人たち」は宮本のピアノ中心、「イエスタデイ」はジャジーなアレンジに乗せたメンバーのコーラス・ハーモニーがいい雰囲気を醸し出す。内山田のギター・ソロもあり。

最後の「ちっちゃな恋人」は、オズモンド・ブラザーズの末弟であるジミー・オズモンドが7歳になる直前に、たどたどしい日本語で録音した和製ナンバー。1970年4月5日にシングル・リリースされ、オリコン2位の大ヒットに。

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ここではクール・ファイブの演奏をバックに、前川と辺見がたどたどしさを真似ながらデュエットしている。

第10景は司会の玉置を中心にチャーリー、内山田らによる思い出話からスタートし、歌はここでは1曲だけ。前川が初めて内山田と出会った時に披露したという加山雄三の「君といつまでも」(1965年12月発売)を、前川が東京パンチョスの演奏で歌う。

続いて第11景。当時最新ヒットだった「愛のいたずら」、そして「愛の旅路を」は再びクール・ファイブ自身による演奏。東京パンチョスの演奏に切り替わって「逢わずに愛して」「噂の女」で締めくくり。内山田の挨拶のあと、東京パンチョスによる「長崎は今日も雨だった」をモチーフにした短いエンディング・テーマで終了となる。

(文中敬称略、次回に続く)

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