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2021年2月27日 (土)

【旧記事再掲】タンゴ入門講座 その4 タンゴの音楽形式~タンゴ

旧サイト「tangodelic!」に連載していた記事「タンゴ入門講座」再掲載の第4回(元の連載の第11~13回分)。音楽形式の第2回は、そのものずばりタンゴだ。

タンゴの音楽形式(3) 「タンゴ」その1
(初出:2001年6月20日)

「ミロンガ」の項では、ミロンガという言葉の持ついくつかの意味について説明したが、タンゴという言葉も、広義の意味での“ジャンルとしてのタンゴ”と、その中の“音楽形式としてのタンゴ”とに分けて考えてみた方が判りやすい。あるいはそこに、“精神論としてのタンゴ”という項目を付け加えてもいいかも知れない。音楽形式の話をする前に、ジャンルと精神論について少し説明しておこう。

タンゴの楽団や歌手が演奏したり歌ったりするレパートリーは、そのほとんどが(形式としての)タンゴ、ミロンガ、ワルツ(スペイン語だとバルス)に分類される。これらの音楽が主にアルゼンチンの首都ブエノスアイレス及びウルグアイの首都モンテビデオ(この二つの都市はそれぞれラ・プラタ川を挟んだ対岸に位置する)で育まれて来たことから、これらを総称して“ムシカ・ポルテーニャ”(ポルテーニャ音楽。ポルテーニョ/ポルテーニャとは「港の」という意味の形容詞だが、転じて「ブエノスアイレスの」という意味で使われる)とか“ムシカ・リオプラテンセ”(ラ・プラタ川流域の音楽)などと呼ぶこともあるが、一般的ではないしなかなか判りにくい。ミロンガやワルツもひっくるめて、“タンゴ”と総称して全然構わないのである。

もうひとつの“精神論としてのタンゴ”だが、要するに、伝統的な形式に捕われずにタンゴのスピリットを持ち得た音楽のこと。その代表選手こそ、かのアストル・ピアソラである。ピアソラがきっかけでタンゴを聴き始めた方には信じ難い話かも知れないが、未だに多くの古典タンゴ・ファンにとって、ピアソラの音楽は「タンゴではない」のである。何故そういう話になるのか。それは、何を基準として、あるいはどこに視点を置いてタンゴに接するかという話にまでなるのだが、そのあたりはいずれ別項で詳しく触れるとして、ここではとりあえず、そういう考え方もあるということを記憶の隅に留めて頂きたい。

さて、本題に入ろう。タンゴ、あるいはその前身としてのミロンガの成り立ちは、「ミロンガ」の項でも簡単に書いたが、繰り返しておくと、19世紀の半ばから後半にかけて、同じリズムを持った3つの音楽、すなわちキューバから主にヨーロッパ経由で伝えられたハバネラ、スペインのアンダルシア地方から伝えられた(フラメンコの中の)タンゴ、パンパの吟遊詩人たちが歌うミロンガが、渾然一体となった中から、徐々に形作られてきたとされている。もちろんそこにはほかの様々な要素も複雑に絡んでいて、例えばヨーロッパ経由のダンス音楽であるワルツやポルカ、更にはウルグアイの黒人の間に伝えられて来たカンドンベなどからの影響も少なくなかった。ただし、レコードもない時代の、ブエノスアイレスの場末にあるボカという地区で起きた話であり、こうした経緯が正確な記録として残っているわけでない。後から研究者たちによっておおよその流れが解明されたような、曖昧さを残した物語なのである。

初めてタンゴという形式名で書かれた楽譜が出版されたのは1880年のこと。「バルトーロ」という曲で、今日演奏されることはまずない。今日まで演奏される最も古い曲といえば、1897年にロセンド・メンディサーバルpが作曲した「エル・エントレリアーノ(エントレリオス州の人)」。力強いリズム、自然な展開が印象的な作品で、後にアニバル・トロイロ楽団(編曲はピアソラ)やフアン・ダリエンソ楽団などによって立派な器楽タンゴに仕立て上げられた。手元にあるこの曲の一番古い録音は、1913年頃のターノ・ヘナロbnの五重奏によるもの。その録音時点で既に作曲されてから15年以上経過し、タンゴ界にバンドネオンが導入されたこともあって、演奏スタイル自体が作曲当時とは形を変えているはずだが、ミロンガ的なシンコペーションがベースになったその演奏は、今日の耳では随分のどかに聞こえる。それが後年のトロイロやダリエンソの演奏となると、ミロンガ的な感覚は一掃され、タンゴのリズムで押し切る感じになる。つまり、同じ曲でも演奏される時代によってリズム・パターンが変化したりするわけである。

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「エル・エントレリアーノ」の楽譜表紙

タンゴの音楽形式(4) 「タンゴ」その2
(初出:2001年6月27日)

タンゴにとって黎明期といえる1900年代から1910年代前半ぐらいに演奏されていた、タンゴのベーシックなリズム・パターンは、だいたい次の3つが1曲の中に組み合わされたような感じだったと思われる。

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Aがミロンガ的なパターン、Bはその変形(細かいパターン違いはほかにもあり、ここでは一つの例として挙げてみた)、Cが1910年代後半以降定着するタンゴの基本パターンである。Aは、ミロンガ的とはいっても、1930年代以降のミロンガのようにテンポは速くない。楽団編成にバンドネオンが加わり、フルートが淘汰され、ギターがピアノにその座を譲るのと歩調を合わせるかのように、タンゴの演奏パターンはA主体からC主体へと変わっていくのである。

ここで、前回ご紹介した「エル・エントレリアーノ」以降、1900年代までに生まれ、今日まで演奏され続けている主なタンゴをいくつか挙げておこう。

 ドン・フアン(エルネスト・ポンシオ作曲、1898年頃作曲)
 ウニオン・シビカ(市民連合)(ドミンゴ・サンタ・クルス作曲、1904年)
 ラ・モローチャ(エンリケ・サボリード作曲、アンヘル・ビジョルド作詞、1905年)
 (グラン・)オテル・ビクトリア(フェリシアーノ・ラタサ作曲、1906年)
 フェリシア(エンリケ・サボリード作曲、1907年)
 ヌエベ・デ・フリオ(7月9日)(ホセ・ルイス・パドゥラ作曲、1908年)

これらの曲は、いずれも作曲当時はAパターン主体で演奏されていたと思われるが、今日では、当時の雰囲気を再現する意図での演奏を除けば、通常はCパターンで演奏される。曲の根底を成すリズムパターンが変わっても命脈を保ち続けて来た、これらタンゴ黎明期の作品の生命力には、感嘆してしまう。

有名な「エル・チョクロ」(1903年)の作曲者であるアンヘル・ビジョルド(1861~1919)は、タンゴ界初のヒット・メーカーと言える存在である。代表作には「エル・エスキナーソ(街角)」(1902年?)「エル・ポルテニート」(1903年)などがある。そのビジョルドの一連の作品は、先に挙げた同時期の他の作曲家の作品と比べて、やや性格が異なる。彼の作品は、形式名が“タンゴ”と表記されていても、実際にはかなりミロンガに近く、上記の作品群のようにCパターンで演奏しても、どこかしっくりこない。それは、ビジョルドならではの個性が現れた結果とも言えるだろう。確かに「エル・チョクロ」は、Aパターン(というか、テンポの速いミロンガ)でもCパターンでも、どちらの演奏にもいいものがある。前者にはフルートをフィーチャーしたアルマンド・ポンティエル楽団の演奏などがあり、後者ではカルロス・ディ・サルリ楽団の演奏が定番だろう。一方、例えば「エル・ポルテニート」は、ミロンガ風に演奏しないとなかなか雰囲気が出ない。Cパターンで押し切るフアン・ダリエンソ楽団の演奏には違和感すら覚えるほどである。

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「エル・チョクロ」の楽譜表紙と作曲者のアンヘル・ビジョルド

ビジョルドに続く世代の優れた作曲家としては、ビセンテ・グレコ(1888~1924)、エドゥアルド・アローラス(1892~1924)の二人が挙げられよう。いずれもバンドネオン奏者であるところが、時代の変化を物語っている。グレコの出世作は「ロドリゲス・ペーニャ」「オホス・ネグロス(黒い瞳)」の2曲(いずれも1910年発表)。リズミカルで古典的な「ロドリゲス・ペーニャ」は割とどんな演奏も似合うが、美しいメロディを持ちスケールの大きな「黒い瞳」は、Cパターン、それもある程度凝ったアレンジの演奏でこそ映える。実際にこの曲は、モダン派の演奏家たちに特に好まれているのである。1911年の「ラ・ビルータ(カンナくず)」、1914年の「ラシング・クルブ(レーシング・クラブ)」は、いずれもアルフレド・ゴビ楽団の名演奏があり、もはや堂々たるタンゴといった印象が強い。一方のアローラスは、「バンドネオンの虎」の異名をとり、1910年代後半に「ラ・カチーラ」「デレーチョ・ビエホ」「エル・マルネ」など傑作の数々を残した大人物。処女作は、1909年の「ウナ・ノーチェ・デ・ガルーファ(酒宴の一夜)」で、アローラス自身の楽団による1913年のレコードが残されているが、既にAパターンよりCパターンの方の比重が大きくなっている。1916年の作品「ラ・ギタリータ」の自作自演盤(1917年録音)になると、もう完全にCパターンのみ。

グレコもアローラスも、30代でその短い命を閉じた。彼らが活躍したのは短い期間だったが、それはタンゴにとって最初の激動期と、見事に重なっていたのだった。この時代のほかのアーティストや作品の解説は、また次回。

タンゴの音楽形式(5) 「タンゴ」その3
(初出:2001年7月4日)

ビセンテ・グレコやエドゥアルド・アローラスに続いて作曲面で1910年代の立役者となったのは、ロベルト・フィルポ(「夜明け」「アルマ・デ・ボエミオ」)やフランシスコ・カナロ(「エル・チャムージョ」「エル・インテルナード」ほか)だったが(「コンフント」その1参照)、ここではもう一人の重要な作曲家であるアグスティン・バルディ(1884~1941)を紹介しておこう。本職は鉄道会社のサラリーマンで、演奏活動はほんの片手間に行った程度のバルディだが、作曲の才に恵まれ、1910年代から20年代にかけて「ティンタ・ベルデ(緑のインク)」「ロレンソ」「ケ・ノーチェ(何という夜)」「C.T.V.(セ・テ・ベ)」「エル・バケアーノ」「ティエリータ」「ラ・ウルティマ・シータ(最後の逢いびき)」「ヌンカ・トゥーボ・ノビオ(恋人もなく)」といった名作を残した。

Bardi
タンゴ史上最高の作曲家のひとり、アグスティン・バルディ
オラシオ・サルガンは「ドン・アグスティン・バルディ」を、オスバルド・プグリエーセは「アディオス・バルディ」を作曲し捧げている。

バルディの代表作のひとつに、1917年に発表された「ガジョ・シエゴ(盲目の雄鳥)」がある。この曲の第1部は次の譜例集のパターン〔a〕のような譜割りのモチーフの繰り返しで成り立っている。

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同じ譜割りのパターンは、例えばアローラス(バルディの親友でもあった)が同時期に書いた「レティンティン」や「ラ・ギタリータ」のメロディにも登場するが、バルディの「ガジョ・シエゴ」のほうがパターンが長く繰り返され、よりリズミカルである。この曲のように、メロディライン(あるいはそれ以外の対旋律など)に細かいリズムを構成する要素が内包されている作品が、タンゴには多い。メロディの譜割り〔a〕に対応する「ガジョ・シエゴ」の基本的なリズムは〔c〕と考えていいが、〔d〕や〔e〕への応用も可能である。そして、〔a〕もアクセントの位置を〔b〕のように変えてみると、また違ったビート感が生まれて来る。実際にオスバルド・プグリエーセ楽団による「ガジョ・シエゴ」では、〔b〕のアクセントのイントロが付いている。

さて、1910年代から20年代へと向かうにつれ、作曲家や作品の数も飛躍的に増え、タンゴの楽団演奏は、4分の2拍子から8分の4拍子へと変化していく。1920年代のカナロやフィルポの楽団などの録音を聴くと、譜例〔f〕のような、踏み締めるような4拍子の演奏が主体となっている。ただしそれは、ややもすると一本調子となりがちで、今日の耳には変化に乏しく感じる。そんな20年代において、一早くアレンジの重要性に着目し、メリハリの効いた個性的な音作りを目指したのがフリオ・デ・カロ六重奏団だった。デ・カロは、1曲の演奏の中にいくつものリズムパターンを散りばめた。先に挙げた〔c〕パターンや〔d〕パターンなども、曲の中で効果的に使われている。ちなみに、デ・カロ楽団の演奏で、彼ららしさが特によく出ているのは、優れた作曲家でもあったデ・カロ自身やメンバーたちによる作品の数々である。

時は流れ、個性的なオルケスタ・ティピカの数々が覇を競った1940年代以降、古典から当時の新しいレパートリーに至るまで、さまざまなアレンジが施されるようになり、それだけリズムパターンも多彩になった。基本となる4拍子〔f〕も、20年代の諸楽団に比べると表情は豊かである。オスバルド・プグリエーセが1946年に発表した「ラ・ジュンバ」は、プグリエーセのリズムに対するコンセプトが明快に提示された傑作。最初に耳に飛び込んで来るのは、バンドネオン・セクションを中心に繰り出される1拍3拍の強烈なスタッカートだが、その間を縫うように2拍4拍では、ピアノを弾くプグリエーセの左手が譜例〔g〕のように最低音部の鍵盤に叩き付けられ、ビート感を更に際立たせていた。そのプグリエーセ楽団の主要メンバーたちが楽団を脱退して1968年に結成したセステート・タンゴは、プグリエーセからの影響を明らかにしつつ独自の方向性を打ち出すために、2拍4拍に全体のアクセントを置いた演奏スタイルを打ち出していた。

ほかにもいろいろな例があるが、ちょっと変わったものでは、オラシオ・サルガンとウバルド・デ・リオがキンテート・レアルなどで多用する、シンコペーションの効いた〔h〕パターンがある。これは「ウンパ・ウンパ」と呼ばれるもので、4拍目と次の小節の1拍目とは、スラーで繋がっている。

最後に、アストル・ピアソラが得意とする3+3+2のパターン(譜例〔k〕)について説明しておこう。「アディオス・ノニーノ」や「リベルタンゴ」をはじめとして、多くの曲に登場するこのパターンの元になったのは、譜例〔i〕および〔j〕のパターンである。〔i〕は《「ミロンガ」その2》でご紹介した、セバスティアン・ピアナ作曲の「悲しきミロンガ」(ゆったりしたテンポのミロンガ)などのパターン。また、〔j〕はプグリエーセが1940年代後半に作曲し、ピアソラも1956年に弦楽オーケストラ編成で録音した「ネグラーチャ」などに使われていたパターンである。〔k〕のパターンは、ピアソラ自身の作品では、1948年の「ビジェギータ」に最初に現れ、1951年の実験作「タングアンゴ」(パーカッションを含む編成による録音)で大々的に使われた。以後、このパターンはピアソラのトレードマークのひとつとなり、モダン派のアーティストたちにも流用されている。

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