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2021年2月12日 (金)

【旧記事再掲】タンゴ入門講座 その1 タンゴの楽団編成~オルケスタ・ティピカ

ピアソラ生誕100年と、先日紹介したユニバーサルミュージックからのピアソラ7タイトル復刻とに絡めて、同社のサイトに「ピアソラが貫いたタンゴのモダン化とブエノスアイレスへのこだわり」という一文を寄稿した。ご一読いただければ幸いである。

さて、かつて2019年2月12日の記事「メールアドレスの変更とブログの引っ越し」でも触れたように、私自身の不注意から、自分のサイト「tangodelic!」は2016年11月に消滅してしまった。旧サイトでは2001年1年間かけて、全34回の「タンゴ入門講座」というのを連載していたのだが、最近とあるところから、学生向けにタンゴをわかりやすく解説してあるサイトはないかと相談を受け、思い出したのがその連載。幸い旧サイトのhtmlのイメージだけはパソコンに保存してあったので、今でも見ることができる。読み返したら、ネタ的に古い部分は当然あるものの、このまま使えないこともないのではないかということで、当時の原稿をそのまま当ブログに再掲することにした。全34回分を12回程度にまとめ、明らかに古い記述には注釈を付け加えることにした。今回は最初の3回分、オルケスタ・ティピカについてである。

タンゴの楽団編成(1) 「オルケスタ・ティピカ」その1
(初出:2001年2月14日)

オルケスタ・ティピカとは、アルゼンチン・タンゴでもっとも基本となる編成の楽団のこと。英語で言うとティピカル・オーケストラ、つまりスペイン語で“標準的楽団”という意味だが、中南米各国でそれぞれ自国の音楽を演奏する上での標準的な編成のことを指しているので(現在では頻繁に使われているとは言い難いが)、タンゴの場合は「アルゼンチンでの標準」ということになる。

タンゴの世界で初めてオルケスタ・ティピカを名乗ったのは、1910年のビセンテ・グレコ(バンドネオン)の楽団が最初だが、これは今日で言うところのティピカ編成とは異なる。あくまでも大まかな「当時の標準」だったということだ。この時の編成は、バンドネオン×2、ヴァイオリン×2、ギター、フルートという6重奏だった。ギターとフルートは、いずれも初期のタンゴ(特にバンドネオンの本格的な導入以前)のアンサンブルでは重宝された楽器だが、ギターはピアノに取って変わられ、またフルートはバンドネオンにその役割を奪われて、基本的な編成から姿を消していく。ギターの低音弦(ボルドーナ)が奏でていた響き(ボルドネオ)は、コントラバスの導入などで補われていった。

バンドネオンとヴァイオリン、ピアノ、コントラバスという組み合わせによる、現代の標準となるオルケスタ・ティピカの基本的な形は、1910年代後半から1920年代初頭にかけてエドゥアルド・アローラス(バンドネオン)やオスバルド・フレセド(バンドネオン)、フアン・カルロス・コビアン(ピアノ)らがそれぞれ率いていた楽団(おおむね5重奏から6重奏)によって徐々に形づくられていったが、歴史的に見て最も重要なオルケスタ・ティピカは、1924年に結成されたフリオ・デ・カロ楽団(6重奏)である。アローラス、フレセド、コビアンといずれの楽団にも参加して腕を磨いてきたヴァイオリン奏者のデ・カロは、兄で楽団のピアニストを務めたフランシスコ・デ・カロらの協力のもと、バンドネオン×2、ヴァイオリン×2、ピアノ、コントラバスという6重奏のスタイルを完成の域にまで高めることに成功した。

6todecaro
フリオ・デ・カロ楽団(1926年)
(左から)フリオ・デ・カロ(コルネット・ヴァイオリン、指揮)、フランシスコ・デ・カロ(ピアノ)、ペドロ・マフィア(バンドネオン)、エンリケ・クラウス(コントラバス)、ペドロ・ラウレンス(バンドネオン)、エミリオ・デ・カロ(ヴァイオリン)

それまでのタンゴの演奏は、乱暴に言ってしまえば、単純な「合奏」に近いものだった。それをデ・カロはこの6重奏団で大きく進歩させた。和声や対位法を駆使して豊かな響きを生み出し、楽団に於ける各楽器の役割を明確にさせたのである。1920年代当時の先端をいき、タンゴに於ける編曲という概念を作り上げたデ・カロこそは、後のアニバル・トロイロやオスバルド・プグリエーセ、更にはアストル・ピアソラにまで至る現代タンゴの基礎を築いた大人物と言えよう。後年ピアソラはデ・カロに捧げて「デカリシモ」(「とてもデ・カロ的な」という意味)という曲を書いている。

1930年代に入ると、他の楽団もデ・カロ自身も、更に豊かな響きを求めて、バンドネオンやヴァイオリンの数を増やし始める。そして1940年代にさしかかる頃には、バンドネオンが4人程度、ヴァイオリンに多くはヴィオラもしくはチェロ1本を加えた弦セクション4~5人程度、ピアノ、コントラバスという編成が一般的となる。これがオルケスタ・ティピカ編成の最終的な形である。あと、忘れてはならないことは、40年代当時のすべてのティピカが専属歌手制を採っていたことで、1~2名程度の歌手が楽団のもうひとつの看板となった。

要約すると、1920年代にはデ・カロ型の6重奏がオルケスタ・ティピカと呼ばれたが、現在では、オルケスタ・ティピカといえば1940年代以降定着したおおむね10~11人前後の編成のことを指し、例えば20年代のデ・カロ楽団のことは「デ・カロ6重奏団」などと呼んで区別するのが一般的、ということになる。

タンゴの楽団編成(2) 「オルケスタ・ティピカ」その2
(初出:2001年4月18日)

1940年代のオルケスタ・ティピカ人気の立役者となったのが、1935年に「電撃のリズム」をひっさげて登場したフアン・ダリエンソである。テンポを速くし、ダンス向けのタンゴのリズムを極端なまでにデフォルメしたスタイルのダリエンソは、瞬く間に人気を集め、1940年前後には、ほとんどの楽団がダリエンソの影響で演奏のテンポが速くなっていたほどである。

そして、1940年代のタンゴ黄金時代を名実共に代表したのが、バンドネオン奏者、アニバル・トロイロのオルケスタ・ティピカ。若き日のピアソラもトロイロの楽団で修業していたほか、数多くの優れた人材を排出したことでも知られている。デ・カロ・サウンドを継承する大きな存在であるトロイロ楽団は、50年代から60年代へと時代を経るごとにそのサウンドに重厚さを増していくのだが、歌手にフランシスコ・フィオレンティーノを擁し、躍動感に溢れたフレッシュなサウンドを奏でていた40年代前半の演奏はひときわ魅力的。そこで重要な役割を果たしていたのが、ピアノのオルランド・ゴニやコントラバスのキチョ・ディアスといった天才的なプレイヤーたちだった。ピアソラがそこで経験を積んだのは、非常に大きなことだったのである。

Troilo60s
1960年代のアニバル・トロイロ楽団
この時期は弦セクションをかなり増強しているのが判る。歌手ロベルト・ルフィーノの向こう側に立っているのがトロイロで、この時は指揮に専念しバンドネオンは弾いていない。第1バンドネオン(向かって一番左)はエルネスト・バッファ、その隣は若き日のラウル・ガレーロ。ピアノはオスバルド・ベリンジェリである。

1940~50年代を代表するオルケスタ・ティピカとしては、オスバルド・プグリエーセ、カルロス・ディ・サルリ、アルフレド・ゴビなどの楽団も重要だが、彼らについては別項にまとめておくことにしよう。この時期には、彼ら以外にも多くの人気楽団が活躍していたが、特に強い個性を持ったわけではない、あまり知られていないような楽団の演奏にも、注目すべきもの、ティピカ・サウンドの真髄と言えるものが数多く存在しており、当時のタンゴ界の裾野の広さを物語っている。

また、当時のオルケスタ・ティピカを語る上で欠かせないのが専属歌手の存在である。歌手は楽団の顔となり、楽団指揮者と人気を二分した。録音されたレパートリーを見ても、楽団によってその比率にバラ付きはあるものの、インストゥルメンタルよりも歌ものの方が多い。当時はタンゴ歌曲の名作が数多く生まれた時期でもあり、作曲ではトロイロやマリアーノ・モーレス、作詞ではオメロ・マンシやエンリケ・カディカモをはじめとする多くの作家たちが活躍、そうした当時の新曲を各楽団が競って取り上げるという形で、ヒット曲が次々と生まれていった。

インストゥルメンタルも同様ながら、新曲と並んで1900年代初頭の作品(例えば「エル・チョクロ」)以降の様々な時期に書かれた作品も、幅広く演奏されていた。また、各楽団の指揮者や演奏メンバーによる作品もどんどん発表されていて、自らの楽団はもとより、ほかの楽団に取り上げられることも多かった。なお、1960年代中期以降のピアソラのように、基本的に自分で書いたオリジナル作品しか演奏しないというケースは、タンゴ界では極めて例外的である。

結果的に同じ曲をさまざまな楽団が演奏することになるわけで、各楽団は編曲に趣向を凝らして差別化を計っていくことになるわけだが、そこで重要になってくるのが編曲家の存在である。指揮者や楽団員が自ら編曲を手掛けるケースがほとんどだが、アルヘンティーノ・ガルバンのような専属編曲家も活躍するようになった。ピアソラやエミリオ・バルカルセなども、自らの演奏活動以外に様々な楽団に編曲を提供していたのである。

タンゴの楽団編成(3) 「オルケスタ・ティピカ」その3
(初出:2001年4月25日)

これまでにも説明した通り、4台程度のバンドネオンに4~5本程度の弦楽器、ピアノ、コントラバスに歌手というのが、最終的に固まったオルケスタ・ティピカの編成であるが、いくつかの楽団の写真などを見たりしていると、この定型にはこだわらずに楽器を増やしているケースもあったことがわかる。前回のアニバル・トロイロ楽団の写真にもあるように、弦楽器を増やしたものが特に多いが、珍しい例としては、バンドネオンを10台以上もずらりと並べたものまであった。これは音に厚みを加えるのが主な目的だが、見た目の派手さ、豪華さを狙う側面もあったようだ。また、楽団によっては上記以外にクラリネット、ヴィブラフォン、ハープ、ドラムスなどの楽器を、あくまでも隠し味的にだが加えることもあった。そのように編成がより大きくなった場合には“グラン・オルケスタ・ティピカ”(大オルケスタ・ティピカ)などの名称が使われたりしていたが、その辺の定義はけっこう曖昧である。

全体的にオルケスタ・ティピカの演奏力が最高潮に達したのは1950年代前半だった。様々な可能性が試みられた結果として音楽的にも成熟していったわけだが、編成の制約からくる表現上の限界も見え隠れするようになっていた。それをいち早く見抜いたのが他ならぬアストル・ピアソラだった。ピアソラがブエノスアイレス八重奏団を結成してタンゴ革命ののろしを上げ、タンゴを擁護してきたペロン政権が失脚した1955年以降、新しいティピカの登場は著しく減少し、トロイロ、プグリエーセなどの一流どころを除けばティピカの解散が相次いだ。需要の減少による経済的な問題と、音楽的な飽和状態の両面から、オルケスタ・ティピカの時代は終わりを告げ、経済的な負担も少なく音楽的な自由度も高い小編成楽団の時代へと移行していったのである。

オルケスタ・ティピカは、若い演奏家たちにとっては、タンゴのエッセンスを修得する重要な場所であったし、聴き手にとっても、タンゴのダイナミズムを体感させてくれる大きな存在だった。例えば、オルケスタ・ティピカの演奏を聴く醍醐味のひとつは、バンドネオン・セクションによるバリエーション(変奏)だろう。バリエーションとは、主に曲の終盤に登場する細かい音のパッセージのことで、基本的には、バンドネオン全員が同じフレーズを一糸乱れぬ状態で紡いでいくのである。粒がビシッとそろっていながら音にふくらみもあるバリエーション、そのスリリングな盛り上がりは、感情の高まりを呼び起こしてくれる。オルケスタ・ティピカの減少は歴史の必然であったとはいえ、やはり残念な気がしてならない。

Darienzo
1959年のフアン・ダリエンソ楽団。
5人いるバンドネオン陣の手前から2人目が第1バンドネオンのカルロス・ラサリ。
バンドネオン・セクションの迫力ある演奏は、オルケスタ・ティピカの醍醐味のひとつだ。

60年代以降もオルケスタ・ティピカを率いていた巨匠たちがこの世を去っていく中、現在までティピカを率い続けているのはレオポルド・フェデリコぐらいになってしまったが(レギュラーでの演奏活動はさすがに行っていない)[注1]、最近ではフアン・ホセ・モサリーニのように、オルケスタ・ティピカ編成での演奏活動を行うケースが徐々に出て来ている。エミリオ・バルカルセのタンゴ学校オーケストラは、その名の通り、若手タンゴ・ミュージシャンにティピカでの演奏経験を積ませるのが目的で結成された楽団である。小松亮太は5月にオルケスタ・ティピカを率いてのコンサートを開催するが[注2]、これは必見だろう。オルケスタ・ティピカに果たして未来はあるのか? いや、そんなことよりも、とにかくティピカの生演奏に接する喜びを感じてみて欲しいのである。

注1:レオポルド・フェデリコは2014年12月28日に死去
注2:この翌年、2002年6月の小松亮太&オルケスタ・ティピカによるブルーノート東京での公演は『ライヴ・イン・Tokyo~2002』としてリリース

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