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2021年2月

2021年2月27日 (土)

【旧記事再掲】タンゴ入門講座 その4 タンゴの音楽形式~タンゴ

旧サイト「tangodelic!」に連載していた記事「タンゴ入門講座」再掲載の第4回(元の連載の第11~13回分)。音楽形式の第2回は、そのものずばりタンゴだ。

タンゴの音楽形式(3) 「タンゴ」その1
(初出:2001年6月20日)

「ミロンガ」の項では、ミロンガという言葉の持ついくつかの意味について説明したが、タンゴという言葉も、広義の意味での“ジャンルとしてのタンゴ”と、その中の“音楽形式としてのタンゴ”とに分けて考えてみた方が判りやすい。あるいはそこに、“精神論としてのタンゴ”という項目を付け加えてもいいかも知れない。音楽形式の話をする前に、ジャンルと精神論について少し説明しておこう。

タンゴの楽団や歌手が演奏したり歌ったりするレパートリーは、そのほとんどが(形式としての)タンゴ、ミロンガ、ワルツ(スペイン語だとバルス)に分類される。これらの音楽が主にアルゼンチンの首都ブエノスアイレス及びウルグアイの首都モンテビデオ(この二つの都市はそれぞれラ・プラタ川を挟んだ対岸に位置する)で育まれて来たことから、これらを総称して“ムシカ・ポルテーニャ”(ポルテーニャ音楽。ポルテーニョ/ポルテーニャとは「港の」という意味の形容詞だが、転じて「ブエノスアイレスの」という意味で使われる)とか“ムシカ・リオプラテンセ”(ラ・プラタ川流域の音楽)などと呼ぶこともあるが、一般的ではないしなかなか判りにくい。ミロンガやワルツもひっくるめて、“タンゴ”と総称して全然構わないのである。

もうひとつの“精神論としてのタンゴ”だが、要するに、伝統的な形式に捕われずにタンゴのスピリットを持ち得た音楽のこと。その代表選手こそ、かのアストル・ピアソラである。ピアソラがきっかけでタンゴを聴き始めた方には信じ難い話かも知れないが、未だに多くの古典タンゴ・ファンにとって、ピアソラの音楽は「タンゴではない」のである。何故そういう話になるのか。それは、何を基準として、あるいはどこに視点を置いてタンゴに接するかという話にまでなるのだが、そのあたりはいずれ別項で詳しく触れるとして、ここではとりあえず、そういう考え方もあるということを記憶の隅に留めて頂きたい。

さて、本題に入ろう。タンゴ、あるいはその前身としてのミロンガの成り立ちは、「ミロンガ」の項でも簡単に書いたが、繰り返しておくと、19世紀の半ばから後半にかけて、同じリズムを持った3つの音楽、すなわちキューバから主にヨーロッパ経由で伝えられたハバネラ、スペインのアンダルシア地方から伝えられた(フラメンコの中の)タンゴ、パンパの吟遊詩人たちが歌うミロンガが、渾然一体となった中から、徐々に形作られてきたとされている。もちろんそこにはほかの様々な要素も複雑に絡んでいて、例えばヨーロッパ経由のダンス音楽であるワルツやポルカ、更にはウルグアイの黒人の間に伝えられて来たカンドンベなどからの影響も少なくなかった。ただし、レコードもない時代の、ブエノスアイレスの場末にあるボカという地区で起きた話であり、こうした経緯が正確な記録として残っているわけでない。後から研究者たちによっておおよその流れが解明されたような、曖昧さを残した物語なのである。

初めてタンゴという形式名で書かれた楽譜が出版されたのは1880年のこと。「バルトーロ」という曲で、今日演奏されることはまずない。今日まで演奏される最も古い曲といえば、1897年にロセンド・メンディサーバルpが作曲した「エル・エントレリアーノ(エントレリオス州の人)」。力強いリズム、自然な展開が印象的な作品で、後にアニバル・トロイロ楽団(編曲はピアソラ)やフアン・ダリエンソ楽団などによって立派な器楽タンゴに仕立て上げられた。手元にあるこの曲の一番古い録音は、1913年頃のターノ・ヘナロbnの五重奏によるもの。その録音時点で既に作曲されてから15年以上経過し、タンゴ界にバンドネオンが導入されたこともあって、演奏スタイル自体が作曲当時とは形を変えているはずだが、ミロンガ的なシンコペーションがベースになったその演奏は、今日の耳では随分のどかに聞こえる。それが後年のトロイロやダリエンソの演奏となると、ミロンガ的な感覚は一掃され、タンゴのリズムで押し切る感じになる。つまり、同じ曲でも演奏される時代によってリズム・パターンが変化したりするわけである。

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「エル・エントレリアーノ」の楽譜表紙

タンゴの音楽形式(4) 「タンゴ」その2
(初出:2001年6月27日)

タンゴにとって黎明期といえる1900年代から1910年代前半ぐらいに演奏されていた、タンゴのベーシックなリズム・パターンは、だいたい次の3つが1曲の中に組み合わされたような感じだったと思われる。

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Aがミロンガ的なパターン、Bはその変形(細かいパターン違いはほかにもあり、ここでは一つの例として挙げてみた)、Cが1910年代後半以降定着するタンゴの基本パターンである。Aは、ミロンガ的とはいっても、1930年代以降のミロンガのようにテンポは速くない。楽団編成にバンドネオンが加わり、フルートが淘汰され、ギターがピアノにその座を譲るのと歩調を合わせるかのように、タンゴの演奏パターンはA主体からC主体へと変わっていくのである。

ここで、前回ご紹介した「エル・エントレリアーノ」以降、1900年代までに生まれ、今日まで演奏され続けている主なタンゴをいくつか挙げておこう。

 ドン・フアン(エルネスト・ポンシオ作曲、1898年頃作曲)
 ウニオン・シビカ(市民連合)(ドミンゴ・サンタ・クルス作曲、1904年)
 ラ・モローチャ(エンリケ・サボリード作曲、アンヘル・ビジョルド作詞、1905年)
 (グラン・)オテル・ビクトリア(フェリシアーノ・ラタサ作曲、1906年)
 フェリシア(エンリケ・サボリード作曲、1907年)
 ヌエベ・デ・フリオ(7月9日)(ホセ・ルイス・パドゥラ作曲、1908年)

これらの曲は、いずれも作曲当時はAパターン主体で演奏されていたと思われるが、今日では、当時の雰囲気を再現する意図での演奏を除けば、通常はCパターンで演奏される。曲の根底を成すリズムパターンが変わっても命脈を保ち続けて来た、これらタンゴ黎明期の作品の生命力には、感嘆してしまう。

有名な「エル・チョクロ」(1903年)の作曲者であるアンヘル・ビジョルド(1861~1919)は、タンゴ界初のヒット・メーカーと言える存在である。代表作には「エル・エスキナーソ(街角)」(1902年?)「エル・ポルテニート」(1903年)などがある。そのビジョルドの一連の作品は、先に挙げた同時期の他の作曲家の作品と比べて、やや性格が異なる。彼の作品は、形式名が“タンゴ”と表記されていても、実際にはかなりミロンガに近く、上記の作品群のようにCパターンで演奏しても、どこかしっくりこない。それは、ビジョルドならではの個性が現れた結果とも言えるだろう。確かに「エル・チョクロ」は、Aパターン(というか、テンポの速いミロンガ)でもCパターンでも、どちらの演奏にもいいものがある。前者にはフルートをフィーチャーしたアルマンド・ポンティエル楽団の演奏などがあり、後者ではカルロス・ディ・サルリ楽団の演奏が定番だろう。一方、例えば「エル・ポルテニート」は、ミロンガ風に演奏しないとなかなか雰囲気が出ない。Cパターンで押し切るフアン・ダリエンソ楽団の演奏には違和感すら覚えるほどである。

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「エル・チョクロ」の楽譜表紙と作曲者のアンヘル・ビジョルド

ビジョルドに続く世代の優れた作曲家としては、ビセンテ・グレコ(1888~1924)、エドゥアルド・アローラス(1892~1924)の二人が挙げられよう。いずれもバンドネオン奏者であるところが、時代の変化を物語っている。グレコの出世作は「ロドリゲス・ペーニャ」「オホス・ネグロス(黒い瞳)」の2曲(いずれも1910年発表)。リズミカルで古典的な「ロドリゲス・ペーニャ」は割とどんな演奏も似合うが、美しいメロディを持ちスケールの大きな「黒い瞳」は、Cパターン、それもある程度凝ったアレンジの演奏でこそ映える。実際にこの曲は、モダン派の演奏家たちに特に好まれているのである。1911年の「ラ・ビルータ(カンナくず)」、1914年の「ラシング・クルブ(レーシング・クラブ)」は、いずれもアルフレド・ゴビ楽団の名演奏があり、もはや堂々たるタンゴといった印象が強い。一方のアローラスは、「バンドネオンの虎」の異名をとり、1910年代後半に「ラ・カチーラ」「デレーチョ・ビエホ」「エル・マルネ」など傑作の数々を残した大人物。処女作は、1909年の「ウナ・ノーチェ・デ・ガルーファ(酒宴の一夜)」で、アローラス自身の楽団による1913年のレコードが残されているが、既にAパターンよりCパターンの方の比重が大きくなっている。1916年の作品「ラ・ギタリータ」の自作自演盤(1917年録音)になると、もう完全にCパターンのみ。

グレコもアローラスも、30代でその短い命を閉じた。彼らが活躍したのは短い期間だったが、それはタンゴにとって最初の激動期と、見事に重なっていたのだった。この時代のほかのアーティストや作品の解説は、また次回。

タンゴの音楽形式(5) 「タンゴ」その3
(初出:2001年7月4日)

ビセンテ・グレコやエドゥアルド・アローラスに続いて作曲面で1910年代の立役者となったのは、ロベルト・フィルポ(「夜明け」「アルマ・デ・ボエミオ」)やフランシスコ・カナロ(「エル・チャムージョ」「エル・インテルナード」ほか)だったが(「コンフント」その1参照)、ここではもう一人の重要な作曲家であるアグスティン・バルディ(1884~1941)を紹介しておこう。本職は鉄道会社のサラリーマンで、演奏活動はほんの片手間に行った程度のバルディだが、作曲の才に恵まれ、1910年代から20年代にかけて「ティンタ・ベルデ(緑のインク)」「ロレンソ」「ケ・ノーチェ(何という夜)」「C.T.V.(セ・テ・ベ)」「エル・バケアーノ」「ティエリータ」「ラ・ウルティマ・シータ(最後の逢いびき)」「ヌンカ・トゥーボ・ノビオ(恋人もなく)」といった名作を残した。

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タンゴ史上最高の作曲家のひとり、アグスティン・バルディ
オラシオ・サルガンは「ドン・アグスティン・バルディ」を、オスバルド・プグリエーセは「アディオス・バルディ」を作曲し捧げている。

バルディの代表作のひとつに、1917年に発表された「ガジョ・シエゴ(盲目の雄鳥)」がある。この曲の第1部は次の譜例集のパターン〔a〕のような譜割りのモチーフの繰り返しで成り立っている。

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同じ譜割りのパターンは、例えばアローラス(バルディの親友でもあった)が同時期に書いた「レティンティン」や「ラ・ギタリータ」のメロディにも登場するが、バルディの「ガジョ・シエゴ」のほうがパターンが長く繰り返され、よりリズミカルである。この曲のように、メロディライン(あるいはそれ以外の対旋律など)に細かいリズムを構成する要素が内包されている作品が、タンゴには多い。メロディの譜割り〔a〕に対応する「ガジョ・シエゴ」の基本的なリズムは〔c〕と考えていいが、〔d〕や〔e〕への応用も可能である。そして、〔a〕もアクセントの位置を〔b〕のように変えてみると、また違ったビート感が生まれて来る。実際にオスバルド・プグリエーセ楽団による「ガジョ・シエゴ」では、〔b〕のアクセントのイントロが付いている。

さて、1910年代から20年代へと向かうにつれ、作曲家や作品の数も飛躍的に増え、タンゴの楽団演奏は、4分の2拍子から8分の4拍子へと変化していく。1920年代のカナロやフィルポの楽団などの録音を聴くと、譜例〔f〕のような、踏み締めるような4拍子の演奏が主体となっている。ただしそれは、ややもすると一本調子となりがちで、今日の耳には変化に乏しく感じる。そんな20年代において、一早くアレンジの重要性に着目し、メリハリの効いた個性的な音作りを目指したのがフリオ・デ・カロ六重奏団だった。デ・カロは、1曲の演奏の中にいくつものリズムパターンを散りばめた。先に挙げた〔c〕パターンや〔d〕パターンなども、曲の中で効果的に使われている。ちなみに、デ・カロ楽団の演奏で、彼ららしさが特によく出ているのは、優れた作曲家でもあったデ・カロ自身やメンバーたちによる作品の数々である。

時は流れ、個性的なオルケスタ・ティピカの数々が覇を競った1940年代以降、古典から当時の新しいレパートリーに至るまで、さまざまなアレンジが施されるようになり、それだけリズムパターンも多彩になった。基本となる4拍子〔f〕も、20年代の諸楽団に比べると表情は豊かである。オスバルド・プグリエーセが1946年に発表した「ラ・ジュンバ」は、プグリエーセのリズムに対するコンセプトが明快に提示された傑作。最初に耳に飛び込んで来るのは、バンドネオン・セクションを中心に繰り出される1拍3拍の強烈なスタッカートだが、その間を縫うように2拍4拍では、ピアノを弾くプグリエーセの左手が譜例〔g〕のように最低音部の鍵盤に叩き付けられ、ビート感を更に際立たせていた。そのプグリエーセ楽団の主要メンバーたちが楽団を脱退して1968年に結成したセステート・タンゴは、プグリエーセからの影響を明らかにしつつ独自の方向性を打ち出すために、2拍4拍に全体のアクセントを置いた演奏スタイルを打ち出していた。

ほかにもいろいろな例があるが、ちょっと変わったものでは、オラシオ・サルガンとウバルド・デ・リオがキンテート・レアルなどで多用する、シンコペーションの効いた〔h〕パターンがある。これは「ウンパ・ウンパ」と呼ばれるもので、4拍目と次の小節の1拍目とは、スラーで繋がっている。

最後に、アストル・ピアソラが得意とする3+3+2のパターン(譜例〔k〕)について説明しておこう。「アディオス・ノニーノ」や「リベルタンゴ」をはじめとして、多くの曲に登場するこのパターンの元になったのは、譜例〔i〕および〔j〕のパターンである。〔i〕は《「ミロンガ」その2》でご紹介した、セバスティアン・ピアナ作曲の「悲しきミロンガ」(ゆったりしたテンポのミロンガ)などのパターン。また、〔j〕はプグリエーセが1940年代後半に作曲し、ピアソラも1956年に弦楽オーケストラ編成で録音した「ネグラーチャ」などに使われていたパターンである。〔k〕のパターンは、ピアソラ自身の作品では、1948年の「ビジェギータ」に最初に現れ、1951年の実験作「タングアンゴ」(パーカッションを含む編成による録音)で大々的に使われた。以後、このパターンはピアソラのトレードマークのひとつとなり、モダン派のアーティストたちにも流用されている。

2021年2月23日 (火)

CD-4を中心とした4チャンネル・レコードの再生

オーディオの黒歴史とすら言われた4チャンネル・レコードの再生環境づくりが進んでいる。きっかけは、昨年(2020年)10月4日のFacebookへの次の書き込みだった。

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家では4チャンネルを聴ける環境にないのに、「資料だから」と集めているクール・ファイブの4ch盤。それでも、通常のステレオで聴いてもミックス違いが楽しめる曲もある。鳴り物入りでの発売から衰退までが短かった4chだが、ちょうど彼らの全盛期とダブっているので、全部で15タイトルも出ている。先日ようやくここまで揃った。残りはライヴ1種、カヴァー2種だから、彼らのオリジナル曲は一応カヴァーできたことになる。

これを書いた時点では、実際に“4チャンネルを聴ける環境”が作れるとはまったく考えていなかったし、どうすればいいかという知識もなかった。ところが、これに対して「是非、家で4chを聴ける環境にしましょう」とコメントしてきたのが、“4ちゃんねらー”として4チャンネル愛好家に知られる中澤邦明氏であった。躊躇する私に「リアスピーカーは小さいものでもいいと思います。後ろから音を出せる事が重要なので」と畳み掛けられ、心が大きく動いた。もしかしたら実現できるのか?

1970年代前半に登場した4チャンネル・レコードには、大きく分けて2つの方式があった。ひとつは周波数シフト応用のディスクリート(完全分離)方式で、ビクターが開発し商品化したCD-4が代表的なもの。もうひとつは位相シフト応用のマトリクス方式で、サンスイが開発したQSとそこから派生して業界の標準となったRM(レギュラー・マトリクス)、ソニーと米CBSが提唱したSQが中心だが、互換性が確保されながらも微妙に異なる他の方式もある。こうした方式の乱立ぶりとソフトの不揃いさが音楽ファン、オーディオ・ファンの間での混乱を招き、普及を妨げた大きな要因であるとは、広く言われていることである。

SQおよびQS/RM方式のレコードは、通常の2チャンネル・ステレオとしても再生できるが、クール・ファイブはRCAからのリリースだから、4ch盤はCD-4方式である。ステレオ再生は可能だが盤がダメージを受けやすく、あまり勧められるものではない(詳しくは後述)。中澤さんがまず教えてくれたのは、CD-4の再生には何が必要で、それを入手するにはどうすればいいかということだった。

CD-4は、左右それぞれのチャンネルの可聴帯域(20Hz~15kHz)にフロント+リアの和信号、可聴帯域外である30kHzのキャリア(搬送波)にFM変調された差信号が記録されているため、その帯域以上を読み取れる特殊なレコード針(シバタ針またはラインコンタクト針)を備えたカートリッジと、そこからの信号をフォノイコライザー機能も兼ねながら4チャンネル分の信号に復調して出力するディスク・ディモジュレーターが必要だ。対応するMM型カートリッジは、当時ビクターが開発し主力商品としたMD-1016の中古が比較的出回っているのでそれを入手できればよく、針に関してはビクターの4ch用シバタ針4DT-1Xと同等品のJICO 30-1Xが今でも新品として買えるということだった。

問題はディモジュレーターの方だが、中澤さんから思いがけない情報が得られた。多くはジャンク品としてオークションに出品されているディモジュレーターや4chアンプなど1970年代当時の機器を落札しては修理・調整してしまうという奇特な方と知り合いになり、中澤さんにとって“4chの師匠”だというそのAさんに、周囲で4chに興味を持った人を既に何人も紹介しているというのだ。機器の良し悪しも修理に関しても皆目見当がつかないこちらとしては、これ程ありがたい話はない。早速問い合わせてもらうと、修理済みのビクターのディモジュレーターCD4-30(1972年秋の発売。ちなみに海外でのブランドと品番はJVC 4DD-5)が1台あるという。これを適価で譲って頂けることになった。

さて、入り口の方はわかったが、出口まで、つまりアンプとスピーカーをどうするか。予算やスペースの問題もあり、往年の4chアンプもしくは現在普及している5.1chのAVシステムを導入して、システムを肥大化させるつもりはなかった。現在のオーディオシステムをそのままフロント部として使い、簡易的なリア部をそこに組み込んでしまえばいいと考えたわけで、ヒントになったのは、先に紹介した中澤さんの「リアスピーカーは小さいものでもいいと思います」の一言だった。当初4chなんて無理と思っていたのは、リアスピーカーなんて置く場所もないと考えていたからだが、卓上タイプの小さいものなら、可動式CDラックの上に置けそうだ。もともと部屋のオーディオはニアフィールド・リスニング用のセッティングだから、スピーカーは隅に置くのではなく、中央寄りに小ぢんまりと置けばいいのではないか。ということでアンプ内蔵のパワードモニタースピーカーで手軽な物はないかなと検討し、TASCAMのVL-S3に決定。実売9,000円程度だが、メルカリで6,000円で買えた。

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CD4-30をAさんのところに引き取りに行く1週間ほど前にVL-S3が届いたので、パソコンからの4ch再生を先に始めることになった。パソコンからの再生については、パソコンとオーディオを繋いでデジタル⇔アナログ変換を担うオーディオ・インターフェイスとしてRMEのBabyfaceを使っていたのが、結果的に大変役に立った。調べてみると、パソコン上のBabyface用オーディオミキサーTotalMix Fxで、パソコンで再生したDVDやブルーレイの5.1chを4.0チャンネルにダウンミックスすることが可能だった。そしてBabyfaceのアナログ側のステレオ入出力ケーブルはオーディオ・アンプのテープ入出力端子と繋いでいるのだが、それとは別にリアの音声をヘッドホン端子から取り出せることがわかった。前後のヴォリュームは別々に調整しなければならないが、分けて出せればとりあえずOK。

また、SQ/QSデコーダーがなくても、パソコンに取り込んだマトリクス音源(エンコードされたものであれば、ソースはLPでもCDでもYouTubeでも良い)のWAVファイルをデコードソフトを使って4ch化できることもわかった。これを実践するにあたり、尾上祐一さんのブログ記事『昔あった4チャンネル・ステレオ・レコードを聴く』が大変参考になった。4chレコードで一番流通量が多いのがCBS・ソニーのSQ盤だが、手持ちは多くないので、このやり方で今のところ間に合っている。

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そして10月29日、念願のCD4-30をAさんの事務所から持ち帰ってセッティング。Facebookには翌日このように報告した。

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昨日、調整済みのビクターのCD-4ディモジュレーター、CD4-30が我が家にやってきた(CD-4は、日本ビクターが開発したディスクリート方式4チャンネル・レコード)。準備しておいたCD-4用カートリッジ(MD-1016+JICOの新品シバタ針30-1X)をセットし、セパレーション調整を行い、ついに再生環境が整った。その2日前までには、ビクターが1972年から75年にかけて国内向けに制作したタンゴの4チャンネル・レコード、それも状態の良いもの9点が一気に揃えられたのも嬉しかった。ということで我が家でのCD-4リスニングはこの25枚(+テスト・レコード1枚)からスタート。

かくしてCD-4の再生環境が整ったのだが、いろいろと気になることも出てきた。一番厄介だったのは、特に内周部のレベルの高い部分に頻繁に付帯するバリバリという非常に耳障りなノイズだ。CD-4盤は高周波数帯まで再生する必要もあり、線速度が遅くなるだけでもノイズの影響を受けやすく、キャリアの読み取り精度も落ちることから、内周の送り溝の部分は通常のレコードよりも幅を広くしてある。

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それでも中古のCD-4盤には、見た目は奇麗でも実際に4チャンネル再生すると酷いノイズを発生する盤も多いと聞いていた。専用ではない一般のカートリッジを使い、針先の形状と針圧が適切でなかった場合にダメージを受けやすいというのが主な原因のようだ。

本来CD-4盤の再生には、専用のカートリッジを使用しなければならないはずだった。Aさんがディモジュレーターのおまけに付けてくれた調整用テスト・レコードには「このレコードは、CD-4用カートリッジで再生して下さい。従来のステレオ用カートリッジでこのレコードを演奏しますとレコードを痛めますので絶対に御使用にならぬようお願い致します(針圧は2.0g以下で演奏して下さい)」との注意書きがあった。だが実際に商品として販売されたものには「このレコードを従来のステレオ装置にかけますと、2チャンネル・ステレオとしてお楽しみいただけます」と書かれた下に小さく「将来、4チャンネルでお聞きになる場合も考えて、できるだけ針圧の軽いピック・アップをご使用ください」と遠慮がちに書いてあり、米RCAのquadradisc(CD-4の商標)にも"THIS COMPATIBLE STEREO / 4-CHANNEL RECORD is designed for performance on stereo or discrete CD-4 quadraphonic systems"と書いてあった。恐らくは間口を広げないとなかなか売上げに結びつかないという事情が背景にあったのではないかと推察される。

もともと4chは定位が不明確になりがちだが、もうひとつ気になったのが、フロント左右の音量差。どうも右が弱いので、ヴォーカルがセンターに定位せず左に寄ってしまい(リアは問題なし)、原因もこの時はわからないまま。先のノイズの発生率の高さ、スクラッチノイズがやたら増幅される点などとも相まって、落ち着いて音楽に没頭できる雰囲気ではなくなり、段々と聴く機会も減っていってしまった。

そんな折の12月下旬、またも中澤さん経由でAさんから驚くべき情報がもたらされた。要約すると、私も入手したCD4-30はビクターのディモジュレーターの中でも第2世代に当たり、普及率は高かったが耐ノイズ性能にはまだ問題があったという。1975年に登場した第3世代ディモジュレーター用のCD4-392というICチップでは大幅な改善がみられたが、既にCD-4の衰退期にあたり、これが使われた機器はほとんど普及せず、あっても非常に高価である。Aさんは、たまたま入手した「名もない4チャンネルレシーバー」にそのICチップを載せた基板が使われているのを発見し、手持ちのCD4-10(CD4-30と同世代の上位機)を改造してその基板を移植してみたところ、ノイズが酷くて死蔵していたレコードや、内周付近でノイズが目立っていたレコードが「全くノイズを発生することなく再生可能となった」というのである。

この話に私も色めき立ったが、かといってどうすることもできない。私なりに調べてみたところ、そのICを載せた基板が使われた機種はいくつか特定できたが、いずれもサンスイやアカイといった国産メーカー製ながら、海外市場向けで日本国内では販売されておらず、eBayなどに出ていても高価である。海外(主に米国)向けということは、向こうの方が4ch衰退の速度が緩やかだったということだろう。

中澤さんが年末から年始にかけて、Aさんが改造したそのCD4-10を自宅で試聴しレポートされていたが、その中で気になったのが「カートリッジをオルトフォンMC-3 Turboに交換する事でもノイズをかなり減らす事が出来ました」と書かれた部分。中澤さんは、ファインライン針(=ラインコンタクト針)付きでフォノイコライザーのMM入力に直結できる高出力MCカートリッジであるMC-3 Turbo(海外では1997年、国内では1999年発売)を、安くなっていたから4ch用ではない普段聴き用のカートリッジとして買ったのに、再生周波数帯域20Hz~30kHzというスペックをみてCD-4を再生できるのではないかと思い、試してみたところ問題なく再生できてしまった、という話だった(これは昨年11月の話)。だが、改造版CD4-10との相乗効果の話としては、この時点では私はまだディモジュレーターの改造による改善の方に気を取られていたのだった。だから、1月24日の時点で中澤さんの「残念ながら、MC-3 Turboは生産終了だそうです」という書き込みを目にした時も、そうか、ぐらいにしか思わなかった。

それが一変するのは、2月13日のこと。中澤さんが、生産終了になったMC-3 Turboが某ショップの通販で61%引きの17,800円で売られている、在庫処分だろうから買うなら今のうちだと教えてくれたのだ。書き込みがあったのが午前3時前。朝その情報を見た私が「通常の第2世代ディモジュレーターではビクターのカートリッジと比較してどうですか?」と質問したところ、「私はこちらの方が良いと思いました。なんと言っても、経年劣化に怯えなくてもいいというのが利点です」との答え。これはもう買うしかあるまい。11時過ぎに注文を済ませ、18時にはもう販売は終了していた。危なかった。

翌2月14日、商品が無事到着。早速余っていたオーディオテクニカのヘッドシェルに取り付けて音出し。いきなり衝撃を受けて、思わずFacebookの4チャンネルのグループにこう書き込んだ。

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いやこれ凄い! まだ聴き始めたばかりですが、音がクッキリして空間表現力に優れ、ノイズが激減しました。
思うに、私の買ったMD-1016+4DT-1Xは明らかに問題があったような気がします。

あれほど悩まされていた嫌なノイズが、100%とは言わないが90%以上消えたのだから、驚くやら嬉しいやら。これがディスクリート4チャンネルの世界かと、その表現に初めて納得がいった。第3世代ディモジュレーター用のICチップに頼らずとも、ここまで再生できれば何の文句もない。MC-3 Turboと完璧に調整されたCD4-30との組み合わせは、実に強力だったのだ。MD-1016の方は、往年の名器とはいえ、個体差はあるだろうが少なくとも私の入手したものに限って言えば、さすがに経年劣化はかなりのものだったようだ。

そして、これは私一人の感想ではなかった。私にとって4ch再生では中澤さん同様先輩にあたるKさんも同時にMC-3 Turboを購入され、「こ、これは凄い!ノイズ感ゼロで、低域もふくよか。もう4MD-1Xに戻れない!」「なんと今までのビクターのカートリッジと比べようもないノイズと歪み感のないすばらしい4チャンネル再生。コレクション、全部聴き直します!」とFacebookにコメントされたのである。ちなみに4MD-1Xというのは、当時MD-1016と4DT-1Xとのセット販売の際に付けられた品番。

さて、このように高いポテンシャルをいきなり発揮したMC-3 Turboだが、4ch再生についての評価をネットで探してみても、何も見つからなかった。見つけたと思ったら、どれも中澤さんが書かれたと思われるものばかりだった。もちろんオルトフォンはこのカートリッジをCD-4再生可能という名目で売っていたわけではない。中澤さんも偶然発見したわけだが、今まで本当に、誰一人としてそのことに気付かなかったのだろうか。

もっともこれは日本国内での話。海外のフォーラム quadraphonicquad.com を覗いてみてもMC-3 Turboの名前を挙げていたのは見つけた限りではオルトフォンの米国でのディーラーだという一人だけだったが(書き込みはこちら)、海外の根強いCD-4ユーザーの間では、オルトフォンのMC(例えばMC20 Super)を含めた様々なカートリッジが使われていることがわかった。原則的にシバタ針かラインコンタクト針のものに限るのは自明として、使用例が報告されているカートリッジの中には周波数帯域の上限が30kHzに満たないものも含まれているのだが、これについてはある人が、カタログに載っているスペックは最低保証で実際にはそれ以上の対応能力があるので、30kHzのキャリア信号も大抵読み取れると書いていた。むしろMCおよび組み合わせる昇圧トランスからの出力レベルが高すぎたり低かったり、トランス不要の高出力MCが実際にはディモジュレーター側から見て必要なレベルに満たないことなどにより、うまく動作しないこともあるとのことだ。そこでのいくつかの情報から拾い出すと、現行のMMカートリッジの中では、オルトフォンの2M Bronze(無垢ファインライン針、20Hz~29kHz)、オーディオテクニカのVM750SH(無垢シバタ針、20Hz~27kHz)あたりがCD-4の再生に対応できそうだ。テクニカはMCカートリッジのAT33シリーズをずっとメインで使ってきたので、VM750SHもいつかは試してみたいものだが、当面はMC-3 Turboをじっくりと味わっていきたい。CD4-30をフォノイコとしての通常のステレオ盤再生もいい感じなので。

2021年2月17日 (水)

【旧記事再掲】タンゴ入門講座 その3 タンゴの音楽形式~ミロンガ

旧サイト「tangodelic!」に連載していた記事「タンゴ入門講座」再掲載の第3回(元の連載の第9~10回分)。今回から3回に分けて、タンゴの音楽形式を紹介する。今回はミロンガで、この後タンゴ、ワルツとカンドンベその他と続く。

タンゴの音楽形式(1) 「ミロンガ」その1
(初出:2001年6月6日)

「ミロンガ」という言葉はタンゴで頻繁に使われるが、その意味はひとつではないので、整理しておく必要がある。ただし、それら複数の意味も裏では繋がっていると言えなくもない。一つ目は音楽形式としてのミロンガ。これは本稿のメイン・テーマであり、後で詳しく説明する。二つ目は、いわゆるダンスホールを指す言葉。「今日はミロンガに(タンゴを)踊りにいこう」といった感じで使われる。

そしてこれが重要なのだが、三つ目は、気分としてのミロンガというか、ある種の演奏傾向を指す。つまり、力強くはっきりしたリズムのタンゴの演奏に対して使われる言葉であり、具体的にはピアノの低音部の強調などにその傾向が現れる。もともとは1910年代にフランシスコ・カナロがリズムを強調したタンゴのことを「タンゴ・ミロンガ」と呼んだのが始まりだと思われるが、今日では、ピアノの低音部を強調した1940年代頃のオルケスタ・ティピカ、例えばカルロス・ディ・サルリ、オスバルド・プグリエーセ、アルフレド・ゴビらに対して「ミロンゲーロ(ミロンガ的な人、もの)である」といった形容がなされることが多い。ミロンゲーロの象徴的な存在といえば、アニバル・トロイロ楽団の初代ピアニスト、オルランド・ゴニがまず思い浮かぶ。1941年にトロイロ楽団(もちろんピアノはゴニ)が初演して、作曲者アルマンド・ポンティエルの出世作となった「ミロンゲアンド・エン・エル・40(クアレンタ)」には、「華麗なる40年代」とか「1940年代のミロンガ」といった邦題が付けられているが、直訳すれば「40年代にミロンガしながら」といった感じになるだろうか。

Goni
タンゴ界きってのミロンゲーロ、オルランド・ゴニ(1914~1945)
僅か31歳で夭折したのが惜しまれる。

それでは、本題に入ろう。音楽形式としてのミロンガは、4分の2拍子のリズムで成り立っている。そしてそのリズムは、キューバからヨーロッパ経由で伝えられたハバネラ(フランスのビゼエの歌劇『カルメン』に流用されたスペインのイラディエル作「ラ・パロマ」などが有名)や、スペインのアンダルシア地方から伝えられたタンゴ(フラメンコの中の一形式)と同じである。簡単に音符で表すと、次のようになる。

4x2

ミロンガの起源は、だいたい1870年頃まで遡る。ブエノスアイレス周辺のパンパ(大草原)のバジャドール(吟遊詩人)が、ギターを鳴らしながら即興的に歌う音楽形式のひとつとして、この頃ミロンガが流行していたのである。パジャドールが歌うミロンガはブエノスアイレスやモンテビデオ(ウルグアイの首都。ブエノスアイレスとはラ・プラタ川を挟んで対岸に位置する)の場末に伝えられて、ダンス音楽として徐々に発展していく。同じリズムを持ったハバネラやスペインのタンゴやミロンガは、ほかの様々な要素と混ざりながら、19世紀の終りまでには“タンゴ”という一つの名のもとに集約されていく。その詳しい経緯については「タンゴ」の項に譲るが、そんなタンゴの前身としてのミロンガは、タンゴに吸収合併(?)されて、その役割を一旦終えるのである。

1900年代から1910年代前半にかけての(形式名としての)タンゴは、曲にもよるが、まだミロンガ的なシンコペーションを含んだ4分の2拍子のものが多かった(例えば1903年のアンヘル・ビジョルド作「エル・チョクロ」)。それが、1915年頃を境に8分の4拍子へと変化して行く。前身であるミロンガの痕跡は、どんどん薄れていき、タンゴの第1次黄金時代と言われる1920年代には、ミロンガはほとんど忘れられた存在だった。ミロンガが劇的な復活を遂げるには、1930年代の到来まで待たなければならなかったのである。

タンゴの音楽形式(2) 「ミロンガ」その2
(初出:2001年6月13日)

忘れられた存在だったミロンガを復活させたのは、ピアニストで作曲家のセバスティアン・ピアナ(1903~1994)だった。ピアナは1931年、作詞のオメロ・マンシ(1907~1951)と組んで「ミロンガ・センティメンタル」を発表する。このミロンガは、かつての素朴な形のものではなく、音楽的に洗練された新しいものだった。またこの作品はマンシにとっても出世作となった。後年の「スール」などで高い評価を得る彼も、当時はまだ駆け出しの新人だったのである。「ミロンガ・センティメンタル」は、翌年ペドロ・マフィアの大編成オルケスタが演奏してから評判となり、多くの歌手や楽団が取り上げる人気曲となった。ピアナ=マンシのコンビは続いて「1900年のミロンガ(ミロンガ・デル・ノベシエントス)」を発表。この2曲はテンポの早いミロンガだが、ピアナ=マンシのもうひとつの傑作ミロンガである「悲しきミロンガ(ミロンガ・トリステ)」はタイプが異なり、ゆったりとしたテンポで牧歌的な香りを漂わせている。かつてパジャドールたちが歌った草原のミロンガは、タンゴとフォルクローレ(民謡)に枝分かれしていったわけだが、フォルクローレの分野でもアタウアルパ・ユパンキらによって、音楽的にはシンプルながら文学性を備えた新しい形に生まれ変わりつつあった。「悲しきミロンガ」には、そうしたフォルクローレ界の新しい動きからの影響も反映されていたのである。

Piana
ミロンガ復興の功労者、セバスティアン・ピアナ(1937年)

1930年代のミロンガというと、「ラ・プニャラーダ」(邦題は「ナイフで一突き」または「刃物さわぎ」)をめぐるエピソードが面白い。ウルグアイのピアニスト、ピンティン・カステジャーノス(1905~1983)は1933年、この曲をタンゴ・ミロンゴンという形式名で発表した。これは前回ご紹介したタンゴ・ミロンガ(昔風の力強いリズムのタンゴ)を更に強調した言い方らしい。発表して3年後の1936年、カステジャーノスがモンテビデオを訪れたフアン・ダリエンソにこの曲を聴かせたところ、ダリエンソ楽団のピアニスト、ロドルフォ・ビアジがミロンガにアレンジし直して楽団のレパートリーとしたのである。37年4月に録音されたダリエンソ楽団の「ラ・ブニャラーダ」は大ヒットし、それ以降この曲はミロンガの定番のひとつとなった。なお、フランシスコ・カナロ楽団は1937年6月にこの曲をもとのタンゴのまま演奏しているが、何とも間の抜けた感じで、全く面白くない。

それでは、1930年代以降に書かれたミロンガから、現在までよく演奏される代表的な作品をいくつか挙げてみよう。

 わが愛のミロンガ(ミロンガ・デ・ミス・アモーレス)(ペドロ・ラウレンス作曲、1937年発表)
 マノ・ブラバ(すご腕)(マヌエル・ブソン作曲、1940年頃)
 ラ・トランペーラ(うそつき女)(アニバル・トロイロ作曲、1950年)
 タキート・ミリタール(軍靴の響き)(マリアーノ・モーレス作曲、1952年)
 コラレーラ(アンセルモ・アイエータ、1950年代半ば)
 エル・フィルレーテ(マリアーノ・モーレス作曲、1950年代後半)
 ノクトゥルナ(フリアン・プラサ作曲、1959年)

いま挙げたのは、すべてテンポの早いミロンガである。「悲しきミロンガ」のようなゆったりしたものは、作品の数自体が少ない。その一方で、例えばユパンキ作「牛車にゆられて(ロス・エヘス・デ・ミ・カレータ)」のように、フォルクローレのミロンガをタンゴ楽団がレパートリーに加える場合もある。こうした作品は、タンゴに於けるミロンガと区別するために、ミロンガ・カンペーラ(田園のミロンガ)とかミロンガ・パンペアーナ(パンパのミロンガ)などと呼ばれたりする。

オスバルド・プグリエーセ楽団のバンドネオン奏者、オスバルド・ルジェーロが作曲し、1962年に同楽団が録音した「ボルドネオ・イ・900(ノベシエントス)」は、テンポの遅い部分と早い部分とで構成される、かなり凝った作りのミロンガである。タイトルのボルドネオとは、かつてのミロンガの土台をなした、ギターの低音弦のこと。900は1900年を指す。様々な要素を複合的に絡ませたこの作品の芸術的価値は高い。最後に、ミロンガといえばピアソラ作品も忘れてはならないが、ピアソラはテンポの早い一般的なイメージのミロンガは1曲も書いていない。「天使のミロンガ」「悪魔のロマンス」「ミロンガ・フォー・スリー」といった代表的なミロンガは、どれもテンポが遅い。かといってフォルクローレ的な雰囲気を漂わせているわけでもなく、これはピアソラ独自の表現というべきだろう。

2021年2月13日 (土)

【旧記事再掲】タンゴ入門講座 その2 タンゴの楽団編成~コンフント/グラン・オルケスタ

旧サイト「tangodelic!」に連載していた旧記事「タンゴ入門講座」再掲載の第2回。今回は第4回から第7回まで4回に分けて掲載した「コンフント」と、第8回に掲載した「グラン・オルケスタ」をまとめて紹介する。

タンゴの楽団編成(4) 「コンフント」その1
(初出:2001年5月2日)

“コンフント”というのは、スペイン語でバンドとか楽団といった意味。同じく楽団を意味する“オルケスタ”よりも小編成のものを指すことが多いが、はっきりと人数で線引き出来るわけではない。フリオ・デ・カロ型の六重奏団をオルケスタと呼んでもかまわないわけだし、アストル・ピアソラの九重奏団の名称は“コンフント9(ヌエベ)”である。まあ、二重奏から五重奏ぐらいまでは明らかにコンフントと呼ぶべきだろう。六重奏以上の編成は、楽器の組み合わせや音楽性などから判断して、オルケスタの小規模なものか、コンフントの大きめのものか、という分け方をすればいいのではないかと思う。

オルケスタ・ティピカ誕生以前の話をしておくと、だいたい1890年代から1900年代にかけてのタンゴは非常に素朴なもので、主にメロディを奏でるヴァイオリン、リズムを刻むギター、メロディを装飾するフルートという感じでトリオで演奏されることが多かった。このほかにはハープやマンドリン、アコーディオンなどが使われることもあったらしい。ヴァイオリン、ギター、フルートの編成にバンドネオンが加わって四重奏になるのはだいたい1910年頃で、それ以降バンドネオンはタンゴの演奏に欠かせない楽器になっていく。ピアノは当時は高級品で、この頃まではほとんどソロでしか演奏されることはなかった。ピアノ入りの楽団の登場は、1913年にピアノ奏者ロベルト・フィルポが楽団(当初はバンドネオン、ヴァイオリンとのトリオだったが、すぐに編成は大きくなっていった)を率いてデビューするまで待たなければならなかった。こうした、タンゴ黎明期の小編成楽団は、オルケスタ・ティピカが生まれるまでの過渡期的な存在といえる。今回ご紹介するのは、ティピカが一般的となってから登場したさまざまな形のコンフントについて、である。

ティピカ全盛期のコンフントで最も有名なものは、ロベルト・フィルポ四重奏団と、フランシスコ・カナロ率いるピリンチョ五重奏団である。先程名前を挙げたばかりのフィルポが再び登場したことにお気付きだろうか。フィルポは1884年、カナロは1888年生まれ。つまり二人は同年代で、共に1900年代半ばから演奏活動を始め、1910年代には楽団を率いて第一線で活躍するようになった、いわば好敵手である。二人は徐々に大型化するオルケスタ・ティピカを率いて活躍を続けていたが、1930年代半ば、相次いでコンフントを結成して演奏活動を開始する。フィルポの四重奏団はバンドネオン、ピアノ、ヴァイオリン×2という編成、ピリンチョ五重奏団はこれにコントラバスを加えた編成である。いずれもコンセプトは明解で、タンゴの行き詰まりを打破すべく、古典(具体的には1910~20年代の作品および演奏スタイル)の完全復興を目指したものだった。演奏技術は格段に進歩していたが(特にバンドネオン)、音楽的には特に新しいものを生み出したわけではない。

今日に繋がるコンフントの最初のものは、トロイロ=グレラ四重奏団である。アニバル・トロイロは1953年、タンゴの歴史を回顧した音楽劇『モローチャの中庭』を上演した。トロイロはオルケスタ・ティピカにハープや木管楽器、金管楽器まで加えた大編成の楽団(ピアソラが編曲を担当)を率いて舞台に立ったが、その中で古典タンゴを象徴する役回りとして、トロイロのバンドネオンとロベルト・グレラのギターをメインに、第2ギターとコントラバスを加えた四重奏団の演奏場面が設定された。ただし、素材は古典であっても、その解釈の仕方が、フィルポやピリンチョのように脱古典のベクトルを持たないものとは根本的に異なっていた。つまり、トロイロ=グレラの演奏には、アンサンブルにおける楽器の生かし方の斬新さなどのモダンな感覚が、自然な形で現れていたのである。結局この四重奏は大きな人気を呼び、劇の終了後も演奏活動を続けることになった。

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トロイロ=グレラ四重奏団
左からロベルト・グレラ(ギター)、エクトル・アジャラ(第2ギター)、アニバル・トロイロ(バンドネオン)、キチョ・ディアス(コントラバス)。

タンゴの楽団編成(5) 「コンフント」その2
(初出:2001年5月9日)

小編成のもっとも規模が小さいものはドゥオ(スペイン語で二重奏。英語ではデュオ)だが、これは気心の知れたミュージシャン二人がその気になれば、原則的にはどんな組み合わせも可能だろう。演奏者自身の楽しみや余興の範囲に留まったものが多いため、意外に残されたレコードは少ないのだが、昔から随分いろいろなコンビが存在した。バンドネオン×2(ペドロ・マフィアとペドロ・ラウレンスなど)、ギター×2(ラス・ギターラス・デ・オロなど)、ピアノ×2(オスバルド・ベリンジェリとオスバルド・タランティーノなど)のように同じ楽器の組み合わせもあるし、バンドネオン+ギター、バンドネオン+ピアノ、ヴァイオリン+ピアノ、ピアノ+ギターといった比較的オーソドックスなものから、ヴァイオリン+オルガンとか、ヴァイオリン+コントラバスのように風変わりなものまで実に多彩である。

コンフントの基本といえば、やはりトリオ(三重奏。スペイン語も英語も同じ)だろう。タンゴのトリオ編成というと、現代ではバンドネオン、ピアノ、コントラバスの組み合わせがまず思い浮かぶが、これはそれほど歴史のある編成ではない。正確な記録がないが、ウルグアイのピアノ奏者セサル・サニョーリが、ブエノスアイレスでのいくつかのオルケスタ・ティピカでの演奏活動を終えて帰国した1954年にバンドネオンのルイス・ディ・マテオらと組んだトリオが、恐らく最初ではないかと思われる。レパートリーは古典曲が中心で、特にモダンな指向を持っていたわけではないサニョーリ・トリオだが、がっしりと骨太で重心の低い演奏は、それまでの古典指向のコンフントのそれとは明らかに異なっていた。

Zagnoli
トリオを率いてモンテビデオ大学で演奏するセサル・サニョーリ(1961年)
ピアノの向こう側、横顔が見えるのがルイス・ディ・マテオ(バンドネオン)。

その後ブエノスアイレスでもこの編成のトリオがいくつも登場するようになったが、技術的にも音楽的にも特に秀でていたのは、1970年に結成されたトリオ・フェデリコ=ベリンジェリだろう。バンドネオン奏者の最高峰に位置するレオポルド・フェデリコ、トロイロ楽団出身でジャズの素養もあるテクニシャンのオスバルド・ベリンジェリにコントラバスのフェルナンド・カバルコスという顔合わせのこのトリオによる凄みのある演奏は、この編成でどこまで音楽的に豊かになれるかという実験のようでもあった。また、演奏と編曲の両面における斬新さという点では、やはり70年代に活躍したバングアトリオ(オマール・バレンテp、ネストル・マルコーニbn、エクトル・コンソーレb)も忘れ難いし、ピアソラ以降のモダンな感覚を追求したトリオとして、モサリーニ=ベイテルマン=カラティーニ(80年代にパリを拠点に活躍)の存在も重要である。

バンドネオン+ピアノ+コントラバス以外にも、バンドネオン+ギター×2(シリアコ・オルティス・トリオ、このトリオは歴史が古い)、バンドネオン+ギター+コントラバス(エドゥアルド・ロビーラ・トリオ)、ピアノ+ギター+コントラバス(タンゴスール・トリオ)、ピアノ+ヴァイオリン+コントラバス(エル・タンゴ・ビーボ+近藤久美子)など様々な組み合わせのトリオが存在するが、どれもあまり一般的とは言えないだろう。

クアルテート(四重奏。英語でクァルテット)となると、組み合わせのパターンは更に増えるが、バンドネオン+ピアノ+コントラバスのトリオにもう1つの楽器が加わるパターンが多い。やはり特に多いのはヴァイオリンが加わった編成で(つまりこれでオルケスタ・ティピカを構成する最低限の楽器が揃う)、エストレージャス・デル・タンゴやレイナルド・ニチェーレ四重奏団などが代表格。また、エレキ・ギターが加わったものとしては、アニバル・トロイロ四重奏団(前回ご紹介したトロイロ=グレラ四重奏団とは別物)などがある。トロイロ=グレラ四重奏団のようにバンドネオン+ギター×2(もしくはギターとギタロン〔大型の低音ギター〕)+コントラバスという編成(フェデリコ=グレラ四重奏団など)もあれば、フルートやチェロなどが加わったものもありと、やはり例を挙げていったらキリがない。また、クラシックの弦楽4重奏と同じヴァイオリン×2+ヴィオラ+チェロという編成の、プリメール・クアルテート・デ・カマラ・デル・タンゴというグループもあった。

タンゴの楽団編成(6) 「コンフント」その3
(初出:2001年5月16日)

最近のタンゴ・ファンに最も親しまれているコンフントと言えば、やはりアストル・ピアソラ五重奏団(五重奏団はスペイン語でキンテート、英語ではクィンテット)にとどめを刺すだろう。いくつものアンサンブルを作っては壊したピアソラにとって、バンドネオン、ヴァイオリン、ピアノ、エレキ・ギター、コントラバスという五重奏団(1960年結成)は最も理想的な編成となり、長い期間にわたって安定した活動を続けることになった。ピアソラは五重奏団結成後も、八重奏団(ヌエボ・オクテート、1963年)や九重奏団(コンフント・ヌエベ、1971~72年)など、より編成の大きなコンフントを率いての活動も行っているが、これは五重奏団に楽器を増やしたものである。逆に五重奏より少ない編成では活動することはなかった。このことからも、五重奏がピアソラにとっての基本だったことが判る。

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アストル・ピアソラ五重奏団(1966年頃)
(左から)オスバルド・タランティーノ(ピアノ)、アントニオ・アグリ(ヴァイオリン)、アストル・ピアソラ(バンドネオン)、キチョ・ディアス(コントラバス)、オスカル・ロペス・ルイス(エレキ・ギター)。

ピアソラ五重奏団の登場以降、ピアソラの後を追って、いくつもの同じ編成の五重奏団が登場し、今日に至っている。最近のものでは、モサリーニ=アントニオ・アグリ五重奏団(ギターはエレキではなくアコースティック)や小松亮太&ザ・タンギスツ(彼らも自由自在にその編成を変えるが、やはり基本は五重奏にあると見るべきだろう)などがお馴染みだろう。だが、この編成の五重奏は、ピアソラが最初に始めたわけではなかった。ピアソラ五重奏団の結成に先立つ1年前の1959年に誕生したキンテート・レアルが、その先駆である。

同じ編成といっても、キンテート・レアルとピアソラ五重奏団とでは、その音楽的構造がかなり異なるのが面白い。そもそもキンテート・レアルは、オラシオ・サルガン(ピアノ)とウバルド・デ・リオ(エレキ・ギター)のデュオをベースに生まれたグループなので、五重奏になっても、あくまでもサウンドの要はピアノとギター。そこに他の楽器が絡んで来る感じで、例えばバンドネオンはさほど前面に出て来る感じではない。一方ピアソラ五重奏団は、バンドネオンを中心に各楽器が自己主張し合い、緊張感を保ちながら演奏を展開していくが、その中でギターだけは縁の下の力持ち的な役割を担っている。

これまでにご紹介して来たように、バンドネオン、ヴァイオリン、ピアノ、コントラバスはいずれもオルケスタ・ティピカ以来使われてきた基本的な楽器だが、エレキ・ギターはそうではない。ピアソラが1955年にブエノスアイレス八重奏団を結成した時に初めて導入され(奏者はオラシオ・マルビチーノ)、物議をかもしたのがこの楽器。ピアソラによる伝統破壊の象徴とすらみなされたのである。だが、「すべて異なる楽器の五重奏」によるアンサンブルを組み立てる上で、エレキ・ギターが極めて有効に機能することを、ピアソラやサルガンは証明してみせた。この編成は、コンフントの一つの理想とすら言えるだろう。ただ、サルガンもピアソラも類稀な個性の持ち主であるが故に、この編成による五重奏の新たな在り方を提示できる才能がその後現れていないのも、また事実である。

彼ら以外の編成というと、やはり第4回で紹介したピリンチョ五重奏団のような、バンドネオン+ヴァイオリン×2+ピアノ+コントラバスという古典的な編成のものが多いが、それ以外にもヴァイオリンではなくバンドネオンが2台のもの(キンテート・グローリアなど)、フルートなどが加わった古典復興傾向のもの、弦楽器のみのもの(キンテート・アルヘンティーノ・デ・クエルダス)など、様々なタイプの五重奏団が存在する。

タンゴの楽団編成(7) 「コンフント」その4
(初出:2001年5月23日)

これまでドゥオ(二重奏)、トリオ(三重奏)、クアルテート(四重奏)、キンテート(五重奏)とご紹介して来たが、セステート(六重奏、英語ではセクステット)になると、様子が変わって来る。様々な種類の楽器の組み合わせによるものは少なく、多くの六重奏がバンドネオン×2、ヴァイオリン×2、ピアノ、コントラバスという編成に落ち着くのである。つまりそれは、《「オルケスタ・ティピカ」その1》でご紹介した、1920年代のフリオ・デ・カロ楽団(六重奏団)と同じ編成ということである。そのデ・カロ自身の楽団をはじめとして、オルケスタ・ティピカ編成が大型化していった1930年代以降も、この編成の楽団は実際に存在していたのだが(例えばピアソラに多大な影響を与えたエルビーノ・バルダロ六重奏団など)、ここでは比較的新しい時代のものに話をしぼることにしよう。

この編成の楽団で特に有名なのが、セステート・タンゴ(1968年結成)とセステート・マジョール(1973年結成)の二つである。オスバルド・プグリエーセ楽団の主力メンバーたち(オスバルド・ルジェーロ、ビクトル・ラバジェン、フリアン・プラサ、エミリオ・バルカルセほか)が独立して作ったセステート・タンゴは、プグリエーセ譲りの豪快さと緻密さが交錯する音作りに定評があった。一方、バンドネオンのホセ・リベルテーラとルイス・スタソを中心に結成されたセステート・マジョールは、現代的な感覚をエンターテインメント性豊かにアピールすることで、幅広い人気を獲得してきた。彼らに共通していたのは、演奏と編曲の両面で特に優れた技術を持ったメンバーが集まっていたことで(両方とも、特にリーダーは定めていない)、たった6人でもかつてのオルケスタ・ティピカに匹敵する、重厚で迫力あるサウンドを奏でることができることを証明してみせたのである。つまり彼らは、コンフントというよりもむしろ、オルケスタ・ティピカの縮小現代版と呼ぶ方がふさわしく、実際にこの編成であればオルケスタと名乗ることが多い。

Mayor
セステート・マジョール(1980年頃)
(左から)ホセ・リベルテーラ(バンドネオン)、オスカル・パレルモ(ピアノ)、ルイス・スタソ(バンドネオン)、キチョ・ディアス(コントラバス)、マウリシオ・ミセ(ヴァイオリン)、マリオ・アブラモビッチ(ヴァイオリン)。

現在活躍中のこの編成の楽団には、セステート・スール(音楽的にはちょっと納得できないが)、オランダのセステート・カンジェンゲなどがある。また、この編成にキーボードを加えたオルケスタ・コロール・タンゴや、エレキ・ギターを加えたオルケスタ・エル・アランケは、いずれも七重奏団(スペイン語でセプティミノもしくはセプテート)ではあるが同じ流れに属するものと考えて構わない。コロール・タンゴは、セステート・タンゴ同様にプグリエーセの流れを汲む楽団、一方のエル・アランケは成長著しく現在最も注目すべき若手楽団のホープである。

もちろんこうした編成以外の、オルケスタではなくコンフントと呼ぶにふさわしい六重奏団にもいくつかあって、例えばバンドネオン1台でチェロを加えたもの(エンリケ・フランチーニvnの六重奏)、ヴァイオリンを1本にしてエレキ・ギターを加えたもの(オマール・バレンテpやホセ・コランジェロpの六重奏)などがある。短命に終ったアストル・ピアソラ六重奏団(セステート・ヌエボ・タンゴ、1989年)は、バンドネオン×2、チェロ、ピアノ、エレキ・ギター、コントラバスという変則的な編成だった。また、重要なコンフントのひとつであるマリアーノ・モーレスpのセステート・リトゥミコ・モデルノ(モダン・リズム六重奏団、1963年~)は、その名に反してピアノ、バンドネオン、オルガン、エレキ・ギター、ヴィブラフォン、コントラバス、ドラムスという七重奏である。

六重奏よりも編成の大きなコンフントにも様々なものがあり、一つ一つ紹介することは困難だが、その中では1950年代後半に画期的な方法論を打ち出した2つのグループが極めて重要である。ひとつはピアソラが1955年に結成したオクテート・ブエノスアイレス(デ・カロ型の六重奏にチェロとエレキ・ギターを加えた八重奏団)、もうひとつは卓越した編曲家であったアルヘンティーノ・ガルバンが音楽監督を務めた七重奏団、ロス・アストロス・デル・タンゴ(ヴァイオリン×2、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、バンドネオン、ピアノという編成)で、いずれもそれまでにない斬新な編曲と演奏でセンセーションを巻き起こした。彼らは、オルケスタ・ティピカの時代からコンフントの時代へと移り変わる過渡期を象徴する存在とも言え、タンゴ史上に果たした役割は非常に大きかった。オクテート・ブエノスアイレスにおけるピアソラの実験は、やがてピアソラ五重奏団の結成で実を結び、ロス・アストロス・デル・タンゴのようなバンドネオン+ピアノ+弦楽セクションの組み合わせによるコンフントは、エドゥアルド・ロビーラのアグルパシオン・デ・タンゴ・モデルノ(現代タンゴ集団)などに引き継がれていったのである。

タンゴの楽団編成(8) 「グラン・オルケスタ」
(初出:2001年5月30日)

「タンゴの楽団編成」の章では、これまでオルケスタ・ティピカとコンフントについてご紹介してきた。最後に、そのどちらにも属さないものとして、ティピカとは異なるタイプの大編成楽団を紹介しておこう。具体的には、オルケスタ・ティピカでは通常使われない管楽器や打楽器などの楽器を加えるなどして、ティピカよりも編成を大きくした楽団などが対象となる。こうした楽団に対しては“グラン・オルケスタ”という呼び方があるが、その定義はあってないようなもので、その名称が使われるとは限らない。大編成ゆえの経済的な問題などから、決してタンゴの主流にはならなかったにせよ、その存在を覚えておくことは無駄ではないだろう。

こうした大編成への試みは、既に1930年代から行われていた。例えば1936年にフリオ・デ・カロが率いたオルケスタ・メロディカ・インテルナシオナル(インターナショナル・メロディック・オーケストラ)は、金管楽器やドラムスを加えた16人編成だったが、実を言うとこれは大変評判が悪かった。1930年代のタンゴ界は、アメリカ合衆国から押し寄せてきたジャズの猛威にさらされながら、変革を求められていた時期で、そうした中での迷いが中途半端な編成に表れたといえる。タンゴ史に偉大な足跡を残したデ・カロでも、このような試行錯誤の時期があったのである。また、こうした流れとは全く別のものとして、「カミニート」や「バンドネオンの嘆き」の作者として知られるフアン・デ・ディオス・フィリベルトが1932年に結成したオルケスタ・ポルテーニャがある。これは通常のティピカで使われる楽器にフルートとクラリネットを加えた14人編成の楽団だった。

より音楽的な必然性を持った形で大編成楽団が登場するのは、1950年代半ば以降である。最も重要な楽団として、アストル・ピアソラの弦楽オーケストラ(オルケスタ・デ・クエルダス)と、マリアーノ・モーレスのグラン・オルケスタ・リリカ・ポプラールの二つを挙げておこう。ピアソラが最初に弦楽オーケストラを結成したのはパリ留学中の1955年。オペラ座の管弦楽団の団員を中心としたこの楽団は、バンドネオン、ピアノ、ヴァイオリン×8、ヴィオラ×2、チェロ×2、ハープ、コントラバスという16人編成だった。ピアソラは帰国後にはタンゴ界の腕利きを集めて同様の楽団を組織、その豊かな響きは、それまでのピアソラの集大成とも言えるほどの充実したものだった。一方、芸術指向のピアソラに対して、「タンゴを世界に」のモットーのもと、大衆指向を持ちながら新しいタンゴの創造に燃えていたモーレスは、自らのピアノを中心に金管楽器、木管楽器、弦楽器、打楽器、コーラスまで取り入れたカラフルなオーケストラ・サウンドを作り上げた。それはさながら映画音楽のような雰囲気を醸し出していたのである。なお、ピアソラは1967年に、グラン・オルケスタ名義で古典曲ばかりを集めた2枚のアルバムを制作したが、これは彼の五重奏団に弦楽器やヴィブラフォンなどを加えたもので、かつての弦楽オーケストラとは性格が異なる。

その後のグラン・オルケスタ的なものというと、ピアソラはもとより、《「コンフント」その4》で紹介したロス・アストロス・デル・タンゴやエドゥアルド・ロビーラの現代タンゴ集団などの流れを汲むものが多い。すなわち、バンドネオン+ピアノ+弦楽セクション+αという編成である。例えばアティリオ・スタンポーネpやラウル・ガレーロなどが代表的な例に挙げられるだろう。1977年の日本公演用に特別に編成されたエンリケ・フランチーニとシンフォニック・タンゴ・オーケストラ(ヴァイオリン×12、ヴィオラ×2、チェロ×2、コントラバス、フルート、オーボエ、ホルン、ピアノ、エレキ・ギター、バンドネオン)というのもあった。

Francini
フランチーニとシンフォニック・タンゴ・オーケストラ
中央に立っているのがエンリケ・フランチーニ(ヴァイオリン)。その向かって左はバンドネオンと編曲のディノ・サルーシ。

タンゴを大編成で演奏するには、それなりの難しさが付きまとうと思われる。大編成になればなるほど、タンゴ的な微妙なニュアンスが出しにくくなり、ムード音楽的に流されてしまう危険性が出て来るからである。指揮者や編曲者の力量が問われるところだ。運営の難しい大編成楽団だが、現在では例えばクラシックのオーケストラ+バンドネオンなどのゲスト、という在り方が一般的になりつつある。それを実践しているのがウルグアイのモンテビデオ・フィルハーモニー管弦楽団だ。今年(2001年)4月に人知れず来日したフェデリコ・ガルシーア・ビヒルが指揮を、トト・ダマリオが第1バンドネオンと編曲を担当しているのがこの楽団。ただし彼らの場合、管楽器も打楽器も入らず、バンドネオンは5台なので、サウンドは極めてオルケスタ・ティピカ的である。

2021年2月12日 (金)

【旧記事再掲】タンゴ入門講座 その1 タンゴの楽団編成~オルケスタ・ティピカ

ピアソラ生誕100年と、先日紹介したユニバーサルミュージックからのピアソラ7タイトル復刻とに絡めて、同社のサイトに「ピアソラが貫いたタンゴのモダン化とブエノスアイレスへのこだわり」という一文を寄稿した。ご一読いただければ幸いである。

さて、かつて2019年2月12日の記事「メールアドレスの変更とブログの引っ越し」でも触れたように、私自身の不注意から、自分のサイト「tangodelic!」は2016年11月に消滅してしまった。旧サイトでは2001年1年間かけて、全34回の「タンゴ入門講座」というのを連載していたのだが、最近とあるところから、学生向けにタンゴをわかりやすく解説してあるサイトはないかと相談を受け、思い出したのがその連載。幸い旧サイトのhtmlのイメージだけはパソコンに保存してあったので、今でも見ることができる。読み返したら、ネタ的に古い部分は当然あるものの、このまま使えないこともないのではないかということで、当時の原稿をそのまま当ブログに再掲することにした。全34回分を12回程度にまとめ、明らかに古い記述には注釈を付け加えることにした。今回は最初の3回分、オルケスタ・ティピカについてである。

タンゴの楽団編成(1) 「オルケスタ・ティピカ」その1
(初出:2001年2月14日)

オルケスタ・ティピカとは、アルゼンチン・タンゴでもっとも基本となる編成の楽団のこと。英語で言うとティピカル・オーケストラ、つまりスペイン語で“標準的楽団”という意味だが、中南米各国でそれぞれ自国の音楽を演奏する上での標準的な編成のことを指しているので(現在では頻繁に使われているとは言い難いが)、タンゴの場合は「アルゼンチンでの標準」ということになる。

タンゴの世界で初めてオルケスタ・ティピカを名乗ったのは、1910年のビセンテ・グレコ(バンドネオン)の楽団が最初だが、これは今日で言うところのティピカ編成とは異なる。あくまでも大まかな「当時の標準」だったということだ。この時の編成は、バンドネオン×2、ヴァイオリン×2、ギター、フルートという6重奏だった。ギターとフルートは、いずれも初期のタンゴ(特にバンドネオンの本格的な導入以前)のアンサンブルでは重宝された楽器だが、ギターはピアノに取って変わられ、またフルートはバンドネオンにその役割を奪われて、基本的な編成から姿を消していく。ギターの低音弦(ボルドーナ)が奏でていた響き(ボルドネオ)は、コントラバスの導入などで補われていった。

バンドネオンとヴァイオリン、ピアノ、コントラバスという組み合わせによる、現代の標準となるオルケスタ・ティピカの基本的な形は、1910年代後半から1920年代初頭にかけてエドゥアルド・アローラス(バンドネオン)やオスバルド・フレセド(バンドネオン)、フアン・カルロス・コビアン(ピアノ)らがそれぞれ率いていた楽団(おおむね5重奏から6重奏)によって徐々に形づくられていったが、歴史的に見て最も重要なオルケスタ・ティピカは、1924年に結成されたフリオ・デ・カロ楽団(6重奏)である。アローラス、フレセド、コビアンといずれの楽団にも参加して腕を磨いてきたヴァイオリン奏者のデ・カロは、兄で楽団のピアニストを務めたフランシスコ・デ・カロらの協力のもと、バンドネオン×2、ヴァイオリン×2、ピアノ、コントラバスという6重奏のスタイルを完成の域にまで高めることに成功した。

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フリオ・デ・カロ楽団(1926年)
(左から)フリオ・デ・カロ(コルネット・ヴァイオリン、指揮)、フランシスコ・デ・カロ(ピアノ)、ペドロ・マフィア(バンドネオン)、エンリケ・クラウス(コントラバス)、ペドロ・ラウレンス(バンドネオン)、エミリオ・デ・カロ(ヴァイオリン)

それまでのタンゴの演奏は、乱暴に言ってしまえば、単純な「合奏」に近いものだった。それをデ・カロはこの6重奏団で大きく進歩させた。和声や対位法を駆使して豊かな響きを生み出し、楽団に於ける各楽器の役割を明確にさせたのである。1920年代当時の先端をいき、タンゴに於ける編曲という概念を作り上げたデ・カロこそは、後のアニバル・トロイロやオスバルド・プグリエーセ、更にはアストル・ピアソラにまで至る現代タンゴの基礎を築いた大人物と言えよう。後年ピアソラはデ・カロに捧げて「デカリシモ」(「とてもデ・カロ的な」という意味)という曲を書いている。

1930年代に入ると、他の楽団もデ・カロ自身も、更に豊かな響きを求めて、バンドネオンやヴァイオリンの数を増やし始める。そして1940年代にさしかかる頃には、バンドネオンが4人程度、ヴァイオリンに多くはヴィオラもしくはチェロ1本を加えた弦セクション4~5人程度、ピアノ、コントラバスという編成が一般的となる。これがオルケスタ・ティピカ編成の最終的な形である。あと、忘れてはならないことは、40年代当時のすべてのティピカが専属歌手制を採っていたことで、1~2名程度の歌手が楽団のもうひとつの看板となった。

要約すると、1920年代にはデ・カロ型の6重奏がオルケスタ・ティピカと呼ばれたが、現在では、オルケスタ・ティピカといえば1940年代以降定着したおおむね10~11人前後の編成のことを指し、例えば20年代のデ・カロ楽団のことは「デ・カロ6重奏団」などと呼んで区別するのが一般的、ということになる。

タンゴの楽団編成(2) 「オルケスタ・ティピカ」その2
(初出:2001年4月18日)

1940年代のオルケスタ・ティピカ人気の立役者となったのが、1935年に「電撃のリズム」をひっさげて登場したフアン・ダリエンソである。テンポを速くし、ダンス向けのタンゴのリズムを極端なまでにデフォルメしたスタイルのダリエンソは、瞬く間に人気を集め、1940年前後には、ほとんどの楽団がダリエンソの影響で演奏のテンポが速くなっていたほどである。

そして、1940年代のタンゴ黄金時代を名実共に代表したのが、バンドネオン奏者、アニバル・トロイロのオルケスタ・ティピカ。若き日のピアソラもトロイロの楽団で修業していたほか、数多くの優れた人材を排出したことでも知られている。デ・カロ・サウンドを継承する大きな存在であるトロイロ楽団は、50年代から60年代へと時代を経るごとにそのサウンドに重厚さを増していくのだが、歌手にフランシスコ・フィオレンティーノを擁し、躍動感に溢れたフレッシュなサウンドを奏でていた40年代前半の演奏はひときわ魅力的。そこで重要な役割を果たしていたのが、ピアノのオルランド・ゴニやコントラバスのキチョ・ディアスといった天才的なプレイヤーたちだった。ピアソラがそこで経験を積んだのは、非常に大きなことだったのである。

Troilo60s
1960年代のアニバル・トロイロ楽団
この時期は弦セクションをかなり増強しているのが判る。歌手ロベルト・ルフィーノの向こう側に立っているのがトロイロで、この時は指揮に専念しバンドネオンは弾いていない。第1バンドネオン(向かって一番左)はエルネスト・バッファ、その隣は若き日のラウル・ガレーロ。ピアノはオスバルド・ベリンジェリである。

1940~50年代を代表するオルケスタ・ティピカとしては、オスバルド・プグリエーセ、カルロス・ディ・サルリ、アルフレド・ゴビなどの楽団も重要だが、彼らについては別項にまとめておくことにしよう。この時期には、彼ら以外にも多くの人気楽団が活躍していたが、特に強い個性を持ったわけではない、あまり知られていないような楽団の演奏にも、注目すべきもの、ティピカ・サウンドの真髄と言えるものが数多く存在しており、当時のタンゴ界の裾野の広さを物語っている。

また、当時のオルケスタ・ティピカを語る上で欠かせないのが専属歌手の存在である。歌手は楽団の顔となり、楽団指揮者と人気を二分した。録音されたレパートリーを見ても、楽団によってその比率にバラ付きはあるものの、インストゥルメンタルよりも歌ものの方が多い。当時はタンゴ歌曲の名作が数多く生まれた時期でもあり、作曲ではトロイロやマリアーノ・モーレス、作詞ではオメロ・マンシやエンリケ・カディカモをはじめとする多くの作家たちが活躍、そうした当時の新曲を各楽団が競って取り上げるという形で、ヒット曲が次々と生まれていった。

インストゥルメンタルも同様ながら、新曲と並んで1900年代初頭の作品(例えば「エル・チョクロ」)以降の様々な時期に書かれた作品も、幅広く演奏されていた。また、各楽団の指揮者や演奏メンバーによる作品もどんどん発表されていて、自らの楽団はもとより、ほかの楽団に取り上げられることも多かった。なお、1960年代中期以降のピアソラのように、基本的に自分で書いたオリジナル作品しか演奏しないというケースは、タンゴ界では極めて例外的である。

結果的に同じ曲をさまざまな楽団が演奏することになるわけで、各楽団は編曲に趣向を凝らして差別化を計っていくことになるわけだが、そこで重要になってくるのが編曲家の存在である。指揮者や楽団員が自ら編曲を手掛けるケースがほとんどだが、アルヘンティーノ・ガルバンのような専属編曲家も活躍するようになった。ピアソラやエミリオ・バルカルセなども、自らの演奏活動以外に様々な楽団に編曲を提供していたのである。

タンゴの楽団編成(3) 「オルケスタ・ティピカ」その3
(初出:2001年4月25日)

これまでにも説明した通り、4台程度のバンドネオンに4~5本程度の弦楽器、ピアノ、コントラバスに歌手というのが、最終的に固まったオルケスタ・ティピカの編成であるが、いくつかの楽団の写真などを見たりしていると、この定型にはこだわらずに楽器を増やしているケースもあったことがわかる。前回のアニバル・トロイロ楽団の写真にもあるように、弦楽器を増やしたものが特に多いが、珍しい例としては、バンドネオンを10台以上もずらりと並べたものまであった。これは音に厚みを加えるのが主な目的だが、見た目の派手さ、豪華さを狙う側面もあったようだ。また、楽団によっては上記以外にクラリネット、ヴィブラフォン、ハープ、ドラムスなどの楽器を、あくまでも隠し味的にだが加えることもあった。そのように編成がより大きくなった場合には“グラン・オルケスタ・ティピカ”(大オルケスタ・ティピカ)などの名称が使われたりしていたが、その辺の定義はけっこう曖昧である。

全体的にオルケスタ・ティピカの演奏力が最高潮に達したのは1950年代前半だった。様々な可能性が試みられた結果として音楽的にも成熟していったわけだが、編成の制約からくる表現上の限界も見え隠れするようになっていた。それをいち早く見抜いたのが他ならぬアストル・ピアソラだった。ピアソラがブエノスアイレス八重奏団を結成してタンゴ革命ののろしを上げ、タンゴを擁護してきたペロン政権が失脚した1955年以降、新しいティピカの登場は著しく減少し、トロイロ、プグリエーセなどの一流どころを除けばティピカの解散が相次いだ。需要の減少による経済的な問題と、音楽的な飽和状態の両面から、オルケスタ・ティピカの時代は終わりを告げ、経済的な負担も少なく音楽的な自由度も高い小編成楽団の時代へと移行していったのである。

オルケスタ・ティピカは、若い演奏家たちにとっては、タンゴのエッセンスを修得する重要な場所であったし、聴き手にとっても、タンゴのダイナミズムを体感させてくれる大きな存在だった。例えば、オルケスタ・ティピカの演奏を聴く醍醐味のひとつは、バンドネオン・セクションによるバリエーション(変奏)だろう。バリエーションとは、主に曲の終盤に登場する細かい音のパッセージのことで、基本的には、バンドネオン全員が同じフレーズを一糸乱れぬ状態で紡いでいくのである。粒がビシッとそろっていながら音にふくらみもあるバリエーション、そのスリリングな盛り上がりは、感情の高まりを呼び起こしてくれる。オルケスタ・ティピカの減少は歴史の必然であったとはいえ、やはり残念な気がしてならない。

Darienzo
1959年のフアン・ダリエンソ楽団。
5人いるバンドネオン陣の手前から2人目が第1バンドネオンのカルロス・ラサリ。
バンドネオン・セクションの迫力ある演奏は、オルケスタ・ティピカの醍醐味のひとつだ。

60年代以降もオルケスタ・ティピカを率いていた巨匠たちがこの世を去っていく中、現在までティピカを率い続けているのはレオポルド・フェデリコぐらいになってしまったが(レギュラーでの演奏活動はさすがに行っていない)[注1]、最近ではフアン・ホセ・モサリーニのように、オルケスタ・ティピカ編成での演奏活動を行うケースが徐々に出て来ている。エミリオ・バルカルセのタンゴ学校オーケストラは、その名の通り、若手タンゴ・ミュージシャンにティピカでの演奏経験を積ませるのが目的で結成された楽団である。小松亮太は5月にオルケスタ・ティピカを率いてのコンサートを開催するが[注2]、これは必見だろう。オルケスタ・ティピカに果たして未来はあるのか? いや、そんなことよりも、とにかくティピカの生演奏に接する喜びを感じてみて欲しいのである。

注1:レオポルド・フェデリコは2014年12月28日に死去
注2:この翌年、2002年6月の小松亮太&オルケスタ・ティピカによるブルーノート東京での公演は『ライヴ・イン・Tokyo~2002』としてリリース

2021年2月 8日 (月)

ユニバーサルミュージックよりアストル・ピアソラの復刻CD7タイトルが登場

来る3月11日、アストル・ピアソラが生誕100年を迎える。ということで、ここのところ原稿依頼などが続き、おかげさまで忙しい日々を過ごしている。そんな中で残念なこともあって、品切れになったままの拙訳『ピアソラ 自身を語る』(ナタリオ・ゴリン著)を増刷してもらえないかと河出書房新社の担当者に打診してみたのだが、蹴られてしまった。「この本を出したころとは音楽書をめぐる状況も変わってしまいました」だそうだ。読みたい方には、古本で探していただくしか、今は手だてがない。面白いのにね。

腰の重かったユニバーサルからは、ついに『アストル・ピアソラ フィリップス&ポリドール・イヤーズ』全7Wが3月3日に出ることになり、1月中はデータチェック、全オリジナル・ジャケット貸出、ライナー執筆等の作業に忙殺されていた。音源自体はアルゼンチンで2012年から14年にかけてリリースされた"Astor Piazzolla Completo en Philips y Polydor"シリーズで使われたリマスターと同じだが、今回の国内復刻は、やはりオリジナル・ジャケットでの復刻がポイントだろう。なかなかCDが出しづらくなっている状況の中、できる範囲で頑張ったので、ぜひご贔屓に願いたい。ラインナップは以下の通り。

Uccm45001
『モダン・タンゴの20年』UCCM-45001
<Tower Records> <amazon>
デビューからの20年間に率いてきた楽団の変遷を自ら再現した1964年の画期的企画。
単なる回顧に留まらず、幻の「タンゴ・バレエ」から五重奏団用新曲まで初録音曲も多数収録。

Uccm45002
『エル・タンゴ』UCCM-45002
(ステレオでは世界初単独CD化)

<Tower Records> <amazon>
文豪ホルヘ・ルイス・ボルヘスの詩や散文に曲を付け、音楽と文学の劇的な融合が実現。
壮大な企画を彩るもう一人の主役は、タンゴ界きっての名歌手エドムンド・リベーロだ。

Uccm45003
『ニューヨークのアストル・ピアソラ+6』UCCM-45003
(オリジナル・ジャケットでは世界初CD化)
<Tower Records> <amazon>
文化使節として訪れた五重奏団NY公演の成功を受け、帰国後にスタジオ録音した大傑作。
ボーナス・トラックとして「ブエノスアイレスの夏」初録音など貴重な6曲を収録。

Uccm45004
『タンゴの歴史 第1集/グアルディア・ビエハ』UCCM-45004
(オリジナル・ジャケットでは世界初CD化)

<Tower Records> <amazon>
タンゴ勃興期を彩った古典名曲の数々を大編成オーケストラで大胆に料理する企画第1弾。
「エル・チョクロ」「ラ・クンパルシータ」がアッと驚く奇抜なアレンジで生まれ変わる。

Uccm45005
『タンゴの歴史 第2集/ロマンティック時代+7』UCCM-45005
(オリジナル・ジャケットでは世界初CD化)

<Tower Records> <amazon>
タンゴ名曲の編曲企画第2弾は、ピアソラのルーツと言える好みの音楽家たちの作品中心。
ボーナス・トラックとして、頓挫した『第3集/1940年代』用録音など貴重な7曲を収録。

Uccm45006
『コラボレーションズ』UCCM-45006
(2014年編集、世界初単独CD化)

<Tower Records> <amazon>
1974年以降拠点を欧州に移したピアソラと各国の歌手たちとの貴重な共演を1枚に編集。
ジョルジュ・ムスタキ(ギリシャ)からネイ・マトグロッソ(ブラジル)まで顔ぶれも多彩。

Uccm45007
『オランピア '77』UCCM-45007
(世界初単独CD化)

<Tower Records> <amazon>
短命に終わった1970年代“エレクトリック・ピアソラ”期では最高の内容を誇る白熱のライヴ。
息子ダニエルや故国のロック系若手と「リベルタンゴ」「アディオス・ノニーノ」を披露。

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