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2020年5月

2020年5月30日 (土)

内山田洋とクール・ファイブのレコード(8)~アルバム『夜のバラード』

前回ご紹介した内山田洋とクール・ファイブ4枚目のシングル「愛の旅路を/夜毎の誘惑」リリースと同じタイミングで、2枚目のアルバム『夜のバラード』がリリースされた。

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・アルバム02(カヴァー・アルバム01)

夜のバラード
RCA JRS-7075 1970年4月5日リリース

Side 1
1) 夜霧よ今夜もありがとう
浜口庫之助 作詞・作曲/森岡賢一郎 編曲

2) 女の意地
鈴木道明 作詞・作曲/森岡賢一郎 編曲

3) 京都の夜
秋田 圭 作詞/中島安敏 作曲/森岡賢一郎 編曲

4) ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー
鈴木道明 作詞・作曲/森岡賢一郎 編曲

5) ひとり酒場で
吉川静夫 作詞/猪俣公章 作曲/森岡賢一郎 編曲

6) 霧にむせぶ夜
丹古晴巳 作詞/鈴木 淳 作曲/森岡賢一郎 編曲

Side 2
1) 港町ブルース
深津武志 作詞・なかにし礼 補作/猪俣公章 作曲/森岡賢一郎 編曲

2) 夢は夜ひらく
中村泰士 作詞/曽根幸明 作曲/森岡賢一郎 編曲

3) 赤坂の夜は更けて
鈴木道明 作詞・作曲/森岡賢一郎 編曲

4) 夜霧の第二国道
宮川哲夫 作詞/吉田 正 作曲/森岡賢一郎 編曲

5) 池袋の夜
吉川静夫 作詞/渡久地政信 作曲/森岡賢一郎 編曲

6) グッド・ナイト・ベイビー
ひろ・まなみ 作詞/むつ・ひろし 作曲/森岡賢一郎 編曲

内山田洋とクール・ファイブ 唄/前川 清
Side 1(4) 唄/内山田洋
Side 2(6) 唄/小林正樹

ゲートフォールド(見開き)ジャケットで前川清の二つ折りポスター(写真提供:週刊「明星」)付。

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ジャケット内側には浅井英雄のライナーと歌詞、前月リリースの藤圭子のファーストなどRCAのアルバム3点のカタログが掲載されていて、そこでは彼らのファースト・アルバム『内山田洋とクール・ファイブ』が『魅惑のコーラス/内山田洋とクール・ファイブ』というタイトルで紹介されている(以後のアルバムのカタログ部分でも同様)。ファースト・アルバムそれ自体には『魅惑のコーラス』などという表記は一切見当たらないのだが。

また、本作のジャケットには紺がベースのものと白のものと2パターンあり、紺の方が初回盤だが、違いは色だけではない。

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紺盤ではジャケット内側のアーティスト表記が誤って「内山田洋とクール・フィブ」となっていたのが白盤で訂正され、

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歌詞カードも「港町ブルース」と「夢は夜ひらく」が実際に歌われている通りに改められた(詳細は曲目解説にて)。

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ファーストがオリジナル作品集だったのに対し、曲目をみればわかるように、本作はすべてカヴァーで構成されている。クール・ファイブのアルバムはこれ以降、基本的にオリジナル・アルバムとカヴァー・アルバム(とライヴ・アルバム)に分けてリリースされていく。

この中では、鈴木道明(どうめい、1920年11月12日東京生まれ、2015年12月23日没)の作詞・作曲作品が3曲取り上げられているのが目につく。発表順に行くとまず「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」。この曲と作者の鈴木については、音楽評論家の安倍寧が名古屋テレビ広報誌『若い11』1966年3月号に寄稿した文章(同年の著書『流行歌の世界』に再録)をご本人がブログ『好奇心をポケットに入れて』に転載されていたので、是非そちらもお読みいただきたい。以下はそこからの引用である。

昭和三十七年(1962年)のことである。
ひとり暮しだった鈴木道明氏は、日曜日だというのに愛車をガレージから引き出して食事に出掛けた。小雨がけぶる夕暮れどきで、フロント・グラスのワイパーが、忙しく動いていた。
「ちょうど表参道あたりだったかな。日曜日だけど、ゆきつけのレストランは、やってるかなと思いながらハンドルを握っていると、あのメロディーが、自然に湧いてきたんだ。もちろん、歌詞といっしょにね」

安倍によれば、東京放送(TBS)のテレビ・ディレクターでとりわけジャズに造詣の深い鈴木が、自身の手掛ける番組の中で“あまり有名でない”ジャズ歌手の水島照子にこの曲を歌わせたところ、各社からレコード化の依頼が殺到したとのこと。ちなみに水島の歌った録音は江崎実生監督、石原裕次郎主演の日活映画『黒い海峡』(1964年12月31日公開)の挿入歌として使われているはずだが、この音源はレコード化されておらず、DVDは出ているものの筆者は内容を確認できていない。各社競作となったこの曲は、1965年1月に日野てる子(ポリドール、編曲は前田憲男)と越路吹雪(東芝、編曲は藤家虹二、演奏は藤家虹二セクステット)、2月に和田弘とマヒナ・スターズ(ビクター、編曲は和田弘)とアイ・ジョージ(テイチク、編曲は中川昌、演奏は永尾公弘とノーカウンツ・オーケストラ)、3月にブレンダ・リー(テイチクのデッカ・レーベル、日本語ヴァージョンと英語ヴァージョンのカップリング、編曲者クレジットなし)とリリースが相次いだ。

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それぞれ歌はもとよりアレンジにも大いに趣向が凝らされていて、聴き比べも楽しいが、どう料理されても映えるメロディの良さは特筆すべきもの。ところがこの曲(日本語)には2種類のまったく異なる歌詞がついている。歌い出しはそれぞれこんな感じだ。

タイプA)
ワン・レイニーナイト・イン・トーキョー
濡れた舗道には
ゆれる灯(ともしび)が
何故か切なくて

タイプB)
小雨降る夜は
なぜか淋しくて
しんみりあなたと
お話ししたいの

英語)
One rainy night in Tokyo
One lonely boy  no place to go
One lovely girl  raindrops in hair
Two people meet  they make a pair

ジェフリー・セルドンとメンディ・ブラウンによる英語詞の元にもなったタイプAを歌っているのは日野、アイ・ジョージ(一番が英語、二番がタイプAの一番)、ブレンダ・リー、青江三奈(ビクター、アルバム『グッド・ナイト』、1969年、編曲は寺岡真三)、石原裕次郎(テイチク、アルバム『石原裕次郎 女心を歌う』、1972年12月、編曲は山倉たかし)など。タイプBは越路、マヒナ、西田佐知子(ポリドール、アルバム『愛ひとすじに』、1971年11月、編曲は広瀬雅一)など。時代を経て、2010年代になってから八代亜紀(タイプA、アルバム『夜のアルバム』、2012年12月)川上大輔(タイプB、アルバム『ベサメムーチョ~美しき恋唄』、2013年3月)、なかの綾(タイプA、アルバム『わるいくせ』、2014年9月)と話題作への収録が相次いだのも興味深い。

クール・ファイブはタイプBで、コーラス・ハーモニーを生かした森岡のジャジーなアレンジもいいが、リード・ヴォーカルを前川清ではなく内山田洋が担当し、ちょっとノスタルジックな響きのクルーナー・ヴォイスを披露しているのが最大のポイント。彼らは1974年8月18日に東京のロイヤル赤坂で録音されたライヴ・アルバム『内山田洋とクール・ファイブ・リサイタル』の中でも、東京をテーマにした3曲メドレーの中で「ラブ・ユー東京」と「ウナ・セラ・ディ東京」に挟まれる形でこの曲(表記は「ワン・レイニ・ナイト・イン・トウキョウ」)を1コーラスのみ披露しているが、そこでは前川清がタイプAの歌詞の方を歌っているのが面白い。

ところでこの曲はハリー・ウォーレン作曲の映画『ムーラン・ルージュ』(1934年)主題歌「夢破れし並木道(Boulevard of Broken Dreams)」に類似しているとして、鈴木と日音がアメリカの音楽出版社、レミック・ミュージック・コーポレーションから訴えられた。最終的に最高裁まで争われたが、「偶然の暗合」は著作権侵害にはならないとして1978年に上告は棄却された。確かに原曲を聴いたときには、メロディーが「まぁ似てるかな」と思った程度だったが、ある人から教えられてアート・テイタムによるソロ・ピアノ演奏(恐らく1959年のアルバム『More Of The Greatest Piano Of Them All』収録)を聴いてみたら、ほとんど同じ曲としか思えなかったので、念のため書き添えておく。

「女の意地」も鈴木の代表作のひとつで、西田佐知子のヒット曲としてよく知られているが、実はオリジナルはマヒナ・スターズで、1965年9月に「女の恋ははかなくて」のタイトルでリリースされている(編曲は寺岡真三。歌詞は後の「女の意地」とまったく同じ)。そしてそのカップリングがやはり鈴木作の「赤坂の夜は更けて」(編曲は和田)だった。この2曲が生まれた経緯についても前述の安倍の文章から引用しておく。

「赤坂の夜は更けて」は、夜の赤坂界隈のものうい雰囲気を伝えてあまりある曲だが、氏の頭にこのメロディーが浮かんだのは、仕事があって会社のデスクにおそくまで残っていたときだったという。(いうまでもなく東京放送は赤坂・一ツ木通りにある)
「会社を出たとき、時計を見たら十一時十五分だった。銀座で一杯やりたいけれど、十一時半がカンバンの銀座にゆくには、時間がない。どうしようかなと思いまどっているときに、でてきたんだ」
マヒナ・スターズのヒット曲、「女の恋ははかなくて」を作ったときも、会社でおそくまで残業していたときだった。人気のない部屋に、ひとりぽつんといると、たぶん「東芝日曜劇場」カメリハでも終わったのだろう、池内淳子が石井ふく子プロデューサーといっしょに入ってきた。
深夜、編成局の片隅から、いくぶん疲れの見える池内淳子を暼見したとしたら、道明氏でなくても「柳沢真一との結婚生活に破れてからの彼女は、しあわせなのだろうか。仕事はうまくいっているけれども、私生活では幸福なんだろうか」と思わずにいられないだろう。「女の恋は」のモデルが池内だというのではないが、深夜、垣間見た彼女に触発されて、この歌ができたことだけは、間違いないようである。

西田はマヒナのシングルにあった2曲のAB面を入れ替え、B面のタイトルを「女の意地」として1965年10月5日にリリース(編曲は2曲とも川上義彦)。「赤坂の夜は更けて」は同時期に島倉千代子もコロムビアから出しているが、売れたのは西田の方だった。鈴木の描く都会的な雰囲気と、西田のクールな歌唱は相性もピッタリだった。「女の意地」は最初B面だったものの、西田のお気に入りとなり、彼女は大切に歌い続けていた。そんなこともあって、クール・ファイブも2曲とも取り上げることにしたのだろうが、この『夜のバラード』リリースから半年後の1970年10月5日、3枚目のシングルで「女の意地」を取り上げたのが、1972年に「バス・ストップ」をヒットさせることになる平(たいら)浩二である(編曲は有明春樹)。佐世保出身で前川清とは小・中学校で同級生だった平にとって、このカヴァーが初のヒット(オリコン42位)となった。この動きに刺激されてか、西田もオケはそのまま歌を録音し直したシングルを12月1日にリリース、改めて大ヒットとなった(オリコン7位)。当初この『夜のバラード』からシングルは切られなかったが、リリースから1年近く経過した1971年2月25日になって「女の意地」がクール・ファイブ8枚目のシングルとしてカットされたのには、そんな事情もあったのである(オリコン43位)。

歌われた歌手とヴァリエーションの多さで群を抜くのが「夢は夜ひらく」だろう。私もすべては把握できていないし、リストアップするだけで膨大な量になってしまうため、ここでは簡単な紹介に留めておく。作曲したのは曽根幸明(1933年12月28日世田谷生まれ、2017年4月20日没)。未成年の時に事件を起こし、東京少年鑑別所(通称:ネリカン)に9か月間収監されていた時、シャバにあこがれてふと口をついて出て来たのが、あのメロディーとこんな歌詞だった。

いやな看守に にらまれて
朝も早よから ふきそうじ
作業終わって 夜がくりゃ
夢は夜ひらく

曽根は1959年に藤田功の芸名で歌手デビューしたが売れず、1966年に藤原伸として再デビューするが、そのデビュー曲「ひとりぽっちの唄」とは、ネリカンで作ったあの曲だった。自身で新たな詞を付け、作詞家としては川上貞次を名乗った。「ひとりぽっちの唄」は高橋英樹と和泉雅子主演の日活映画『男の紋章 竜虎無情』(1966年1月14日公開)の主題歌に起用されたが、やはり売れなかった。そんなこの曲に目を付けたのが当時ポリドールのディレクターだった(のちに音楽プロデューサー)松村慶子で、担当していた園まりにこの曲を歌わせることにした。新たな歌詞を中村泰士と富田清吾が書き、最初の歌詞にあった「夢は夜ひらく」をタイトルにして意匠替え。1966年9月にリリースされた園のレコード(作曲クレジットに曽根の名はなく、「中村泰士 採譜補曲」となっている)は大ヒットとなり、たちまち何組かの歌手との競作となったが、みんなそれぞれ違う歌詞を歌っている。組み合わせを見てみると、緑川アコ(クラウン、デビュー盤)が水島哲作詞、バーブ佐竹(キング)が藤間哲郎作詞、梅宮辰夫(テイチク)が志賀大介作詞、という塩梅である。芸名を藤田功に戻した曽根自身も愛真知子とのデュエットの形でリリースしたが(テイチク)、こちらの作詞は大高ひさをである。

独自詞によるインパクトといえば、やはり石坂まさをが作詞した藤圭子(RCA)の「圭子の夢は夜ひらく」にとどめを刺すだろう。このシングルの発売は『夜のバラード』と同日の1970年4月5日で、前月の3月5日リリースの藤のデビュー・アルバム『新宿の女/“演歌の星”藤 圭子のすべて』にも「夢は夜ひらく」として収録されていたが、実は1969年9月に彼女が「新宿の女」でデビューする時点で既にこの曲は用意済だったという。最初にバンと売れてしまって失速しないよう、シングルのリリース・スケジュールは「新宿の女」~「女のブルース」~「圭子の夢は夜ひらく」と周到に計算されていたというのである。

このような独自の歌詞によるリリースは主にシングルの場合で、アルバムにカヴァー曲として収録する場合は、誰かのヴァージョンを歌うというパターンが多かったはず。クール・ファイブもここでは園まり版に準じた内容で歌っているが、歌詞が六番まであるうち、歌われているのは一、三、五、六番のみである。ところが、紺盤の時点ではジャケット内側に一、二、三番の歌詞が掲載されてしまったため、白盤で改められた。一方、作詞は中村・富田の2名のはずだが、白盤では富田の名前が消えてしまった(レーベル面は最初から中村の名前しかない)。

以上4曲の解説に手間取ってしまったので、あとはさらっと流していく。オープニングを飾る「夜霧よ今夜もありがとう」(本来のタイトルは「夜霧よ今夜も有難う」)は1967年2月にテイチクからリリースされた石原裕次郎の代表曲のひとつ。浅丘ルリ子と共演した3月公開の同名日活映画(1942年の米映画『カサブランカ』の翻案。監督は前述の『黒い海峡』同様江崎実生)主題歌として、浜口庫之助が作詞・作曲した(編曲:山倉たかし)。

「京都の夜」は、京都府出身の愛田健二のセカンド・シングルとして1967年6月にポリドールからリリースされ、ヒットを記録した(編曲:川上義彦)。作曲の中島安敏は、エミー・ジャクソン「涙の太陽」や黛ジュン「霧のかなたに」など主にポップス系の作品で知られる。作詞の秋田圭の他の作品については調べがつかなかった。“馬鹿だなぁ”で始まる間奏の語りの部分は省略されているが歌詞カードには載っていて、これは白盤でも訂正されなかった。

猪俣公章が作曲した森進一(ビクター)のヒット曲が2曲。「ひとり酒場で」は1968年7月にリリースされた10枚目のシングルで、森にとって初のワルツだった。そして「年上の女」を挟んで1969年4月にリリースされた「港町ブルース」は100万枚を超え、最大のヒットとなった。雑誌「平凡」同年2月号で歌詞が一般公募され、優秀作として選ばれた7人(一番を書いた深津武志が全員を代表して作詞者としてクレジットされた)の書いた歌詞をなかにし礼が再構成した。それまで森の歌う猪俣作品はすべて猪俣自身がアレンジしていたが、この曲では初めて森岡賢一郎が担当し、どちらかといえばストイックな猪俣アレンジに対し、カラフルでスケールの大きな作品に仕上げた。『夜のバラード』に選ばれ森岡がアレンジした12曲の内、原曲も森岡が編曲を手掛けていた唯一の曲で、もちろんクール・ファイブ向きにコーラス・パートなども加えて独自の色に染め上げているが、アレンジの完成度ではさすがに森のオリジナルに分があるだろうか。ちなみにここでは歌詞が六番まであるうち三番と四番は歌われていないが、紺盤では歌詞カードにすべて掲載され、「※印のみ唄っています」と一、二、五、六番の頭に印が付いていた。白盤では実際に歌われている部分のみの掲載に改められたが、この注釈が意味なく残ってしまっていた。ところでこのアルバムのあと、森岡は森のアルバム用に「港町ブルース」の新アレンジを2度も書いている。

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1970年7月5日リリースの『森進一のブルース』にはクール・ジャズ風。

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1974年7月25日リリースの『森進一グランド・デラックス』にはカントリー・ロック風と、それぞれ趣が異なるテイストに仕上げていて面白い。

「霧にむせぶ夜」は1968年4月にリリースされた黒木憲(東芝)のセカンド・シングル(編曲:湯野カオル)で、オリコン第3位を記録し、彼の代名詞となった。作曲の鈴木淳は、後にクール・ファイブに7枚目のシングルとなる「すべてを愛して」を提供することになる。

フランク永井の「夜霧の第二国道」(ビクター)は作品としては最も古く、1957年10月にSP盤(78回転)およびドーナツ盤(45回転)でリリースされている(編曲:寺岡真三。ステレオ再録音は1962年1月の10インチLP『ステレオ・魅惑の低音傑作集』に収録)。1か月後にリリースされた「有楽町で逢いましょう」と並び、ジャズを愛する豊かな“魅惑の低音”の持ち主である永井と、洗練されたメロディーを編み出すことに長けた吉田正の出会いによって生まれた、都会派ムード歌謡の先駆的傑作。第二国道とは、国道1号線のうち、品川区西五反田から横浜市神奈川区までを走る第二京浜のことだそうだ。

「池袋の夜」は青江三奈(ビクター)の16枚目のシングルとして1969年7月にリリースされ(編曲:寺岡真三)、「伊勢佐木町ブルース」や「長崎ブルース」を凌ぐ彼女最大のヒットとなった。作曲の渡久地政信は沖縄出身。

ここまではすべてソロ歌手のヒット曲が並んだが、それぞれをクール・ファイブ流にうまくアレンジし、表現してきている。厳密にいえばマヒナ・スターズがオリジナルの鈴木作品も2曲あったが、そもそもマヒナとクールではヴォーカル・パートの組み立て方がまったく異なるので、そのまま置き換えるということはありえない。そして他のグループのヒット曲を取り上げた唯一の曲が、最後を飾るザ・キング・トーンズの「グッド・ナイト・ベイビー」ということになる。リーダーの内田正人を中心に1960年からステージ活動を続けてきた彼らは、1968年5月にポリドールからこの曲でデビューし、1969年3月まで掛かってオリコン第2位まで押し上げている。作曲のむつ・ひろしとはポリドールで担当ディレクターだった松村孝司のペンネームで、作詞のひろ・まなみは後に大日向俊子として野口五郎や和田アキ子に多くの作品を提供することになる。キング・トーンズは直接的にドゥ・ワップ・スタイルを取り入れていて、この曲にも当然ながらそのエッセンスは十二分に盛り込まれている。一方クール・ファイブにおいて通常、ドゥ・ワップ的な要素は隠し味的なものに留まっているが、この曲ではファルセット担当の小林正樹を(いささか不安定ながら)リード・ヴォーカルに据えることで、普段とは違う色合いを出そうとしているのがよくわかる。

(文中敬称略、次回に続く)

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