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2020年2月

2020年2月15日 (土)

内山田洋とクール・ファイブのレコード(4)~シングル「わかれ雨/不知火の女」とアルバム『内山田洋とクール・ファイブ』

前回、1969年2月5日にリリースされた内山田洋とクール・ファイブのデビュー・シングル「長崎は今日も雨だった」を紹介した際、大事なことを書き忘れていた。伴奏に参加した主要メンバーが判明していたのだ。ジャズ・ジャーナリストの小川隆夫による、サックス奏者村岡建(たける)へのインタヴュー「【証言で綴る日本のジャズ】村岡建<第3話>」(詳しくはこちら)によれば、彼はスタジオ・ミュージシャンとして最初に加山雄三の「君といつまでも」(1965年12月リリース、編曲は森岡賢一郎)に参加した後、沢田駿吾クインテット(ギターの沢田、テナー・サックスの村岡のほか、ベースが池田芳夫、ピアノが徳山陽、ドラムスが日野元彦)のメンバーとして、1967年2月にリリースされた石原裕次郎のシングル「夜霧よ今夜も有難う」(浜口庫之助作詞・作曲/山倉たかし編曲)のレコーディングに参加したという。そして「長崎は今日も雨だった」について、「日本ビクターがまだ築地にあったときで、これも沢田さんのバンド」と語っている。ただし、少なくともベースの池田は1968年頃にはバンドを抜けていて(彼は本来アコースティック・ベース奏者である)、ここで印象的なエレキ・ベースを弾いているのは、すでに日本を代表するスタジオ・ミュージシャンとして活躍中だった江藤勲である。

さて、前回触れたように「長崎は…」は、5月に入ってからチャートを上昇。これを受けての第2弾として7月5日にリリースされたのが「わかれ雨」である。

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●シングル02

A) わかれ雨
鳥井 実 作詞/彩木雅夫 作曲/森岡賢一郎 編曲

B) 不知火の女
新野 新・村上千秋 共作詞/城 美好 作曲/森岡賢一郎 編曲

RCA JRT-1027 1969年7月5日発売

作曲は「長崎は…」に引き続いての彩木雅夫、作詞は1967年9月の森進一6枚目のシングル「命かれても」で彩木と組んでいた北海道出身の鳥井実(1935年生まれ、2018年8月30日没)が起用された。「長崎は…」でエンジニアを務めた内沼映二は、以降独立後の前川清のソロも含め、一部の例外を除く大半のレコーディングでエンジニアを務めることになる。この曲も築地のビクター・スタジオでの録音のはずだ。

「わかれ雨」は、ハープとグロッケンシュピールによる幻想的な導入部も印象的な3連のロッカバラード。「♪帰らぬ恋ぃと~」の「と~」と伸ばす部分、そしてサビの部分の「♪イヤイヤ~」のところなど、「長崎は…」ではまだ抑え気味だった、前川清独特のある種過剰なヴィブラートが、この曲で初めて表出されている。ただ、大ヒット曲に続く第2弾としては、曲調も歌詞もかなり渋いとも言える。実際のところ「長崎は…」のチャート2位、72.8万枚(オリコン調べ。公称では100万枚)に対し、「わかれ雨」はチャート32位、12.8万枚(同。公称で30万枚以下)という結果で、売り上げはかなり伸び悩んだ。

担当ディレクターの山田競生は1981年のインタヴューでこう語る。「作曲の彩木さんとは、三作まで書いてもらう約束になっていたんです。これは私のレベルではなく、私がクール・ファイブ担当に決まる前に、上の方で約束していた話なんです。<長崎は今日も雨だった>に関しては、私は後から乗ったんですから、二作目の<わかれ雨>があんな曲でしたので、もし三作目が駄目な曲だったら彩木さんに降りてもらうしかない、と思っていました」(中山久民・編著『日本歌謡ポップス史 最後の証言』[白夜書房]より)

担当者に「あんな曲」と言われてしまった「わかれ雨」だが、少年時代の桑田佳祐がとりわけ夢中になった曲でもある。そして1970年9月27日の日劇でのリサイタルを収録した2枚組『豪華盤「クール・ファイブ・オン・ステージ」』(1970年12月25日リリース)では彼ら自身の演奏によるこの曲が聴けるが、内山田洋はMCで「大変私たちは素敵な曲だと信じております」と紹介してからこの曲を演奏し始める。そこには「あまり売れませんでしたが、でも…」という言外のニュアンスが込められているように思えるのだ。

同じ3連のロッカバラードでも、より親しみやすいカップリングの「不知火の女」は、城美好(チャーリー石黒)の作曲。有明海をテーマにしたご当地ソングだが、作詞の新野新(しんの・しん。1935年生まれ)は大阪市生まれの放送作家。「涙こがした恋」同様、共作詞者として村上千秋が名を連ねている。

そして、いよいよアルバムが登場する。

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●アルバム01(オリジナル・アルバム01)

内山田洋とクール・ファイブ
RCA JRS-7045 1969年11月5日リリース

A面
1) 長崎は今日も雨だった
永田貴子 作詞/彩木雅夫 作曲/森岡賢一郎 編曲

2) わかれ雨
鳥井 実 作詞/彩木雅夫 作曲/森岡賢一郎 編曲

3) 涙こがした恋
中山淳太郎・村上千秋 共作詞/城美好 作曲/森岡賢一郎 編曲

4) 噂の女
山口洋子 作詞/猪俣公章 作曲/毛利 猛 編曲

5) 長崎詩情
中山貴美 作詞・村上千秋 補作/城美好 作曲/竹村次郎 編曲

6) あなたが欲しい
内山田洋 作詞・作曲・編曲

B面
1) 逢わずに愛して
川内康範 作詞/彩木雅夫 作曲/森岡賢一郎 編曲

2) 不知火の女
新野 新・村上千秋 共作詞/城 美好 作曲/森岡賢一郎 編曲

3) 一度だけなら
山口洋子 作詞/猪俣公章 作曲/毛利 猛 編曲

4) 女のまごころ
宮本悦朗 作詞・村上千秋 補作/宮本悦朗 作曲・編曲

5) 恋の花火
川内康範 作詞/彩木雅夫 作曲/森岡賢一郎 編曲

6) 明日はないの
村上千秋 作詞/城 美好 作曲/宮川 泰 編曲

記念すべきデビュー・アルバム。何よりも画期的だったのは、全曲オリジナルであること。当時の歌謡界では、アルバムといえば自身のシングル曲以外は、他の人気歌手のヒット曲のカヴァー、過去の名曲などで構成するのが常だったからだ。

山田は語る。「オリジナルとカヴァー、並の歌手ならそれでよかった。でもクール・ファイブは違う。稀に見る逸材だ、これからの会社を背負って立つアーティストだ、そのファースト・アルバムは絶対にオリジナルでなくては、というのが僕の信念でしたね」(CDボックス『結成40周年メモリアルBOX こ・い・う・た~内山田洋とクール・ファイブBEST100~』ブックレットより。2007年8月7日、BMG JAPANにて。聞き手:鈴木啓之、高護)

過去2枚のシングルAB面曲4曲以外は、すべてクール・ファイブのための書き下ろしだが、そもそも並のラインナップでなかったことは、その後の彼らにとっていずれも重要なヒット曲となった「逢わずに愛して」(第3弾シングル)「噂の女」(第5弾シングル)がすでに含まれていることからもわかるだろう。その2曲については、シングル紹介の項で詳しく書くことにしよう。

それらに続く重要曲は「一度だけなら」。「噂の女」と同じ作詞・作曲家コンビ、すなわち東映ニュー・フェイスからクラブ・ホステスを経て作詞家に転身したばかりだった山口洋子(1937年5月10日名古屋市生まれ、2014年9月6日没)と、古賀政男門下からスタートし森進一の一連のヒット曲を手掛けていた猪俣公章(1938年4月11日福島県会津生まれ、1993年6月10日没)による、同じ3連でも12拍子のロッカバラードではなく9拍子のワルツ風の曲。内山田洋によれば、「逢わずに愛して」が次のシングルとなる際、候補として最後まで争ったのが「噂の女」と「一度だけなら」だったということである。結果的にこの曲は、同じRCAから“歌謡界の若獅子”のキャッチフレーズで1970年6月5日にデビューした野村真樹(現:将希)の最初のシングルとなり、オリコン10位の大ヒットとなった。1952年11月13日北九州市生まれ、尼崎市育ちで、前川清と共通する感覚もありながら、より線の細い野村は、担当も同じ山田ということもあり、クール・ファイブの面々にも可愛がられた。楽曲の行き来も少なからずあったが、牧歌的な雰囲気もある「一度だけなら」に関しては、野村のキャラクターによりフィットしていたということは言えるだろう。なお野村は、このクール・ファイブのファースト・アルバム収録曲からは「涙こがした恋」「不知火の女」「噂の女」も後にアルバムの中で取り上げることになる。

Jrs9241

(これは1975年リリースのベスト・アルバム『野村真樹大全集』。クール・ファイブと関係する曲目がまとめて聴ける)

森進一「年上の女」を書いた中山貴美の作詞、城美好作曲による「長崎詩情」は、ロマンチックなロッカバラード。編曲は、クール・ファイブでは主にカヴァー曲でその手腕を振るうことになる竹村次郎(1933年8月26日東京生まれ)。この曲はメンバーたちも大変気に入っていたようで、長崎をテーマにした企画アルバム『長崎詩情』(1972年3月25日リリース)のタイトルおよびリード曲(録音は同じ)となるほか、1978年12月5日リリースのメンバー自選ベスト『<スター・マイ・セレクション・シリーズ> 内山田洋とクール・ファイブ』にも「長崎は今日も雨だった」「逢わずに愛して」と共に収められている。そのライナーで内山田は、「我々にとっては切っても切れない“長崎”の四季を歌い込んだ曲で、望郷の想いを慰めてくれる、いわば我々の心のテーマ・ソングと云えるものです」とコメントしている。

クール・ファイブの音楽的中心となる内山田洋と宮本悦朗、それぞれのオリジナル作品が収録されたのも大きなポイント。「港の別れ唄」「東京砂漠」など、折々で重要曲を作曲することになるリーダーの内山田だが、作詞も編曲も手掛けたのは、「あなたが欲しい」が唯一。どこか可愛らしい風情の曲だ。もちろんクニ・河内が書いたザ・ハプニングス・フォーの同名の曲(1967年11月5日リリース)とは何の関係もない。

一方、洋楽的なセンスがなかなかお洒落な「女のまごころ」は、主にステージで編曲や音楽監督的なポジションを担っていくことになる宮本が、村上の手を借りながら同様に作詞までこなした作品。

「恋の花火」は、川内康範作詞、彩木雅夫作曲、森岡賢一郎編曲という「逢わずに愛して」と同じ組み合わせによる佳曲。川内については、「逢わずに愛して」のシングル紹介の折に、詳しく触れたい。そして最後の「明日(あした)はないの」は、村上が単独で歌詞を書き、城が作曲したもの。ザ・ピーナッツの育ての親としてもお馴染みの宮川泰(ひろし。1931年3月18日北海道留萌市生まれ、2006年3月21日没)が編曲しているが、彼がクール・ファイブのレコードを手掛けたのはこの曲が唯一。【2020年3月21日追記】「明日はないの」は、ゴールデン・ヴェールの1967年4月のシングル「命こがして」のB面曲「私、明日はないの」(新野新作詞、村上千秋補作詞)のリメイクだった。詳しくは第5回参照。

以上12曲、すべて3連のリズムで書かれながらバラエティーにも富み、クール・ファイブの魅力を広くアピールする力を持ったこのデビュー・アルバムは、30万枚を超える売り上げを記録した。クール・ファイブの全LPの中で、オリジナル・フォーマットのままCD化されたことのある唯一のアルバムでもある。

ところでこのアルバム、今は手元に2枚あるが、B面最後のマトリクス番号が刻まれた送り溝の幅が大きく異なっているのが興味深い。JRS 7045 B 111+++のものはかなり幅広く(つまり曲中の溝と溝の間が狭い)、

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JRS 7045 B 122+++の方は逆にかなり狭い。

Img_7880

A面はどちらもその中間の通常のバランスとなっている。カッティングによるこのような差は、どうして生じたのだろうか。

(文中敬称略、次回に続く)



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