フォト
無料ブログはココログ

« 2019年2月 | トップページ | 2019年8月 »

2019年3月

2019年3月20日 (水)

パソコンの内蔵ハードディスク・ドライブの交換

「パソコン買いました」のタイトルで、NECのValueOneというWindows XPパソコンの購入について書いたのは、訳書『ピアソラ 自身を語る』が出た直後の2006年9月のことだった。その5年後の2011年9月には次のパソコンを購入しているが、買い替えに踏み切った直接の理由はよく覚えていない。この時買ったのは、PCワンズというショップのBTOパソコン(一応Micro gear A3850/H)という型番が付いていた)で、OSはWindows 7 Professional 64Bit、起動ドライブはSSD(Crucialの64GB)、データはHDD(Western Digitalの1TB)という構成を選択。本体の合計価格は98,785円だった。ディスプレイはLGの21.5型液晶タイプ(E2260V)を別途購入し(amazonで12,817円)、キーボードはValueOneのものをそのまま継続して使用。

SSDの64GBというのは、当時としては標準的な容量ではなかったかと思うが、少しずつ膨れ上がり、移動可能なファイルをことごとくDドライブのHDDに移しても、まったく余裕がなくなってしまったので、2017年10月にSanDiskの240GBのもの(SSD PLUS)に交換。2011年には64GBで11,980円だったものが、6年後には240GBで9,649円とは安くなったものだと実感。Crucialの64GBのものもケース内に残し、一時ファイル置きとして使えるようにしてある。

2018年2月にはバッファローのブルーレイドライブ(パイオニアのOEM)が動作不良となったため、パイオニアのバルク品(BDR-209BK/WS2)と交換。これもだいたい同じようなスペックで12,800円→8,425円と安くなっていた。

そんなこんなでその後も使い続けていたが、数日前から、急に動作が遅くなり、フリーズには至らないものの、頻繁に「(反応なし)」の表示が出るようになり、どうにもならなくなった。原因を探るうちに、「ハードディスク エラーの修復に関する手順」というメッセージが。ついにHDDが寿命を迎えつつあるということが判明し、早急にデータを取り出さねばならないことになった。外付けの1TBのハードディスクもあるが、いろいろ入っているし、整理している時間はない。いずれにしても内蔵HDDの交換は必至であるということで、SEAGATEの2TBで7,200rpmのもの(BarraCuda ST2000DM008)がコストパフォーマンスが良さそうなので買ってきた(6,280円!)。

P_20190319_234932_sres_1

さて、動きの非常に遅くなった状態で、どうやってデータをうまく移すか。ケースを開け、CrucialのSSDに繋いであったシリアルATAケーブルと電源をBarraCudaに繋ぎ替え、まずはフォーマット。Fドライブが割り当てられた。

Acronis True Image WD EditionでDドライブ→Fドライブのクローン化を試み、途中までは何とか進んだが、手順どおり作業中に再起動したところで、先に進まなくなってしまい断念。次にEaseUS Todo Backup Freeでやはりクローン化しようとしたが、途中で「パーティションサイズ変更の範囲取得に失敗しました」とエラーが出てアウト。

最終的に、エクスプローラで隠しファイルも表示するようにした上で、すべてのファイルとフォルダを普通にコピーすることにした。データの分量は合計で550GBほどだったのだが、すべてコピーし終わるのになんと20時間以上掛かった。I/Oデバイスエラーでコピー出来なかったファイル(どちらも重要なものではなかった)が2つあった程度で、なんとかコピーは完了。

後は、データを移された新しいHDDを、何事もなかったかのようにDドライブとして使えるようにする必要がある。コンピューターの管理→「ディスクの管理」を開くと、

ディスク0
システムで予約済み(システム、アクティブ、プライマリ パーティション)
(C:)(ブート、プライマリ パーティション)
ディスク1
(D:)(ページ ファイル、アクティブ、プライマリ パーティション)
ディスク2
(F:)(プライマリ パーティション)

となっているので、Fドライブを右クリックして「パーティションをアクティブとしてマーク」する。ページファイルの設定は後にして、いったんシャットダウン。

ここで古いHDDを外し、新しいHDDをその場所にセット。セーフモードで立ち上げると、ページファイルが設定されていない云々と出るが、とりあえず無視し、再び「コンピューターの管理」→「ディスクの管理」を開く。外したDドライブも「システムで予約済み(D;)」としてリストに載っているので、これを任意のドライブ(とりあえずZにした)に変更し、FドライブをDドライブに変更。そしてページファイルの設定を行い、再起動。

エラーが出たらどうしようという心配は杞憂に終わり、何事もなかったように立ち上がり、Dドライブのファイルにアクセスできている。動きもスムーズだ。

2019年3月 7日 (木)

エドゥモンダ・アルディーニとピアソラの貴重な共演盤、配信開始

アストル・ピアソラ五重奏団1973年の貴重映像について紹介した前回のエントリーでも簡単に触れた、イタリアの女優エドゥモンダ・アルディーニのアルバム『Rabbia e Tango(嫉妬とタンゴ)』(Ricordi SMRL 6117)。

Rabbiaetango_a

ピアソラ=オラシオ・フェレール作品(歌詞は1曲を除きイタリア語に翻訳)をピアソラ自身がコンフント9もしくはそれに準じる編成で伴奏しているこの幻のアルバムは、1974年初頭にリコルディからリリースされたまま、ほとんどのピアソラ・ファンにその存在すら知られないまま長い年月が経過した。私は2000年9月にようやく入手し、雑誌「ラティーナ」同年12月号で簡単に紹介。拙ブログでも2005年2月のエントリー「エドゥモンダ・アルディーニとアメリータ・バルタールとピアソラ(改定版)」で詳しく紹介した。

Rabbiaetango_b

『Rabbia e Tango』に収録された8曲のうち「Ballata Per Un Suonato (Balada Para un Loco)(ロコへのバラード)」「Rinascero' (Preludio Para el Año 3001)(3001年へのプレリュード)」「Balada Para Mi Muerte(わが死へのバラード)」の3曲には、アメリータ・バルタールがコンフント9の伴奏で歌った再録音ヴァージョン(オリジナルは、ピアソラが名前を出さずに伴奏オーケストラを指揮したCBS録音)とまったく同じオケが使われていた。アメリータ+コンフント9版のこの3曲は、イタリアでのマネージャーだったアルド・パガーニがピアソラの死後各国の様々なレーベルに売りさばいて乱発された一連のCDでお馴染みになったもの。これらCDのソースとなったのは、アルゼンチンRCAからのシングル数枚と、それらを元にいずれも1975年に組まれた次の2種のLPだった。

Dscf3703
10曲入りのブラジル盤『Amelita Baltar』(Fermata 304.1045)

Dscf3697
8曲入りのスペイン盤『Amelita Baltar』(Ariola 88.714-I)

エドゥモンダとオケがダブる上記3曲はアルゼンチンでは当時未発売、上のブラジル盤が初出で、スペイン盤には未収録だった(その代わりスペイン盤には、ブラジル盤に未収録の「El gordo triste(悲しきゴルド)」を初収録)。そのことが最終的に判明したのは、スペイン盤の入手が叶った2009年6月のことだった。それについては当時「アメリータ・バルタールのレコード、最後の(?)謎解き」で記事にしているが、同じオケで歌うアメリータとエドゥモンダ、録音したのがどちらが先だったのかは不明なままだ。

エドゥモンダ・アルディーニの『Rabbia e Tango』は一切未復刻、未CD化のままで、いくら内容について解説したところでピアソラ・ファンのみなさんに聴いて頂けない空しさを常に感じていたが、なんと先月(?)から、ギリシャのミキス・テオドラキス作品を歌った1970年の『Canta Theodorakis (Canzoni in Esilio)』共々、SpotifyApple Musicで配信やダウンロードがスタートしていた! これでようやく胸のつかえが取れた感じだ。ピアソラの文字が一切ないので、検索しにくいのが難点ではある。

Rabbia e Tango by Edmonda Aldini on Spotify

Rabbia e Tango by Edmonda Aldini on Amazon Music

そしてなんと、エドゥモンダが「Madre Terra, Madre Mia (La Primera Palabra)(母なる大地、わが母〈最初の言葉〉)」を歌うテレビ映像がYouTubeに上がっていた!

伴奏はカラオケでピアソラの姿はなく、歌もレコードとまったく同じなので口パクのようだが、貴重である。観客の反応はなんだか今ひとつだが。

2019年3月 1日 (金)

アストル・ピアソラ五重奏団、1973年の超貴重映像

1973年はアストル・ピアソラにとって、残された記録の少なさという点で空白に近い年である。1971年末から1972年にかけて率いたコンフント9(ヌエベ)では音楽的に高い成果を上げたが、1973年に入って間もなく経済的な理由から解散を余儀なくされ、従来のキンテート(五重奏団)のフォーマットに戻ることになった。ピアソラ(バンドネオン、編曲)、アントニオ・アグリ(ヴァイオリン)、オスバルド・タランティーノ(ピアノ)、オラシオ・マルビチーノ(エレキ・ギター)、キチョ・ディアス(コントラバス)という新しい組み合わせで活動を開始したのは4月だが、10月25日にはピアソラ自身が心臓発作で倒れ、実質的な活動は半年で中断されてしまう(ちなみに、体調が回復したピアソラが1974年3月にイタリアに拠点を移して以降も、このメンバーでのライヴはブラジルなどで行われている)。

1973年の公式録音は、この年に一部が録音された可能性があるイタリアの女優エドゥモンダ・アルディーニとのアルバム『Rabbia e Tango』を除くと、コンフント9での最後の録音となった[※注]「Jeanne y Paul(ジャンヌとポール)/El penúltimo(エル・ペヌルティモ)」(RCA Victor 31A-2286)と、オーケストラ編成で7月24日に録音されたフォード・ファルコンのCM曲「Un día de paz(平穏な一日)」(31A-2341)の3曲のみである。

31a2286

31a2341

※注:2005年にアルゼンチンのソニー/BMGからEditión Críticaシリーズの1枚としてリリースされたコンフント9の『Música Popular Contemporánea de la Ciudad de Buenos Aires (Vol. 2)(ブエノスアイレス市の現代ポピュラー音楽 第二集)』(RCA 8287 674270-2)にボーナス・トラックとして収められた際、録音日が「1973年2月8日」と初めて記載されたが、監修のディエゴ・フィシェルマン氏自身が、1972年に録音された本編と「同年に録音された」と解説に書き、他の様々な状況と照らし合わせても、実際には1972年録音である可能性が高い。
Critica

「平穏な一日」はキンテートでも録音したとのことだが、日の目は見ていない。現在ファルコンのCMは1962年から1992年までの分をYouTubeでまとめて観ることができる。

「平穏な一日」が使われたCMはここで確認できる限り4種類あり、1973年から1980年頃までの長期間使われたようだが、いずれもオルケスタによる同じ演奏である(最初の2種は、レコードにないスローなエンディングが付け加えられている。該当部分は動画の27分27秒あたりから31分17秒までで、上の埋め込みではその箇所からスタートするよう設定してある)。

1973年のピアソラ・キンテートと言えば、1997年10月にフランスのミランからリリースされた秀逸なライヴ盤『Muerte del Angel』(Milan Sur 74321 51140-2)をご記憶のピアソラ・ファンも多いだろう。国内では2000年8月にBMGファンハウス(当時)から(BVCF-35024)、2005年8月にビクターエンタテインメントから(VICC-60450)『天使の死~オデオン劇場1973』のタイトルでリリースされ、いずれも私がライナーを執筆した。
Muerte

その邦題にもあるように、この未発表ライヴは1973年7月にブエノスアイレスのオデオン劇場で録音されたものと明記されているが、実はこれは誤りのようだ(これは人づてに聞いた話なので、100%の確証はない)。研究団体ブエノスアイレス・タンゴ・クラブ(BATC)会長のミゲル・アンヘル・フェルナンデス氏によれば、この録音はそもそも、クラブの古くからのメンバーであるサンタフェ州ロサリオ(アグリの出身地でもある地方都市)在住の某氏が、当地でのコンサートの折に録音機材を持ち込んでクロムテープ(カセット)に演奏を収め、クラブに提供したものだという。このテープはピアソラの周辺でシェアされていたようで、実は私も個人的に、ピアソラの盟友だったチェロ奏者のホセ・ブラガートから、CD化より前にここからの2曲が含まれたカセットを頂戴しており、それは今も手元にある。

Casette

ピアソラの死後、録音主がテープをミランに持ち込んで商品化された際に、なぜ同時期のオデオン劇場でのライヴということにされたのか、その理由はわからない。キンテートはオデオン劇場でも実際に演奏しているが、その時の録音は一切残されていないとのこと。そのことをひっそりと証明すべく、BATCではコレクター向けCD-Rの形で『Quinteto en Vivo - Rosario 1973』として一時期リリースしており、日本でもラティーナが取り扱っていた(現在は品切れ)。
Rosario

聴き比べると、明らかに同じ演奏、同じ録音だが、ミラン盤ではBATC盤の方で聴ける長い拍手やカウント、ピアソラの曲目紹介などをカット、またイコライジングなどで音をいじっている。BATC盤の方がより自然だが、各トラックの終わりに無音部分が出来てしまっているので、私はパソコンに取り込んでその部分を削除し、自然な流れで聴けるように細工している。

さて、そのロサリオでのライヴ録音が唯一と思われた1973年のキンテートだが、なんとそれ以外に、超貴重な映像が残されていた! 6月にウルグアイのモンテビデオを訪れた際、4チャンネルの番組『Sábados de tango(タンゴの土曜日)』に出演した時のものである。
Miguel_angel_manzi_piazzolla

写真の向かって右に写っているウルグアイの名物司会者ミゲル・アンヘル・マンシ(1910~1984)が案内役のこの番組は、1971年にスタートし、ブエノスアイレスからも後述する多くの大物を招いている。当時2インチVTR(テープが大変高価だったため、放送後上書きして再利用するのが一般的で、世界的にどの放送局でもほとんどの番組がまともに保存されていない)で録画されたこの番組からの貴重なソースが、40年以上を経て遺族ら関係者の手によって発掘され、YouTubeにて公開されている。

EL TANGO CON MIGUEL ANGEL MANZI

状態は悪いが、恐らくここにアップされているのが現存している映像の全てだと思われるので、出演順は不明だがその顔触れを挙げておく。

チャルロ(歌手)
フアン・ダリエンソ(楽団。歌手はオスバルド・ラモス、アルベルト・エチャグエ)
オラシオ・フェレール(作詞家)
フロレアル・ルイス(歌手)
アニバル・トロイロ(四重奏団)
アストル・ピアソラ(五重奏団)
エドムンド・リベーロ(歌手)
ロベルト・ゴジェネチェ(歌手)
フリアン・センテージャ(詩人)
ロシータ・キロガ(歌手)
サンティアゴ・ゴメス・コウ(俳優)

他のアーティストのものはまだ一部しか観ることができていないが、とりあえずはピアソラである。マンシとピアソラやメンバーとの会話を挟みながらの全8曲で、トータル58分34秒という圧巻の内容である。1~2曲のテレビ出演や、映画やドキュメンタリー番組の一部といった断片的な形でなく、また当て振り(あらかじめ録音された音に合わせて、弾いている振りをする)でもなく、インタヴューや街の風景などの映像が演奏の途中でかぶさることもなく、これだけまとまった形で演奏それ自体を堪能できるものとしては、ピアソラにとって現存する最古のものであり、とんでもなく貴重なものである。

何はともあれ1曲ごとの映像を埋め込んでおく。ピラーボックス(左右の黒い帯の部分)に挟まれた画面が、通常の横4:縦3ではなく横3:縦4という縦長のいびつな状態になってしまっていて、音量もかなり小さいなど、視聴にはかなり問題が多い状態だが、これを改善してまともな形に直すやり方はあるので、後で詳しく説明する。

01. Verano porteño(ブエノスアイレスの夏)

02. Buenos Aires hora cero(ブエノスアイレス零時)

03. Lunfardo(ルンファルド)

04. Todo Buenos Aires(トード・ブエレスアイレス)

05. Fracanapa(フラカナパ)

06. Retrato de Alfredo Gobbi(アルフレド・ゴビの肖像)

07. Adiós Nonino(アディオス・ノニーノ)

08. Otoño porteño(ブエノスアイレスの秋)

前述した“ロサリオでの”ライヴ盤『天使の死』と並ぶ、1973年のピアソラ・キンテートの貴重な記録だが、曲目の重複が少ないのも魅力。ちなみに『天使の死』はこんな曲目だった。

01. Verano porteño(ブエノスアイレスの夏)
02. Los poseídos(ロス・ポセイードス)
03. Milonga del ángel(天使のミロンガ)
04. Muerte del ángel(天使の死)
05. Adiós Nonino(アディオス・ノニーノ)
06. Otoño porteño(ブエノスアイレスの秋)
07. Retrato de Milton(ミルトンの肖像)

重複は3曲だが、「ブエノスアイレスの夏」は番組ではメンバーが一人ずつ呼び込まれ演奏を始めていくという演出がなされているし、「アディオス・ノニーノ」のタランティーノによるインプロ成分の多い冒頭のカデンツァもかなり違うし、番組では時間の関係で途中がカットされた「ブエノスアイレスの秋」も、タランティーノのソロが短い代わりに、終わりにマルビチーノのソロがたっぷりフィーチャーされている。そして何よりも、演奏はテンションが高くて最高、「トード・ブエノスアイレス」や「アルフレド・ゴビの肖像」といった、1978年以降のキンテートでは一切演奏されていない曲の映像も、極めて価値が高い。2インチVTRによる録画は編集が利かず録りっ放しなのだが、ここでは加えてカット割りは一切なし、1台のカメラの移動だけですべてを録画するというユニークな手法が採用されている。

それでは、この縦長の観にくい画面を、どうやったら横長に変換できるか説明する。

まず、YouTubeにアップされている動画をダウンロードする。YouTubeのヘルプ画面には「YouTube では、他のユーザーの動画をダウンロードすることはできません」と書かれてあるが、これはダウンロードが禁止されているという意味ではなく、デフォルトでは設定されていないということである。もちろんダウンロードした動画は個人的使用の範疇に留まることをお忘れなく。Windowsパソコンの場合、RealPlayerがインストールされていれば、RealDownloaderで簡単にダウンロードできるはず。

ダウンロードしたファイルは、1280×720(16:9)のフレームの中に、960×720(4:3)ではなく540×720(3:4)という縦長の状態で収まってしまっている。また、音量レヴェルがものすごく低い。
01_1

これをHandBrakeVideo Clip QuickToolという二つのフリーソフト(どちらも得手不得手がある)を使い分けて、本来の960×720(4:3)のサイズで、音量も充分にあるまともなファイルに変換しようというわけだ。

最初にHandBrakeで、画面左右のピラーボックス(黒い帯状の部分)を切り落とし、純粋な映像部分だけにする。

HandBrakeでファイルを読み込み、
01_2a

Dimensionsのタグを選択
01_2b

Anamorphic:でNoneを選択、Keep Aspect Ratioのチェックは外さない。
CroppingでCustomを選び、LeftにもRightにも370と入力すると、Width:は自動的に540になる。
下のSave As:の欄に任意のファイル名を入力(ファイルの種類はmp4でいいだろう)。
01_2c

上のStart Encodeボタンを押す。下のように出力されれば成功。
01_3b

次にVideo Clip QuickTool V0.3.1を立ち上げ、HandBrakeから出力したファイルを画面左上のLoad Video File...ボタンで読み込む。
Output OptionsのFrame SizeでCustomを選び、ProportionとAdd Padding to Fit Customize Frame Sizeのチェックを必ず外し、540×720となっているサイズを960×720にする。
右下のSound VolumeのCharge Toを選び数字を入力する。私は350%にしたが、これは好みで変えてもいいだろう。
下のProcessボタンを押し、任意のファイル名を入力する。
01_4

これで出来上がり。
01_5

あとはこのまま観てもよし、各曲を繋げて観られるよう細工してもよし。私は映像のない前後の部分を削除してDVD-Rに焼いて鑑賞している。これこそ真のお宝である。

« 2019年2月 | トップページ | 2019年8月 »

2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31