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2019年2月

2019年2月21日 (木)

【お知らせ】過去に拙ブログ(旧URL)に頂いたコメントを新URLに貼付

2月12日のエントリー「メールアドレスの変更とブログの引越し」でご案内した通り、拙ブログの過去の内容はココログの引越しツールによってそのまま新URLに引き継がれたわけだが、各エントリーに対して頂いたコメントは仕様により移動できていなかった。

せっかく頂いたコメントが消えてしまうのは申し訳ないので、どうすればいいか考えていたが、無理にコメント欄に貼ろうとせず、単純にコメント部分(投稿者名と投稿日時含む)を本文の後ろにそのままコピペしてしまえばいいことに気付いた。先ほどすべてのコメント(明らかな営業1件除く)の貼り付けが完了したので、お知らせまで。

2019年2月16日 (土)

オルリンズ? オーリアンズ? オーリンズ! 幻のセカンド・アルバム

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ギタリストのジョン・ホールを中心に、1972年2月にニューヨーク州ウッドストックで結成されたオーリンズ(Orleans)。1973年の秋ごろにabcレコーズからリリースされたマッスル・ショールズ録音のファースト・アルバム『Orleans』(abc ABCX-795)は、日本でも東芝EMIからリリースされたが、タイトルおよびアーティスト表記は『オルリンズ』だった(Probe IPP-80912)。
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※画像はネットから

今回これからご紹介する幻のセカンド・アルバムに関するごたごたを経て、アサイラムと契約したオーリンズは、1974年9月から10月にかけてロサンゼルスでニュー・アルバムを録音し、1975年3月に『Let There Be Music』(Asylum 7E-1029)としてリリース。4月にシングル・カットされたタイトル曲は初ヒットとなり、5月にビルボードで55位。そして7月にカットされた「Dance With Me」は10月に6位となり、彼らの代表曲となった。ワーナー・パイオニアからの国内盤『歌こそすべて』は7月25日発売だが、アーティスト表記は「オーリアンズ」とされ、これが日本では定着してしまった。
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当時の担当者は、なぜこのような表記を採用したのか。このバンド名は当然、音楽の聖地ニューオーリンズおよび当地の音楽家たちに由来しているのだろうから、やはり「オーリンズ」とか「オーリーンズ」とするのが自然なはず。「オーリアンズ」なんて、聖地へのリスペクトを表明した彼らをバカにしていないだろうか? 実はこの表記への疑問については、セカンド・アルバムの紹介に絡めて2016年5月にFacebookで2つのグループに投稿したことがあり、さまざまなコメントも頂戴した。デイヴィッド・クロズビーのファースト・ソロ・アルバム『If I Could Only Remember My Name』に収録されていた「Orleans」(邦題は「オルレアン」で、地名や建物名を並べてフランス語で歌われる)を参考にしたのではないかという説がある、とか。ジョン・ホール脱退後のInfinityからのアルバムを国内でリリースしたビクターでは「オーリンズ」の表記をちゃんと採用していたことも教えていただいた。

今回彼らのセカンド・アルバムを改めて紹介することにしたのは、オランダ盤『Orleans II』を入手できたからなのだが、順を追って説明しよう。バリー・ベケットとロジャー・ホーキンズのプロデュースによる『Orleans』完成後、彼らは本拠地ウッドストックのベアズヴィル・サウンド・スタジオでセルフ・プロデュースによるセカンド・アルバムを制作。これは1974年2月頃に『Let There Be Music』という、後のアサイラム盤とまったく同じタイトル、ABCD-814の番号でリリースされる予定だったが、ヒット性がない(シングルになる曲がない)という理由で発売中止。「Dance With Me」と「Let There Be Music」(後のアサイラム盤とは当然録音は違う)が含まれているにもかかわらずだ。当時「ミュージック・ライフ」の輸入盤紹介のコーナーにジャケ写付きで紹介されていたのを見た記憶が確かにあるから、本当に直前でのキャンセルだったのではないか。ネットで調べた感じでは、プロモ盤の存在はまったく確認できていないが。

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※画像はネットから

こうしてお蔵入りしたはずのセカンド・アルバムは、なぜか日本でのみ『オルリンズ・セカンド』(Probe IPP-81048)として1974年8月20日にリリースされた。本国での当初の予定が2月だったことを考えると、8月までは間が空いているが、本国での発売中止の話はどの程度伝わっていたのだろうか。雑誌「ニューミュージック・マガジン」74年9月号「今月のレコード」では中村とうよう氏が87点を付け、「楽しい音楽だが、無責任に楽しんでるんでなく、しっかりした音楽性に裏づけられている」と評している。ちなみにとうようさんはここで「オーリンズ」と表記している。後述の『Before The Dance』で先に聴いていた私は1996年1月になって、この東芝盤を西新宿のシカゴという中古レコード店で手に入れた。
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このアルバムは当時日本とヨーロッパ(オランダ)のみでリリースされた、と言われてきた。実は昨日、そのオランダ盤『Orleans II』(abc 5C062.96627)を入手できたので、こうして記事を書いているのだが、調べていくと新たな事実がいくつか見えてきた。まず、このオランダ盤は日本盤と違い、本国オリジナル盤に使われるはずだったアートワークが採用されず、タイトルも異なっている。アートワークに関する部分以外のクレジットはきちんと載っているが、ジャケットのアートワークも裏ジャケの写真も、ファースト・アルバムから流用されている。現物を手に入れるまで、単にアートワークが届かなかったのかと考えていたが、そうではなかったようだ。
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オランダ盤のクレジットの一番下には、誤って(c)1973と表記されている。そして、1974年とされてきたリリース年は(Discogsなどでもそうなっている)、レコード番号から判断する限り、実際には1975年で間違いないはず。近い番号のものでは、スティーリー・ダンの『Katy Lied(嘘つきケイティ)』が1975年4月米国発売でオランダ盤が5C062-96277、フォー・トップスの『Night Lights harmony』が6月米国発売でオランダ盤が5C062-96635なので、おおよそその間のリリースということになる。どういうことかというと、リリース元のオランダのEMI-Bovemaは、オーリンズが本国でアサイラムから新譜をリリースし、ヒットの兆しをみせていることを知って、急いでこれをリリースしたと考えるのが自然だからである。だからもう『Let There Be Music』のタイトルは使えなかったわけで、アートワークも差し替えたのだろう。
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左が『Orleans』見開き内側左、右が『Orleans II』裏

国内盤『オルリンズ・セカンド』の音質に特に問題は感じていなかったが、オランダ盤『Orleans II』を聴いてみたら、こちらの方がベールが剥れたようなクリアな音で見通しがよく、よりオリジナル・マスターに近いように感じられた。そして驚いたことに、B面最後に収められた長尺の「The Breakdown」の演奏が終わった後、誰かがオフマイクで「グアンタナメラ」のようなメロディを低音でふざけて歌い、他のメンバーがパラパラと拍手する様子が流れてきたが、この部分は国内盤にはなかった。以後の再発ではどうなっているのだろう。

本国のabcでは、アサイラムでのブレイク後の1977年になって、ファーストとカップリングした2枚組『Before The Dance』(abc AA-1058/2)としてリリース(Discogsで1978年となっているのは誤り)、私は初めてこれで聴いた。イギリスやドイツ、カナダなどでは同じタイトルとジャケットながらセカンド単独の1枚ものでリリースされ、私はファーストは持っていたのでそのイギリス盤(ABCL-5224)で買い直した。2枚組仕様の国内盤『ビフォア・ザ・ダンス』(abc YW-8033~4-AB)は、1975年10月にabcの発売権を獲得した日本コロムビアから1978年5月25日に限定盤で発売されたが、表記は「オーリアンズ」だった。
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※画像はネットから

abcは1979年にMCAに吸収合併されて消滅。セカンド・アルバムは1985年12月にMCA(当時の発売元はワーナー・パイオニアだから表記は当然「オーリアンズ」)から『ダンス・ウイズ・ミー』のタイトルで復刻されたが、タイトル・ロゴはそのままながら原題も『Dance With Me』に改められ、ゲートフォールド(見開き)ではないシングル・ジャケになってしまっていたから、オリジナルに忠実とは言い切れない。もちろん再発は大歓迎だが、帯に「世界初のオリジナル・ジャケットで衝撃のリリース!!」とあるのはどうなんだろう。そして、盤面に(p)1975 MCA Records, Inc.とあるところを見ても、オランダ盤を初発売盤扱いにして、東芝盤をなきものにしようとしている意図が感じられる。1989年11月の初CD化以降も含め、『Dance With Me』の形でリリースされているのは日本だけである。
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※画像はネットから

アサイラムで仕切り直し後の『歌こそすべて』以降も悪くなかったが、わざわざイーグルズのマネをしなくても、という部分もあるし、西海岸のバンドという印象を持たれてしまう結果にもなった。泥臭さを残したabc時代が私は好きだが、ロサンゼルスが拠点のabcが東海岸時代のオーリンズを売り損なったのは、その地域性の違いに拠るところも大きかったのかも知れない。同じabcで東海岸出身のスティーリー・ダンが成功したのは、デビュー前にプロデューサーのゲーリー・カッツともども拠点をLAに移したのも一因だろう。

2019年2月13日 (水)

明日発売の増刊号『レコード・コレクター紳士録2』に登場

雑誌「レコード・コレクターズ」で今も続く人気連載が、「大鷹俊一のレコード・コレクター紳士録」。私が取り上げていただいたのが、拙著『アストル・ピアソラ 闘うタンゴ』上梓から約半年後の1998年10月号に掲載された第64回だった。
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あれから20年以上経ち、明日(2月14日)発売の増刊号『レコード・コレクター紳士録2』(大鷹俊一・著)に、当時の記事がそのまま再録されることになった。
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今回は、1994年11月号から2008年11月号までに掲載された中から52人が選ばれているが、そのうちの1人に加えていただけたのである。
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ちなみにラインナップはこんな感じである。

永井博
齋藤正紀
コモエスタ八重樫
坂本博己
落合慎二
関通孝
みうらじゅん
曽我部恵一
片岡知子
斎藤充正
吉峯譲
松澤秀文
植村和紀
若林佳起
杉本英輝
佐野勝明
坂本理
青木龍行
立見伸一郎
小松崎健郎
石川真一
尾川雄介
目黒子
吉田惠彦
<番外編> Beatles For Sale!
板橋純
川崎太郎
瀬川昌久
宮治淳一
>岡田崇
佐々木雄三
佐野史郎
安藤貢
漆畑一巳
中嶋勇二
永井英夫
村上寛
高山眞一
山口雅也
吉岡修
ハスキー中川
永田清
宮本裕二
小和敬典
寺川浩人
野沢あぐむ
キスノキヨシ
古川秀彦
有賀幹夫
田中高行
真鍋崇
鈴木やすし
三上剛志

今となっては気恥ずかしいような内容ではあるが、ぜひご覧いただければ。ただ一点、目次で私の名前が斎藤ではなく「斉藤充正」になってしまっていたのがちょっと残念。

2019年2月12日 (火)

メールアドレス変更とブログの引越し

インターネット接続を「@nifty auひかりホームタイプ ずっとギガ得プラン」から「NURO光 G2V」に変更することにした(NURO光は公式サイトでも様々なキャンペーンがあり、入口によって価格も違うので注意が必要)。NURO光の工事は二段階に分かれていて、宅内工事は2月1日に終了、16日の屋外工事が終われば、NURO光が開通する。「NURO光でんわ」も番号ポータビリティ(NTTの固定電話から電話番号を継続利用)で申し込んでいるので、そこからまた利用開始まで1~2週間はかかるらしい。3年縛りプランのauひかりで契約解除料がかからないのは2月末までなので、けっこうギリギリのタイミングではある。

auひかりはプロバイダーの選択肢が多かったので、それまでずっと使ってきたニフティにしたが、NURO光はSo-netのみ。選べない分料金も安くなっているので、これは仕方がない。というわけで、メールアドレスもこれまでのニフティのものは使えなくなる。そのニフティのアドレス、いつから使っていたか、Becky!に保存された過去のメールを探ってみたら、2001年9月からだった(それまではSo-net)。その年の10月5日に某友人宛てに送ったメールに

↓メールアドレス変わってますけど、ケーブルTVでの常時接続は高いのでやめて、 @niftyのADSLにしたのでした。

と書いてあった。ケーブルTVのそんな接続サービスを使っていたことは忘れていたが、いずれにしても1999年4月に父親が亡くなり今の実家に戻って以降のことなので、そんなに長い期間ではなかった。私がそれまで使っていたSo-netのメアドも、So-netを退会した2003年4月までは併用できていた。

今後メインで使っていくのはGmailのアドレスで、2013年3月に取得していたもの。これはdocomoの契約を更新してスマートフォンを使い始めたタイミングであり、何かの必要があって作成したのだろうが(よく覚えていない)、当時はまったく使っていなかった。2015年12月になってdocomoからauに乗り換えることになり、セット割目当てでauひかりにも申し込んだ(開通は2016年1月)。auの携帯は2年縛り、auひかりは3年縛りだったので、携帯は2年使ったところで、2018年1月に格安スマホのBIGLOBEモバイルに乗り換え。この時点で携帯のキャリアメールのアドレスが使えなくなったので、眠っていたGmailのアドレスを携帯用に引っ張り出すことにした。そして今回So-netには再入会となり、新しいIDとメールアドレスももらったが、いつまで使うかは正直わからないし、携帯もパソコンもGmailで統一しておいた方が、今後なにかと面倒はないだろう。これまでメールでいろいろとやりとりさせていただいた多くの方には、既に「メールアドレスとブログのURL変更のお知らせ」を送信済みだが、本ページ左側の「メールを送信」をクリックすれば、新アドレス宛にメールをお送りいただけるようになっている。

So-net上で2000年12月にオープンしたホームページ「tangodelic!」は2002年12月にニフティに引越し。2005年以降は更新がストップしたまま放置状態だったが、2016年11月に不注意により消滅してしまった。しかも人から指摘されて、消えていることに気付いたのは翌12月。ニフティでは「@homepage」というサービスを使っていたが、このサービスが2016年9月29日で終了になるため(実際には11月10日まで延長)、「@niftyホームページサービス」に移行しないと消えてしまう、という重要な案内のメールが同年2月に届いていたのを見落としてしまったために起こった悲劇である(データはある程度残してあるが)。自分の使っているサービスが何かを把握していなかったので(関心が薄くなっていた)、自業自得といえばそれまでなのだが。

一方、2004年5月にニフティの「ココログ・ベーシック」を使ってスタートさせたブログ「tangodelog」は、頻繁にブランクを開けながらも、現在まで続いてきた。ニフティには、プロバイダーでなくても無料で使える「ココログ・フリー」というサービスがあり、申し込めば引越しツールも使えるというので、先月17日に申請。完了次第「通知メール」が送られるというので待機していたが、なかなか届かない。そこで先週、試しに新しいページに行ってみたら、なんと引越しが終わっているではないか。通知はどうした? そして、写真は見れるが元のページの設定のようにポップアップにならず、デザインをテンプレートで替えてみても反映されない。キャッシュとCookieを削除するといいというのでやってみたら、デザインは更新されたが今度は写真が表示されなくなってしまった。そこで全ての写真を今までのページから取り込み直し、主に自分の過去記事へのリンクをすべて新ページに行けるよう直し、埋め込んでいたYouTubeの動画で削除されていたものは別のものを埋め込みなおし、スマホでも右側が切れないようにサイズを小さめに揃え、そして何とか整ったのが、今みなさんがご覧になっている新しい「tangodelog」である。無料サービスなので、広告が鬱陶しいのはお許し願いたい。

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