ほんとうに衝撃を受け、かつ今でも聞き続けている生涯のお気に入りアルバムを10枚(10日目)
10日前のFacebookへの投稿を転載したこの企画も、今日で最終回。
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ほんとうに衝撃を受け、かつ今でも聞き続けている(ごくたまにであっても)生涯のお気に入りアルバムを10枚。毎日ひとつずつジャケを投稿する。10日目/10日
Kevin Johansen + The Nada / City Zen (Los años luz 2-509201)
(続き)
スピネッタやチャーリー・ガルシーアとは違った意味でアルゼンチン・ロック史に大きな足跡を残してきた一人に、リト・ネビアがいる。アルゼンチン・ロックの黎明期にロス・ガトス・サルバーヘス(1964年~)、そこから発展したロス・ガトス(1967~1970)のヴォーカリストとして活躍したネビアは、ソロ活動も69年からスタートさせ、ジャズからタンゴ、フォルクローレに至るさまざまなタイプの音楽家(例えばパーカッションのドミンゴ・クーラ、バンドネオンのディノ・サルーシ、サックスのベルナルド・バラフ、フォルクローレ・コーラスのクアルテート・スーパイなど)との共演もこなしているが、最も注目すべきは、主宰するMelopeaレーベルのプロデューサーとして、新録や貴重音源の発掘に力を注いできた点にある。その中には、アストル・ピアソラ五重奏団が63年に残した放送音源の復刻や、晩年のロベルト・ゴジェネチェの新録音なども含まれる。
90年代前半には、タンゴやフォルクローレ以外の同レーベルの新譜CDなどもラティーナ代理部(同誌の物販部門)にはぽつぽつ入荷するようになっていたこともあって、「ラティーナ」では93年12月号に「ディスコス・メロペアの確かな足どり [上]タンゴ篇」、94年1月号に「ディスコス・メロペアの前向きな作戦 [下]MPA篇」と、2回に分けて紹介記事を書かせてもらった。MPAとはムシカ・ポプラール・アルヘンティーナの略で、ブラジルのいわゆるMPBに対応する言葉として(あまり一般的ではないが)使っている。実際にはこれにMPU、つまりウルグアイのポップ音楽も加わる。
ウルグアイ勢の中心となっていたのはルベン・ラダ、ウーゴとオスバルドのファトルーソ兄弟(元ロス・シェーカーズ、オパ)、オスバルドのパートナーだったマリアーナ・インゴールなどだ。とりわけ、コンガを叩きながらカンドンベをソウルフルに歌う黒人のルベン・ラダはお気に入りとなった。彼のアルバムは旧譜も含め、2000年の『Quién va a cantar』までだいたい聴いていたが、それ以降はご無沙汰となってしまっていた。
しばらくぶりに彼のアルバムに接したのは2015年9月のこと。たまたま立ち寄った新宿のディスク・ユニオンで2013年の『Amoroso pop』を見つけたら、これがポップ感覚全開の傑作で、ハマってしまった。そこから欠けていた部分を集め、参加作、関連作を含めてアルバム60枚ほどを一通り聴き、整理していたところで、「ラティーナ」2015年12月号でウルグアイ特集をやるというのでまとめたのが、『黒い魔術師ルベン・ラダ―変幻自在の軌跡をたどる―』という5ページの記事だった。
というわけで、ラダのアルバムも紹介したいところだが(1枚選ぶなら2004年の傑作ライヴ『Candombe Jazz Tour』だが、入手困難なのが口惜しい。また、タンゴとミロンガに正面から向き合った2014年の2枚組『Tango, Milonga & Candombe』も良い)、選んだのはそこから派生した1枚。人気者のラダはゲスト参加作も非常に多く、すべてを把握しきれていないが、判明している範囲でいくつか集めていた中に、ケビン・ジョハンセン+ザ・ナダのアルバムがあった。それを聴いて、今度はそのケビンたちのひょうひょうとしてユニークな音楽にすっかりやられてしまった。これほど自分のツボにはまったアーティストも久しくなかったと言えるほど、彼らとの出会いは衝撃的だった。これまでにリリースされた8枚のアルバム(内2枚はライヴ)はどれも甲乙つけ難いが、今回は2016年7月に最初に買った記念すべき1枚ということで、ラダ以外にもフェルナンド・カブレラやホルヘ・ドレクスレルといったウルグアイの人気ソングライターたちが参加した2004年の第3作『City Zen』を選んだ。
※写真上のアルゼンチン盤は19曲入りだが、米国盤や写真下の英国盤は12曲入り(メドレーの数え方が異なるので実際は13曲入り)なので注意が必要。
ケビンについてはこれまでにもFacebookで何度か紹介しているが、2016年の大晦日に書いた次の文章を少し手直しして再掲しておく。
Kevin Johansen (「ラティーナ」など極めて限られた日本のメディアでは「ヨハンセン」と表記されているが、本人も周りも「ジョハンセン」と発音している)は、1964年6月にアラスカで生まれ、主にサンフランシスコやブエノスアイレス(一時期はウルグアイのモンテビデオ)で育った。父親は米国人、母親はアルゼンチン人。
80年代半ばにはブエノスアイレスで、インストルクシオン・シビカというニュー・ウェイヴ・バンドで活動し、アルバム2枚を残すが、この時関わったミュージシャンには、フェルナンド・サマレアやアクセル・クリヒエールといった、後にアルゼンチン音響派の一角を占める人材もいた。90年代はニューヨークで、パンク/ニュー・ウェイヴのメッカとして名高い、かのCBGB'sなどでハウス・バンドのメンバーを務めていた。
そして2000年、CBGB'sで録音したファースト・ソロ・アルバム『The Nada』をアルゼンチンの気鋭のレーベル、ロス・アーニョス・ルスからリリース。基本的にはポップだが幅広いジャンルの要素をぶち込んだ、人懐っこいけどぶっ飛んでる独自の世界が確立されていた。このアルバム・タイトルを冠したバンド、ザ・ナダをブエノスアイレスで結成し、2002年の『Sur O No Sur』以降、そのメンバーを中心に様々なゲストを迎えて、アルバムが作られている。
ザ・ナダのメンバーも、ギターのチェバ・マッソロ、チャランゴほかのマキシム・パディン、フルートやサックスのカイオ・レボラティほか腕利き揃いだが、ピアソラやガト・バルビエリなどとの幅広い共演歴を持つ名ドラマー、エンリケ“スルド”ロイスネル(2016年の最新作『Mis Américas Vol. 1/2』のジャケット写真に写っているのが彼)が正式メンバーとして加わっているのが心強い。
セルジュ・ゲンズブールやレナード・コーエンからの影響を公言し、曲をカヴァーもしているように、低音のヴォーカルが魅力のひとつ。2012年の2枚組『Bi』に収められたコーエンのカヴァー「Everebody Knows」は、オルケスタ・エル・アランケを迎えて本格的なタンゴに仕上がっていて、秀逸な出来だった。どのアルバムも引き出しが多く、仕掛けもいろいろあって、聴きどころ満載。もっともっと多くの人に、その存在を知って欲しい。
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