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2005年2月24日 (木)

エドゥモンダ・アルディーニとアメリータ・バルタールとピアソラ(改定版)

Rabbiaetango_a

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イタリアの女優、エドゥモンダ・アルディーニ Edmonda Aldini とピアソラの共演盤"Rabbia e Tango"(『嫉妬とタンゴ』、とでも訳すのでしょうか。本サイトのディスコグラフィー・パート4の#109)は、ピアソラのアルバムの中でも相当なレア・アイテムです。オリジナルLPの入手は極めて困難で、一切再発もされず、アルゼンチンなどイタリア国外での発売もなし。CD化もされていません。私も資料を通してその存在は知っていたものの、『闘うタンゴ』執筆当時は入手が叶わず、322ページに「現物も未確認で詳細は不明」と書くに留まったのでした。

その幻のアルバムを、イタリアのオンラインショップを通じてようやく入手出来たのが、2000年の秋。内容については雑誌「ラティーナ」同年12月号の記事「タンゴを求めてイタリアへ」で簡単に紹介しました。エドゥモンダ・アルディーニの歌は、ちょっとエキゾチックというかミステリアスというか、なかなか魅力的で、ピアソラとの相性も悪くない。この人の経歴とか素性については、いまだによく判らないのですが、このアルバムの前にはRicordiからギリシャのミキス・テオドラキス作品集"Canzoni in esilio"をリリース(現物は未確認)、それ以前から歌手としての録音活動は行っていたようです。またレコードがあるかどうかは不明ですが、(恐らく舞台で)ブレヒト=ワイル作品集も歌っていたとか。ちなみに、ラテンアメリカ関連では、チリのフォルクローレ・グループ、インティ・イリマニがイサベル・パラと共にローマで録音したビオレータ・パラ作品集"Canto para una semilla(Canto per un seme)"(手元にあるイタリア盤 Vedette MLP 5554は1978年発売)にヴォーカリストとして参加しています。

肝心の内容ですが、全曲がピアソラ=フェレール作品で、もともとアメリータ・バルタールのために書かれたものばかり。スペイン語で歌われる「彼へのバラード」以外はイタリア語に訳されています。曲目は以下の通り。

Lato 1
(1)母なる大地、わが母(最初の言葉)
(2)彼へのバラード
(3)金星の女たち
(4)ロコへのバラード
Lato 2
(1)3001年へのプレリュード
(2)白い自転車
(3)わが死へのバラード
(4)最新ニュース(新聞売り少年へのプレリュード)

このうち、1-(4)と2-(1)(3)の3曲には、何と前回ご紹介したアメリータ・バルタールのFermata盤およびパガーニ関連CDに登場する同曲とそれぞれ同じオケが使われています。アメリータの各種盤も含めてどこにも一切の表記はありませんが(この3曲が収められていると思われるスペインAriola盤こそ未確認ですが)、この演奏はコンフント9によるものに間違いないでしょう。ちなみに残りの曲は、1-(1)がコンフント9もしくはそれに近い編成での録音、残りの4曲の伴奏は五重奏団です。

そこで気になるのは、このアルバムがいつどのように制作されたのかという点。レコード番号はSMRL 6117で、レーベル面に(P)1974とあるのですが、いろいろ調べてみたところ、実は同じRicordiのSMRL 6123がプログレ・バンド、バンコ(・デル・ムトゥオ・ソッソルソ)の『自由への扉』で、これは1973年リリースのようです。番号が近い他のいくつかのレコードも参照した限りでは、"Rabbia e tango"の発売は、74年としてもごく最初の時期と思われます。録音年月日については記載がありません。録音場所はミラノのモンディアル・スタジオ(『リベルタンゴ』以降の諸作が録音されたところ)と書いてあります。

研究家カルロス・クリはこの録音を1972年としています。一方、オラシオ・フェレールの大著"El libro del tango"のピアソラの項には、

1973年にアグリ、マルビチーノ、キチョ、タランティーノと五重奏団を再結成し、ブエノスアイレスのコリエンテス劇場で5公演、ブラジルでアメリータ・バルタールと17公演し、7月にオデオン劇場でオスバルド・プグリエーセ楽団と共演した。新たにドイツとイタリアを旅し、そこでは女優のエドゥモンダ・アルディーニがオラシオ・フェレールと共作した8曲を録音した。

と書かれています。ちなみに、プグリエーセと共演したオデオン劇場公演のライヴ盤がミランからの『天使の死』ですね。また、サイモン・コリアーとマリア・スサーナ・アッシの共著"Le Grand Tango - The Life and Music of Astor Piazzolla"(Oxford University Press, 2000)での記述はこんな感じです。

1973年3月初め、ピアソラは再びヨーロッパに飛んだ。イタリアではミーナとTV番組を収録し4月5日にオンエアー、また女優のエドゥモンダ・アルディーニとの巨大劇場ツアーを計画していると告知された。その件について一切の続報はなかったが、彼女は後にピアソラと録音している。

ツアーに関する話題は、アルゼンチンの日刊紙「クラリン」1973年4月8日付がソースだそう。コリアーとアッシによれば、ブラジル公演は7月28日にスタートとのことですから、これはオーケストラ編成で「平穏な一日」を録音した翌日ということになります。フェレールの記述は、かなり実際の流れと時間が前後しているようです。

私もさんざん悩みましたが、アメリータ・バルタールとエドゥモンダ・アルディーニの一連の録音の経緯についてたどり着いた結論は、次のようなものです。

1972年、CBSを離れRCAと契約したアメリータは、ビアソラと共にピアソラ=フェレール作品の録音を継続的に行っていく。まず2月に「最初の言葉」「もういらない」を録音し、すぐにシングルで発売された。2曲とも、バンドネオン抜きのオーケストラ編成で、特に前者は管楽器などの加わった派手なアレンジが施されていた。もしかすると、同時期にコンフント9での録音も行われ、これがエドゥモンダのアルバムに転用された可能性もある(もちろんアメリータ+コンフント9の形ではリリースされていない)。いずれにしてもステージで歌うアメリータを伴奏するためにコンフント9用の編曲も書かれたのは確実。エドゥモンダのアルバムの冒頭を飾るコンフント9(?)との「最初の言葉」は、アメリータ+オーケストラのそれとは、かなり雰囲気が異なる。
3月22日にはアメリータとオーケストラ(コンフント9に楽器をプラス)による「悲しきゴルド」が録音されたが、何故か76年までリリースされなかった。
9月に発売されたアメリータとピアソラのシングルが「ラス・シウダーデス」(バンドネオン抜きオーケストラ伴奏)と「ブエノスアイレスの雨傘」(コンフント9が伴奏)。この頃までに「3001年へのプレリュード」「わが死へのバラード」「ロコへのバラード」のコンフント9との再録音(オリジナルはCBSへのオーケストラ編成での録音)、オーケストラとの「行こう、ニーナ」の録音も行われていたと思われる。これらをアルバムとしてまとめる予定があったのかどうかは定かではないが、その可能性は考えられる。いずれにしても最後の4曲がこの時録音されたと仮定して、その後RCAからリリースされることはなかった。1998年に日本のBMGでコンフント9の2枚組CD『バルダリート』のボーナス・トラックとして収められるまでは。

エドゥモンダの"Rabbia e tango"の録音は、1972年か1973年のどちらかである。72年だったとすると、コンフント9で4月にイタリアを訪れた際に録音されたことになるだろうが(この時ミーナと「わが死へのバラード」を録音している)、それなら全曲をコンフント9で伴奏してもよさそうなものだ。
1973年(既にコンフント9は解散)と仮定すると、8曲中3曲は、お蔵入りしていたアメリータとの録音からコンフント9によるオケを流用し、残りは当時の五重奏団で録音したことになる。問題は、この年に五重奏団でイタリアに行ったかどうか。行っていないとすれば(ピアソラの単独行)、ブエノスアイレスで伴奏だけ録音し、ミラノで歌を被せた、ということも考えられる。「最初の言葉」のオケに関しては、アメリータとコンフント9の72年の没テイク(もしあったとすれば)を流用、五重奏団+α(≠コンフント9)で73年ブエノス録音、五重奏団+現地調達ミュージシャンで73年ミラノ録音、の3つの説が考えられる。
この「最初の言葉」以外はすべて、アメリータのCBSからの2枚のアルバムに収められていたレパートリーで、通常ステージでは五重奏団が伴奏していた(コンフント9の活動時期は除く)。五重奏団が伴奏するこれらの曲(ここでは4曲だけだが)の録音は貴重だが、アレンジはすべてアメリータ用のものがそのまま使われていると思われる。

アメリータは73年、RCAからアルバム"Cantandole a mi tierra"をリリースしているが、これは彼女本来のフォルクローレ路線に戻っての作品で(ケロ・パラシオスがギター伴奏)、ピアソラとは関係がない。
翌74年、ピアソラと完全に分かれる寸前のアメリータは、ミラノでピアソラ指揮オーケストラ(メンバーはほとんどイタリア人)と「マティルデへの小さな歌」「みんなのビオレータ」を録音、アルゼンチンでは75年にTrovaからシングルでリリースされた。この2曲と、それまでにRCAで録音された既発売曲・未発売曲を抱き合わせるかたちでスペインでAriolaから、ブラジルでFermataからリリースされたのが10曲入りの"Amelita Baltar"である。もしエドゥモンダの"Rabbia e tango"が1972年録音で、「3001年」など3曲がもともとエドゥモンダのための伴奏だったとすると、この時に改めて同じオケにアメリータのヴォーカルが被せられた可能性も、なくはないのだが。

とまぁ、こんな感じでしょうか。長くてすみません。それにしても、エドゥモンダのアルバムなんてほとんど誰も聴いていないわけですよね(私の友人の熱狂的ピアソラ・ファンで一人持っている人はいますが)。そんなアルバムのことを長々と書くのも、どこかむなしいものがありますが。Ricordiの権利を持っているレコード会社の担当者にCD化を勧めてみたことはあるのですが、いくらピアソラでも歌の伴奏で、しかも主役の歌手が知名度ゼロでは、セールス的に難しいということで、そのままになってしまいました。

Comments

この貴解説でカルロス・クーリ著『La musica limite』の“La primera palabra"E.Aldiniがこの幻のイタリー人女性歌手だと判明できました。ピアソラの歌手でもう一人幻の女性歌手がいますが、“Graciela oscura"のEgle Martinです。彼女こそが“Maria de Bs,As”の主人公に成る筈の人物だった。と思われる?どうでしょう、、、

Posted by: El Bohemio | March 15, 2010 at 04:42 AM

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